世間知らずのお嬢様にトウイッターは難し過ぎる
星宮麗子は超がつくほどのお嬢様である。
父は星宮家の当主にして巨大財閥星宮グループの会長であり、彼女は物心つく前からたくさんの使用人や家庭教師に囲まれて育った。
唸るほどの金と絶大な権力がすぐそばにあるような家で育った彼女だが、彼女自身は決して甘やかされて育ったわけではない。星宮家にふさわしい教養ある女性になるためゲームや漫画は全面的に禁止、テレビもごく限られた番組しか見ることが許されなかった。もちろん様々な情報の溢れるネットに触れることなど言語道断……だったのだが、ある日星宮家に革命が起きた。
「お嬢様、こちらがスマートフォンでございます」
星宮家に仕えて50年の執事長が恭しく麗子に黒い箱に収められたスマートフォンを手渡す。彼女がそれを受け取ると、屋敷中の使用人たちから一斉に拍手が送られた。その仰々しさときたら、まるで女王の戴冠式のような騒ぎである。
実は麗子のあまりの世間知らずに危機感すら持った家庭教師や使用人たちが彼女にスマートフォンを持たせるよう彼女の両親に進言したのだ。彼女の父と母、そして星宮家の親族をも巻き込んだ一年にも及ぶ話し合いの末、ようやく彼女は今日スマートフォンを手にするに至ったのである。
「お話に聞いていたスマートフォンが、今とうとう私の手の中に!」
彼女はスマートフォンの画面を愛おしそうに撫で、そしてさっそくあるアプリをダウンロードした。短文投稿サイト「トウイッター」である。
トウイッターは様々なセレブや有名人、各国の政治家にも利用者のいる非常に有名なサイトであり、麗子も以前から名前くらいは知っていた。
だが彼女がトウイッターをダウンロードしたのは何もセレブや政治家のツイートが見たいからではない。クラスメイト、「山岸君」とお近づきになりたかったからである。山岸君が最近トウイッターにハマっているというのは確かな筋からの情報であった。
「ふふふ、事前学習のおかげで基本操作はバッチリですわ。あとは山岸君のアカウントのIDを入力して……あら?」
麗子はIDを入力したことにより出てきたアカウントの名前を見て首を傾げた。
「ゴマ豆腐@ぎんくま難民……? はて、どういった意味でしょう。それにこれは一体?」
麗子はスマートフォンを顔に近づけ目を凝らす。山岸君のアイコンは水着を着用した二次元女性の豊満な胸を枠いっぱいのアップにした画像であった。
だがお嬢様育ちで大人に許可された綺麗なものしかその眼に映したことがない麗子は、それが「女性の胸を描いたイラスト」であることにすら気付かない。
「まぁ悩んでいても仕方ありませんわ。さっそく山岸君に話しかけてみましょう」
麗子はおぼつかないながらも、丁寧な手つきで文章を紡いでいく。
『こんにちは山岸君、同じクラスの星宮です。今日トウイッターを始めましたので誠に勝手ながらフォローさせていただきました。ところで、山岸君のこのアイコンは何を描いた絵なのでしょう? お返事待っています』
「少々文章がくだけ過ぎでしょうか。しかしクラスメイトならばこれくらいくだけていた方が親しみを持ってもらえるかもしれませんし……えいっ」
麗子は掛け声とともにスマートフォンの液晶に表示された「送信」ボタンをタップする。
ホッと息を吐いたのもつかの間、一分もしないうちに山岸君から返信が送られてきた。
『どあしてこのアカウント氏ってるの?』
山岸君の誤字だらけのツイートからは彼の焦りが伝わってくるようだ。
なにせ、このアカウントを知っているのは彼のごく親しい友人のみ。まさか学校の、しかも女子がフォローしてくるなどという事は彼にとってまさに青天の霹靂だったのだ。
だがそんな事情は露知らず、麗子は憂いを帯びた目でスマートフォンを凝視していた。
「困りましたわ、いくら山岸君でも情報屋に関することはお教えできませんのに。それに私のイラストについての質問は無視されて――あら?」
いつの間にか山岸君のアイコンが変わっていたのである。
山岸君の新しいアイコンは可愛らしい三毛猫の画像だ。先ほどまでのクセのあるアイコンから一転、あたりさわりのないアイコンを瞬時に設定してきた山崎君の判断力には拍手を送らざるを得ない。ネットに詳しくない麗子などは瞬時に騙されてしまったようである。
「先ほどまでの画像はバグというやつだったのでしょうか。私ったら山岸君を混乱させるようなリプライを送ってしまいましたわ。明日の朝、学校で山岸君に謝りましょう」
山岸君に話しかける口実を得ることができて麗子はいつになく上機嫌だ。明日の山岸君との接触に備え、麗子は山岸君のツイートを目で追っていく。
だが麗子には山岸君のツイートの意味が半分も分からなかった。
『サキュバスに搾り殺されたい』
『ああもうバイト行きたくないンゴ~店長ウザすぎンゴwwwww』
『ムキムキ過ぎ草生える。速い(確信)』
麗子はスマートフォンを握りしめながら頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
「サキュバス、確か西洋の魔物でしたわね。でも殺されたいだなんて……なにか悩みがあるのかしら。心配だわ」
麗子は『サキュバスに搾り殺されたい』という山岸君のツイートに宛てて『大丈夫ですか、悩みがあるのですか。私で良ければ相談に乗ります』というリプライを送った。
そして次に着目したのは『ああもうバイト行きたくないンゴ~店長ウザすぎンゴwwwww』とのツイートだ。
「アルバイトに行きたくない、店長が嫌だ……といったところかしら。まったく、アルバイトは禁止されているはずですのに山岸君ったら。でも文末の『んご』っていうのが分からないわ。アルファベットのダブリューが並んでいるのも。それと……こっちのツイートは……」
『ムキムキ過ぎ草生える』のツイートには画像が添付されていた。黒いウサギの耳のような飾りをつけ、まるで水着の様な超ミニスカートを履き、へその見えるノースリーブの服を纏っている――体格の良い成人男性の姿を映したものであった。
「こ、この方は一体……山岸君とどういった関係の方なのかしら。ムキムキというのは全面的に同意いたしますが、草が生える、そして速いというのが分かりませんわね。うーん……草……速い……屈強な男性……ああそうですわ、お屋敷の植木職人ね!」
ようやくツイートの意味が分かった麗子は、意気揚々と山岸君にリプライを送る。
『とても屈強な男性ですね。そのゴツゴツした力強い手なら大変気持ちよく抜いてくれるのでしょう。屈強な男性が汗を流しながら上下しているのを見ているとなんだか微笑ましい気持ちになります』
抜くというのはもちろん草の話であり、上下というのはもちろん梯子の上り下りの事である。
だがなにを勘違いしたのか、すぐに山岸君から返信がきた。
『別にそういう関係じゃないよ』
「あら? 植木職人じゃありませんでしたか……まぁ良いですわ。次は――」
麗子が次に興味を持ったのは文字の無い画像だけの呟きであった。
コンビニのレシートを映した何の変哲もない画像。お菓子2点と肉まんを買ったらしく、その合計金額は334円である。ピッタリの金額が出せたらしく、おつりは0円であった。
「この画像は……? でもせっかく写真を撮ったのですから何か意味があるはず」
彼女は画像をよく見ようとそのツイートをタップする。すると、そのツイートにすでに誰からかのリプライがついていることに気が付いた。
『なんでや!阪神関係ないやろ!』
「阪神……? なんで阪神が関係ありますの?」
もう一度画像に目を凝らすが、阪神に関係のありそうな商品は購入していない。
だが麗子の興味は阪神ではなく、『なんでや!阪神関係ないやろ!』のリプライを送った「☆☆うめうめうめにゃん☆☆」に移ってしまった。
「うめにゃん……ま、まさか」
麗子は顔を蒼くして山岸君のツイートを遡っていく。
『うめにゃんの太ももprpr』
『あぁ^~うめにゃんの足裏舐めたいんじゃ^~』
『うめにゃんの子宮に還りたい(真顔)』
麗子は山岸君のツイートを読み込むごとに眉間に刻まれた皺を深くしていった。麗子に山岸君のツイートの意味は半分、いや8割方わからない。だが彼のツイートに「うめにゃん」の名前がたくさん出てくること、そして彼がうめにゃんに好意を持っていることは麗子にもわかった。
「ま、まさか山岸君はこの方をお慕いして……?」
麗子は慌てて「☆☆うめうめうめにゃん☆☆」のアカウントのページに飛ぶ。
彼女のアイコンは可愛らしくデフォルメされた少女のイラストである。やはり彼女のツイートの内容は半分も分からなかったが、山岸君と頻繁にリプライを飛ばし合っていることは分かった。
麗子の胸に未だかつて感じたことのないような感情がくすぶる。
「なんですの……急に胸が苦しく……い、いえ。そんな事よりもこの女性の正体を見極めないと」
麗子はすぐに「情報屋」へ連絡し、「☆☆うめうめうめにゃん☆☆」の素性調査を依頼する。
それから数時間後、麗子の元に調査結果が届いた。たった数時間ではあったが、麗子にとっては一生にも思えるほど長く感じられた。
麗子は震える手で茶封筒を開く。中から出てきたターゲットの写真を見て、麗子は目を見開いた。
「……この方、田中君?」
写真の中で歯を見せて笑ういがぐり頭の少年に麗子は見覚えがあった。麗子のクラスメイト、そして山岸君と親友の少年である。
同封されていた調査結果の書類には彼の詳細なプロフィールのほか、世間知らずの麗子を想ってかこんな一文が添えられていた。
『うめにゃんというのは人気アニメのキャラクターのことで、ネット上では見た目や名前から連想される性別と実際の性別が異なることが多々あります。情報の海から正しい情報を引き出せるようになるにはある程度の訓練が必要です』
「な、なるほど、そうだったのですね。インターネットというのは面白いところですわ……あらっ、うめにゃんが田中君ということは……」
麗子は再び山岸君のツイートを目で追う。
『うめにゃんの太ももprpr』
『あぁ^~うめにゃんの足裏舐めたいんじゃ^~』
『うめにゃんの子宮に還りたい(真顔)』
「ま、まさかあのお二人……やけに仲がいいとは思っておりましたけど……」
麗子の頭からは「うめにゃんというのは人気アニメのキャラクターのことで」という一文がすっかり抜け落ちてしまったらしい。
勘違いと嫉妬心と恋心を胸に、麗子は立ちあがる。
「良いですわ、望むところです。奪ってみせますわ……田中君から山岸君を!」
彼女の誤解が完全に解けるのは、それからずっと後の話である。