第37話 少年の志し
【桜庭瑞希】
ーーー5月。
比較的平成よりも寒冷な幕末の京も、だいぶ暖かくなってきた。
もう袴の上に羽織を羽織らなくてもいいほどだ。
浪士組メンバーも皆、徳川家茂公の道中警護から帰ってきて、屯所もいつもの賑やかさを取り戻していた。
幕末にやってきてもうすぐで二ヶ月になるが、依然として私たちをこの時代に飛ばしてきたのが誰なのか、はたまた神様みたいな、人知を超えた力が働いた結果なのか、その目的は何なのか、タイムスリップの謎は全く解明の兆しすら見えていない。
最近では、もうこのまま元に戻れないかもしれないという思いが強くなってきていて、そもそも、あまり現代に対して執着がなかった私にはこちらでみんなと過ごす日々の方が楽しいとすら思えてきた。
確かに、私を拾ってくれた義理の両親は私を実の娘のように可愛がってくれたし、学校の友達にだって会いたいとは思う。
時に向こうに帰りたいと思うこともあるのは事実だ。
けれど私は。
それすらすぐに掻き消してしまえるほどに、この時代を気に入っていた。
ーーー私はその時は知らなかったのだ。
この時代に生きるということが、どういうことなのかを。
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「うぇ……。雨かぁ……」
その日は朝からあいにくの雨で、そしてこれまた不運なことに、私の巡察担当の日でもあった。
「まぁ、こればかりは仕方ないです」
隣で私と同じように空を見上げた平助君が玄関に立てかけてあった唐傘を手にとって肩を竦めた。
「うんまあそうなんだけどさ。やっぱり嫌なものは嫌じゃない?」
「嫌、というか……。雨だと見通しが悪いので危険といえば危険ですね」
「確かに」
それに、この時代の傘は唐傘と言って、ぶっちゃけただの紙なのである。
そんなもので天から降ってくる天然シャワーが防げる訳がないのだ。
幸い、今は雨も小降りでなんとか唐傘でも耐えられそうだが、このまま保ってくれるとは限らない。
これ以上大雨になるなよ、と、空を睨みつけていると、屯所の門が開いて唐傘をさした晴明君が帰ってきた。
「あ、桔梗君」
あの島原の一件で私と晴明君のホモ説が屯所内でまことしやかに語られたが、人も噂も75日というわけでは無いが75日もしないうちに噂は沈静化していた。
「こんな日に出かけていたんですか?」
晴明君が片手に持っている包みを見て平助君が驚いたように目を見開く。
「ええ。少し、買い物を。お二人は巡察ですか?」
「うん、そうだよ」
「そうですか。あいにくの雨ですからお気をつけて」
いいかけ、言葉が途切れる。
「???私の顔になんかついてる?」
晴明君は紫の瞳を驚いたように見開いて私の顔をまっすぐに見つめている。
はて、なにかついているのだろうか?
「……瑞希さん」
「ん?どうかした?」
「……あの、申し上げにくいのですが……。……失せ物の相が出ています。お気をつけください」
「失せ物って……何かものをなくすってこと?」
「はい、そうです」
思わず私と平助君は顔を見合わせた。
「そういえば、桔梗は占い師?でしたよね」
「……ええ」
陰陽師、とはさすがに言えないので晴明君はちょっとした占い師ということになっている。
それにしても、かの大陰陽師、安倍晴明のよみならば、当たる可能性が高い。
ものをなくさないように気をつけよう。
「ありがとう桔梗君。気をつける。それじゃあ私たち入ってくるね!」
時間も押していたので、私はそう返し、平助君と共に巡察へと向かった。
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【安倍晴明】
巡察に行く二人の姿が門から見えなくなった。
「……失せ物」
僕の勘が正しければ、確かに瑞希さんには失せ物の相がでていた。
失せ物の相。
何か、大切なものをなくすという暗示。
……それ自体に、大した意味はない。
けれど。
……一体なんなんでしょう、この胸騒ぎは。
何か、起こりそうな、嫌な予感。
……あの時と同じ。
「……っ」
かぶりを振ってそのモヤモヤとした違和感を振り払う。
そんなはずはない。
瑞希さんにも、もちろん藤堂さんにも、死相のような、最悪な気は出ていなかった。
それは間違いない。
「……っ」
それなのに。
なぜこの嫌な感覚は消えない……?
「……『視て』みますか」
考え違いだとは思う。
けれど。
もし、本当に何かが起こるとしたらーーー。
僕は、もう二度と、後悔なんてしたくないんです。
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【桜庭瑞希】
「あちゃー。なんか雨強くなってきてない?」
「そうですね……。このままだと唐傘が破れかねません。雨宿りしましょう」
「賛成ー」
巡察を開始してものの数分で強まってきた雨に、私たちは近くにあった店先で足止めを食らうことになった。
「よく降るなぁ」
「左之並みのしぶとさを感じます」
「あははは。それ、言えてる」
しつこいほどに降り続く雨は原田さんに似ている気もする。
……そう考えるとなんかゾッとするけど。
「あ、瑞希の兄ちゃんだ!!」
パシャパシャと、水が跳ねる音が聞こえ、私たちがいる店先に小さい影が飛び込んでくる。
「お、龍之介じゃん」
小さい影……こと龍之介少年ーーー前に巡察中、ゴロツキに絡まれていたのを助けたことがあるーーーは名前を呼ばれるとニパっと快活に笑った。
「……この子は?」
私と龍之介を見比べながら首をかしげる平助君に、ゴロツキの一件について話すと、彼は納得したように微笑んだ。
「なるほど」
「あの時の兄ちゃん、めちゃくちゃカッコよかったんだぜ!俺、兄ちゃんみたいに強くなりたくて、あれから毎日剣術の稽古してるんだ!」
「おお、頑張れよ〜龍之介〜」
短い癖っ毛をワシャワシャ撫でてやる。
私はもともと小さな子供が好きだったので、なんだか弟ができたような気分だ。
「ところで龍之介はこの雨の日に何していたの?」
「あー、それは……」
今まで明るい笑顔だった龍之介の顔が曇る。
「……俺の母ちゃんがさ、具合、悪いみたいで。……お医者さんに見せる金なんてないから、せめて薬だけでもって……」
「……そっか……」
この時代は、平成以上に貧富の差が激しい。
お金は、あるところにはあるが、ないところには生活に困るほどにないのだ。
龍之介の家は父親が早くに亡くなったらしく、彼には母親しかいないのだという。
「俺さ、もっともっと強くなって、母ちゃんを守りたいんだ」
小さな拳は痛々しいほどに強く握られている。
けれど、その眼差しには確固たる決意が宿っていた。
その様子をじっと見つめていた平助君が、片膝をつき、龍之介と目線を合わせると優しく微笑みながら頭を軽く叩いていった。
「大丈夫。君は絶対に強くなるよ」
「……本当か?平助兄ちゃん」
「ああ、もちろん」
平助君、こんな優しい顔もするんだ。
いつもは生真面目な顔をしているイメージだけど、今の彼は弟を優しく諭すお兄さんみたいだった。
「あ、なんか雨足治まってき……」
雨音が少し静かになったので、ふと空を見上げるとさっきよりとあめがこぶりになっている。
振り返って2人に声をかけようとした時だった。
バシャバシャバシャッ
「りゅ、龍之介君っ!!お、おっかさんが!!」
「え……?」




