第8話 たったひとつの願い
【安倍晴明】
耐え難い肌寒さに目を覚ました時、僕は全く見覚えのない森にいた。
あたり一面に広がった、見渡す限りの大きな木。
そこがどこなのかはさっぱり見当もつかなかったが、周りに漂う「気」は、明らかに今の今までいたはずの平安の都とは違うことだけはわかった。
けれど、それ以上にーーー僕は、目の前の見知らぬ少女に心底驚かされた。
まっすぐな腰までの、女性にしては短い黒髪。髪と同じように、黒くて大きくな丸い目をした瞳。
整った顔立ちをしたその少女は、妙に布が少ない、素足が完全に見えている、女性にはあり得ない服装をしていた。
女性が御簾も隔たず、素顔を晒しているというのは、よほどなことがない限りありえないが、その少女はそのことを機にするそぶりは露ほどにも見せない。
そればかりか、少女は自身の名を「桜庭瑞希」と名乗り、僕に、「平安京」からきたのかと尋ねてきた。
ーーー僕が肯定意を示すとなぜか驚いた顔をされてしまいました。
なんでも、その少女……桜庭さんは未来から来たというのです。
そして、彼女は僕の名を、「安倍晴明」というこの名を知っているようでした。
僕の名は、彼女がいた時代にも残っているらしいのです。
でもね、桜庭さん。
僕は、そんな、名を残すような人間ではないんです。
……そもそも、僕は人間ですらないのだから。
僕の母は、妖怪と呼ばれるものでした。
僕の容姿が他と違うのもそのせい。
皆、僕の髪と瞳を見て、「化け物」と言った。
そして、それと同時にこの半分妖の血が流れるこの身を皆、一様に恐れた。
あまりにも、長いこと言われ続けたからなのか、正直、もう傷つくことは無くなりましたけど。
そういえば、桜庭さんは僕の色を見ても何も言いませんでしたね。
どうしてなんでしょうね?
それに、彼女は僕を見ても「化け物」とは言わなかったし、気味悪がることもなかった。
それどころか、なぜか悲しそうな顔をした。
まるで、自分がそう言われたかのように。
ーーー同情、でしょうか。
たとえそうだとしても、なぜ、出会ったばかりの他人に、そこまで共感することができるのでしょうか。
本当に、不思議な人ですね、あなたは。
……そして、とても優しい。
僕らがいたのはどうやら森のようで、僕も彼女も、ここにきた直前の記憶を失っていた。
記憶の消去と、時廻りーーー。
もしかしたら、この件には「あの人」が関わっているのかもしれません。
森の中はどこかひんやりとしていた。
僕はともかく、薄着の桜庭さんが風邪をひいては困ります。
それにこのままここにとどまっていても意味がないと思い、この森を出ることを提案しました。
桜庭さんは笑顔で頷いた。
そして、どうやら僕をなんと呼ぶかで迷っていたようなので助け舟を出したら、桜庭さんはいきなり僕を下の名前で呼んできた。
未来の女性はあまり名前に執着がないようです。
少し恥ずかしい気もしますが、まぁ、気にするにはやめておきましょう。
ーーーかくして僕は桜庭さんとともに、人の「気」を辿り、森を抜けるべく歩き出した。
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ーーー空気は相変わらず冷たく感じられます。
冷えた指先を握り、このままではまずいかなと、頭の片隅で考えた。
僕は、あまり体が強い方ではないので。
こんなところで倒れては、桜庭さんに迷惑をかけてしまいます。
と、ちょうどその時、桜庭さんが石につまずいて倒れそうになったので抱きとめると、なぜか顔を真っ赤にして目をそらされました。
……僕は何か粗相をしたのでしょうか?
もし、そうだとしたら、彼女に謝らなければなりません。
後で桜庭さんに聞いておくことにしましょう。
それからしばらくして、森を抜ける道を発見し、出てみると、そこは全く知らない景色でした。
桜庭さん曰く、ここは僕がいた時代よりも1000年もあとだそうです。
陰陽寮で未来を星読みで見たことはありますが、こうまで現実的に見たことはさすがにありません。
けれど、ここは桜庭さんがいた時代でも平安でもない。
ーーー「江戸時代」。
そんな時代に、一体なぜ僕ら二人が送り込まれたのでしょう?
いったい、何のためにーーー。
しばらくすると、検非違使のように太刀を腰に差した青年がやってきて、僕たちは「ちょうしゅうのかんじゃ」か、と、聞いてきました。
ーーーはて、「ちょうしゅうのかんじゃ」とはなんでしょう?
僕にはその、「ちょうしゅうのかんじゃ」というものが何なのか、わかりませんでしたが、どうやら桜庭さんには理解できたようです。
その後、青年の後からやってきた30ほどの年の、「土方」と呼ばれた人がやってきて、僕と桜庭さんは「壬生浪士組の屯所」という所に連れてこられました。
屯所は以外にも狭く、僕の屋敷の方が大きいかなぁとぼんやりと考えます。
やはり寒い場所に薄着で出ていたせいか、風邪をひいてしまったみたいです。
少し頭がボーッとするのです。
しかし、それは他の三人には悟られないようにします。
話がややこしくなってしまいますし。
そうなれば、やはり桜庭さんに迷惑をかけてしまうかもしれないですから。
僕の隣で、桜庭さんと「土方さん」と、「総司」という人が何やら口論をしているようです。
これには本当に驚きです。
平安の女性は男性に対し、ここまではっきりとものを言うことはないのですから。
どうやら「土方さん」は僕と桜庭さんが「ちょうしゅうのかんじゃ」なのではないかと疑っているようなのです。
僕にはその意味はわからない。
役に立たなくて申し訳ないです、桜庭さん。
しばらくのち、「総司」という人が僕に名前を聞いてきました。
困りましたね。
どうしましょう?
桜庭さんの時代に僕の名前が知られているとなれば、素直に名前を言うわけにはいきません。
すると、桜庭さんが慌てたように自分と僕の自己紹介をしてくださいました。
「小鳥遊桔梗」というのが、僕の偽名のようです。
それにしても、面白い名前ですね。
どうしてこの名前を思いついたのか少しきになる気もします。
……それよりも。
やはり、そろそろ少し辛くなってきました。
このままでは隠し通すのが無理かもしれません。
そこでふと、僕は「総司」という人が僕らを斬るかと言っていたことを思い出しました。
僕は半妖です。
ゆえに、そう簡単には死にません。
ですが、「総司」というひとは、剣の腕に自信があるようなので、もししたら僕を殺せるかもしれません。
僕はそう思い、僕を殺す代わりに桜庭さんを開放してあげるように言いました。
しかし、なぜか「総司」という人に怒られてしまいました。
桜庭さんも、とても悲しそうな顔をしています。
一体なぜでしょう?
あなたは助かるというのに。
……。
……。
ーーー遠くで、桜庭さんと「土方さん」の声がします。
そろそろ、限界みたいです。
困りましたね。
このままでは桜庭さんに迷惑をかけてしまう。
「え……き、桔梗君!?」
ごめんなさい、桜庭さん。
「ちょっと!顔色悪いけどどうしたの!?」
ごめんなさい、桜庭さん。
「っ……。……桜庭、さん……?」
あなたが、僕のことで悲しむ必要なんて、ないんですよ…………?
僕に、そんな価値はないーーーーーーー。
ああ。
神様。
僕のたったひとつの願いを叶えてください。
僕が、もう二度と目が覚めないように。
今度こそ死ねるように。
僕は。
死んだら。
「あなた」に、会えますか?
………………………………………。
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