第3話 彼の名は、安倍晴明
桜庭瑞希。
ただいま思考回路フル稼働中ーーー。
「え、ちょっと待って?安倍晴明?あの?」
平安時代で安倍晴明って言ったら思い当たるのは一つしかない。
それほどの、ビッグネーム。
ーーー稀代の天才陰陽師、安倍晴明。
数々の逸話を残している、平安時代きっての超有名人。
やれ、神様を式神にしただの、平安の都を陰陽術で救っただのと、後世にも名を残す謎多き人物。
その人が、今、私の目の前にいる。
「『あの』がどのことなのかは分かり兼ねますが、多分そうだと思います」
「ま、マジですか……」
余談だけれど、私は日本史が大好きで、一番得意な教科でもある。
その中でも、安倍晴明に関することは好きなランキングの上位にランクインしているのだ。ちょっとオタクな自覚もある。
それにしても。
「あの」安倍晴明が、こんな綺麗な人だったなんて驚きだ。
でも、納得はできるかもしれない。
安倍晴明っていえば、やっぱり「神秘的」な存在だしね。
「……あなたは、僕のことをご存知なのですか?」
美貌の少年ーーーこと安倍晴明は静かにそう問いかけてきた。
ーーーなんか、こうして改めて見ると本当に優雅な言動が似合う。
実に眼福です。
「いや、知っているっていうか……。私のいた時代はね、あなたがいた時代の1200年以上後なんだけど、『安倍晴明』の名前はものすごく有名だよ。史上最高の天才陰陽師ってね!」
「……そう、ですか」
軽く頷き、目を伏せる。
その反応に、私はなんともいえない違和感を覚えてその綺麗な顔を覗き込んだ。
「嬉しくないの? 」
「……僕は、そんな風に言われるほどの者ではありません」
「え? 」
閉じられていた紫色の瞳が開く。
その中にあった暗い影に息を飲む。
「……僕は、ただの化け物ですよ」
「っ……」
何か声をかけたいのに、言葉がでない。
ーーー後の世では、「安倍晴明」は「半妖」だったと言われている。
「半妖」とはすなわち、半分は「人間ではない」ということ。
それはきっと、彼の日本人離れした色彩から見て、本当のことなのだろう。
日本人としては異質なその「色」が、そして人知を超えた強大な力が、人々にどんなふうに噂されていたかは容易に想像できた。
……きっとそれらは楽しい噂なんかじゃなかったはずだ。
それなのに、それを当たり前のように、受け入れているなんて、あまりにも悲しすぎる。
思わずギュッと唇を噛み締めた私を、彼はどこか驚いたような瞳で見つめた。
「ここは、おそらく平安ではありません」
長い沈黙の後、彼はぽつりとそう呟いた。
「平安じゃない?」
ん?私が「平安」にタイムスリップしたわけじゃないの?
「ええ。『気』が、どこか違う」
「えっと……?『気』って、なに?」
ーーー気配、みたいな?
いや、違うか。
「『気』というのは、そうですね、その空間を満たす、いわば、雰囲気のようなものですよ」
「へぇ……。陰陽師って、そんなことまでわかるんだ? でも、それじゃあここはどこなんだろう? 」
「それはまだ分かりません。僕も、気がついたらここにいましたから。どうやら、ここに来る前の記憶が一部欠落しているようです」
「あ、そういえば私も……。でもちょっと待って?」
ーーーこれは、どういうこと?
「はい?」
「ねぇ。ここは平安時代じゃないんだよね?」
「え、ええ。恐らくは」
「多分、それから考えると、ここは私の時代でもないと思うんだ」
正直、ここが平成の、ただの森って可能性……というか、希望は捨てておいたほうがいいと思う。そんな都合のいい話はきっとないだろうから。
……やっぱりさようなら、先端科学。
君を思うと涙が出そう。
「はい。あ……!!」
ハッと息を呑み、紫色の瞳を見開く。
「つまり、ここは私たちがいた、どちらの時代でもないってことになるんだよ」
「……それは……。っ、とにかく、この森を出ましょう。そうすれば何かわかるかもしれません」
そう言って彼は立ち上がる。
表情にはまだ少し動揺や混乱が見て取れたが、それもすぐに消えていった。
「そうだね。行こっか。えっと……」
彼のことをどう呼べばいいかわからず口ごもる。
それを察したのか、整った顔立ちにふわりとした優しい笑みを浮かべた。
「お好きなようにお呼びくださって結構ですよ」
「あ、うん!じゃあ……晴明君?」
なんとなく下の名前で呼んでみると、
「っ……」
恥ずかしげに視線をそらされた。
やだ、可愛い。
「あ、ごめん。馴れ馴れしかった?」
「い、いえ……。それで結構ですよ」
「そう?」
でもまあ、あの安倍晴明を「晴明君」なんて呼べるのなんて、そうそう、というか、普通はないじゃない?
歴史好きとしてはたまらないわけでありまして。
とかなんとか心の中で言い訳をしつつ、私は差し出された晴明君の手を取って立ち上がった。
よし、頑張れ桜庭瑞希!!