第61話 恋しくば
【桜庭瑞希】
6月といえば、梅雨である。
「今日も雨……」
「仕方ないだろう。梅雨だからな」
「あ、土方さん」
部屋の前の縁側でよく降る雨を眺めながら呟くと、上から土方さんの呆れたような声が降ってきた。
「いやまぁ、そうですけど」
「お前は雨、嫌いか、瑞希」
「うーん。あんまり好きじゃないです。けど、夏とかは涼しくなっていいですよね。ジメジメはしますけど」
「……そういう意味で聞いたんじゃないんだがな」
はぁ、とため息をつき、土方さんはその場にドカリと腰を下ろした。
「あれ、土方さん、こんなところで油売ってていいんですか?」
「先にいたお前が言うな。……今はちょっと休憩中だ」
「そうなんですか?……あ、それじゃあ雨見ていい俳句でも書こうと?」
「っ!?な、なんでお前がそれを知っている!?」
目を剥いてこちらに迫ってくる土方さんを見て、しまった!と思うがもう遅い。
やばい、どうしようか。
「え、えっと、その……し、新八君に聞きました!」
とりあえず手頃な、そういうのを押し付けやすそうな新八君を身代わりにする。
ゴメン、新八君。
「チッ……あいつか。あとでシメる」
凶悪ズラの土方さんが舌打ちとともにそう吐き捨てた。
南無阿弥陀仏、新八君。
君の無事を祈ってる。
「……俳句よむのが趣味って、そんなに隠すことかなぁ?」
「うるせぇ。そんなの人の勝手だろ」
「そんな、身も蓋もない。なんか俳句よんでみてくださいよ」
「ごちゃごちゃうるせぇ。それ以上言うと雨ん中放りだすぞ」
「え、それは嫌です」
泥だらけになるじゃないか。
「……そういえば、左之の件、ご苦労だったな」
「あ、はい」
いやーな思い出もあるが、まぁそれは置いておくことにしよう。
「っていうか、土方さんでも人を褒めることってあるんですね!」
レアだよこれ、レア!!
「……お前は人のことをなんだと思ってんだ」
「えーと、鬼……ったぁ!」
問答無用でゲンコツを食らわされる。
ほんと、容赦ないな!
「 そういえば、俳句といえば……桔梗君に聞けばいいんじゃないですかね」
「あいつも俳句好きなのか?」
「も、ってことは、土方さんもやっぱり好きなんですね……て、わ、わかりましたよ!わかりましたから拳握らないでくださいっ!!……いや、別にそれはわからないですけど、なんとなくイメージ的に?」
「いめーじ?」
「ふ、雰囲気ってことです」
まさか、晴明君は平安時代の人だから、とは言えない。
と、ちょうどそこへ、
「あ、桔梗君!」
「!瑞希さん……。土方さんも。どうしたんですか?そんなところで?」
ちょうど通りかかった晴明君が私たちを見比べて首を傾げた。
「いや、ただ暇だったから」
「おい、俺をお前と一緒にするな。俺は暇じゃねぇ」
「でも今は暇でじゃないですか。……ああ、そうそう!ちょうど桔梗君の話してたんだよ。土方さんの俳句についてで!」
「あ、おい!」
「俳句……ですか?」
私の右隣……土方さんの反対側に腰掛け、不思議そうに首を傾げる晴明君。
ーーーあれ、知らないのかな?
ひょっとして、俳句は平安時代にはまだない?
「俳句っていうのは、五、七、五の、和歌の短いやつなんだけど知らない?」
「ああ、なるほど。和歌の上の句ほどの長さの句、というわけですね」
「そうそう!そういうこと」
「それで……土方さんは、その俳句というものがお好きなんですか?」
「……悪いか?」
「いいえ、そんなことありませんよ。僕も、俳句というのはよくわかりませんが、和歌ならば好きですから。もっとも、自分で作るのは苦手ですけれど」
「和歌っつーと、短歌のことか」
「ええ」
淡く微笑み、晴明君は降りしきる雨に視線を移して目を細めた。
「『うちしめり 菖蒲ぞかをる ほととぎす
鳴くや五月の 雨の夕暮れ』」
「!それって……?」
「ある人の歌ですよ……今は6月ですけれど」
「……綺麗な歌だな」
「ふふっ、そうでしょう?」
ふんわりと微笑み、晴明君は天を見上げた。
雨は未だに降り続いていて、けれど、うっとおしいはずの雨が今日はなんとなくキラキラと輝いているように見えた。
「……他にはどんな歌があるの?」
「そうですね……。『鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ』という歌なんてどうでしょうか?」
「それ、恋の歌か?」
「はい、そうですよ」
「えっ!?そうなの!?」
「……お前、気づかなかったのか……!?」
唖然とした表情でこちらを見下ろす土方さんの目は明らかに「信じられない」という気持ちを物語っている。
「いや、私、てっきり『雷が鳴って、雨もたくさん降ってるから外に行っちゃダメだよ』的な感じの、お母さんが子供を諭すような歌かと」
「んなわけねぇだろ。お前の頭ん中はどうなってんだ」
「そ、そこまで言う必要ないじゃないですか!」
私の古文の成績はそりゃあ惨憺たる状況だったけども!!
古文なんてできなくても困んないんだからねっ!!
「さっきの和歌は、『雷が少しだけでも鳴って、曇って、雨でも降らないだろうか。そうしたらあなたを引き止められるのに』という意味の恋歌です。……ですか、和歌というのはその人の感性によるものですし、瑞希さんの解釈でも良いと思いますよ」
優しい笑みを浮かべた晴明君がそうフォローしてくれる。
「ったく、お前は甘いぞ小鳥遊」
「えー、それぐらいでいいんですよ、土方さん!」
「だからお前が言うな!」
むぅ。
怒られてしまった。
「……ああ、そろそろ時間だな」
「お仕事に戻られるのですか?」
「ああ。俺は瑞希と違って暇じゃないからな」
「それって、つまり、桔梗君のことも暇人扱いしてますよ!」
「あ、瑞希さん。僕は一応巡察帰りです」
……本当の暇人は私だけだった。
「ふん。ま、お前は暇なくらいがちょうどいい。お前と話すのは悪くないからな」
「え?」
それはつまり、話し相手としてまあまあだということだろうか?
が、そんな質問を繰り出すよりも早く、土方さんはさっさと自分の部屋へ戻ってしまった。
「……土方さんも、不器用な方ですね」
土方さんの後ろ姿を見送り、晴明君はそう苦笑交じりに言った。
「不器用?ただ単に評価が厳しいだけじゃない?」
そういうと、なぜか晴明君は目を丸くし、しかし直後困ったような、どこか憐れむような視線を土方さんが去っていった方向に向けて呟いた。
「……残念ながら、本人には全く伝わってないようですね」
「ん?何か言った?」
「いいえ、なんでもありませんよ」
ゆっくりと首を振り、再度雨空に視線を向ける。
……どんよりとした空を見上げる桔梗色の瞳は、どこか寂しそうに揺れる。
なんとなく話しかけるのが憚られ、二人で、しばし無言で雨音に耳を傾けた。
「……『恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉』……」
ポツリ、と、呟くような、ほんの小さな声で紡がれた和歌が雨音のみの空間に思いの外大きく響いた。
「それは……?」
「……これもある人の歌、ですよ」
天に視点を固定したまま、晴明君は静かな声音でそう言った。
それ以上は彼も言うつもりはないらしく、私もそれ以上のことを問いただすことはしなかった。
『恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる
信太の森の うらみ葛の葉』
この歌だけは、彼にとって、特別な歌であるような、そんな気がする。
歌の最後にある、「葛の葉」。
それは、たぶん、彼のお母さん……「葛の葉姫」のことなのではないだろうか。
だから、この歌を詠んだのは、おそらく……。
……………………………。
これ以上詮索するのは「野暮」というものかもしれない。
降り続く雨をぼんやりと眺めながら、私は心の中でそんなことを考えるのだったーーーーーーーーーーーーーー。
ーーー追伸。
後日、半泣きの新八君に土方さんの俳句の件で猛抗議されたのはちょっとしたご愛嬌である。




