第82話 八月十八日の政変(1)
【桜庭瑞希】
ーーー8月18日。
ついにこの日がやってきた。
この日を早く乗り切って芹沢さんの件を考えなければ、と、息巻いていた私たち、だったのだが……。
********************
「……すみません、瑞希さん、沖田さん……」
「いやいや、晴明君のせいじゃないよ、こればっかりは」
「まぁ、しかたないんじゃない?」
「……本当にごめんなさい……ケホッ、ケホッ……」
ーーー晴明君は潤んだ瞳で私たちを見上げ、申し訳なさそうに頭を下げた。
晴明君は近藤さんの後について今回の件に参加するはずだったのだが、直前になって風邪をひいてしまったのだ。
近藤さんは別に構わない、ゆっくり養生しなさいと言ってくれたのだが、当の本人が自分の失態として落ち込んでしまっていた。
「……桔梗君、起きているかい?」
そう、一言断る声とともに声の主ーーー山南さんが襖を開けて部屋へとやってきた。
「ああ、2人もいたんだね」
「あ、すみません。すぐに行きます!」
「そろそろ言ったほうがいいんじゃないかい?」
「あ……」
「そうだなぁ。そろそろ行かないと土方さんの額に今度こそツノが生えそうだし」
「そ、そんな空恐ろしいこと言わないでくださいよ沖田さん!」
本当に生えてきたらどうすんのさ!?
「あれ?ところで、山南さんは行かないんですか?」
山南さんは今回参加する隊士たちに配られた、鎖帷子ーーー日本版鎧みたいなものを身につけていない。
鎖帷子といえば……。
「ああ。そのことか。私はここで留守番しているよ。桔梗君のことも見ていてあげないといけないし、そもそも私の鎖帷子は用意されていなかったみたいだから」
「……山南さん、そのこと、怒らないんですか?」
確か、歴史では自分の分の鎖帷子が用意されていないのを知った山南さんが激昂したっていうエピソードがあった気がするんだけど。
が、私の予想に反し、山南さんは驚いたように目を見開いた。
「怒る?私がかい?まさか。私がついこの前まで夏負けして寝込んでいたことはみんな知っていることだし、そのことで私を気遣ってくれた結果ならば、怒るなんてできないだろう?情けなくはあるけれど、それは私自身の責任なのであって、誰かのせいではないからね。まぁ今回は桔梗君が体調を崩してしまったことだから看病しながら君たちの留守を守ることにするよ」
そう言って穏やかに微笑む山南さん。
ーーーなんて心が広いんだ。
山南さん、すごすぎです。
けど、まぁそれほど害はないとはいえ、ちょっと歴史が変わったな。
山南さん、警備につかないっていうし。
「さ、ほら、早く行っておいで、瑞希君、沖田君。私や桔梗君の分まで頑張ってきてくれ」
「はい!」
「了解です」
ーーー懐の広さを見せてくれた山南さんに見送られ、私たちは「私たちの戦」へと足を踏み出した。
********************
京都の帝がいるという御所へ、クーデターを企てている長州藩の人たちを入れないため、私たちは御所の蛤御門へと向かった。
「……ねぇ瑞希ちゃん」
「何ですか、沖田さん?」
「……なんで僕たち御所の警備しなくちゃいけないんだっけ?」
「……沖田さん、知らないできたんですか」
「いや、正直近藤さんの命令なら僕は従うだけだからどうでもいいんだけどなんとなく気になったから」
ーーーおいおい、あんたは近藤さんの命令ならなんでもいいのかよ。
「……ええっとですね、確か、長州の倒幕派の人たちが、帝が8月13日に伊勢神宮を詣でるっていう嘘の計画を出すんです。けど、薩摩藩と会津藩が確認するとそれは嘘だったことが判明したんです。で、だったら長州藩の人を御所に入れないようにしよう!ってことで警備をするわけです」
「んーなんとなくはわかった。で、瑞希ちゃんは?」
沖田さんの言葉に意味がわからず、聞き返すように彼を見上げると至極真面目な視線が落ちてくる。
「君、人を斬れるの?」
「っ!!」
……え。
なんで。
ーーーあ。
そっか。
警備なんだから、もしものときはーーーーーー。
ーーーどうして忘れていたんだろうか。
もし攻めてこられたりでもしたら長州の人を斬らなきゃならないんだ。
「その様子だと、理解してなかったみたいだね」
「……」
「引き返す?今ならまだ間に合うよ?」
「っ、それは……き、斬れますっ!」
「本当に?斬るってことは、殺すってことだよ?」
「そ、それはっ……!! 」
ーーーそんなこと、わかってますよ、沖田さん。
ーーーそう。
わかってたはずだ。
このまま壬生浪士組に、新選組にいれば、人を斬ることになると。
ーーーいい加減、覚悟を決めなくちゃならない。
この時代は、平成とは違う。
これは、仕方のないことなんだ。
ーーーでも、私はそんな風に割り切れるの?
ーーー私、ちゃんと前に進めるの?
ーーー後悔に押しつぶされて、立ち止まっちゃうんじゃない?
『……その時はまた、めい一杯自分の感情をぶちまけてください。僕でよろしければ、それを受け止めることくらいはできますから』
ーーー脳裏に、この前の晴明君の言葉がこだました。
ーーーねぇ。
ーーー私は何のために、人を斬る覚悟をするの?
ーーー私の望みは何?
……答えはすぐそこにあるんだよ、瑞希。
そんな、私自身の声が聞こえて。
そうだ。
私の望みは。
私の願いは。
ーーー新選組の未来を変えること。
この時代に連れてこられた理由はまだわからないけど。
今の私の願いは、そうだったはずだ。
未来を変えて。
みんなを、仲間を守るために。
ーーーほら、答えはそこにあった。
ーーー「私」がそう言って私に笑いかけた。
「……斬れます。いえ、斬ります」
「!!」
私は意を決して沖田さんを見据えた。
「私は、自分が守りたいもののために斬ります。……もし、私が斬らなかったから沖田さんや他の仲間が傷つく、なんて、嫌です」
「確かに、割り切ることなんてできません。けど、そうじゃなくて、けど、前には進みたいと思うんです」
「ーーーもちろん、その『罪』も忘れません。ちゃんと引きずって、ずっと覚えておいて、それでも私はその罪をうけいれます」
「……そんなことしたら瑞希ちゃん、つぶれちゃうよ?」
ーーー確かにそうだ。
けれど。
ーーーそれでも私は守りたいものがあるから。
向こうの時代で、これほどまでに守りたいって、やりたいって思ったのは、はじめてなんだよ。
ーーーだから、私は。
「大丈夫ですよ、沖田さん。晴明君が言ってました。もし潰れそうになったら、その時は自分の感情をぶちまけてもいいって。……その時は、沖田さんも協力してくれますよね?」
そう言って笑いかけると沖田さんは心底驚いた顔をし、すぐに口元に笑み浮かべた。
「……ほんと、君は馬鹿だね。だけど、そういうの、嫌いじゃない」
ーーーそう言った沖田さんの顔にはいつもよりも少しだけ優しい笑顔がうかんでいた。
ーーーあれ?
私、なんか忘れてるような気がするんだけど、なんだろう?
********************
【沖田総司】
ーーーほんと、妬いちゃうな。
君の心にはやっぱり彼がいるんだ。
けど。
君は僕のものにするって、もう決めたから。
それにしてもさ。
君ってやっぱり単純だね。
決意を固めてくれるのはいいけどさ。
今回は多分、人斬ることないよね。
歴史知ってるはずなのにああやって予想外のこと聞かれるとその前提忘れちゃうんだから、まったく。
でも、そこがまた可愛いところかな。
ーーー瑞希ちゃんは渡さない。
ーーー僕って。結構しつこいよ、瑞希ちゃん♪




