第156話 私がなりたいもの
新章本編、開始です^ ^
【桜庭瑞希】
「はあっ!! 」
ヒュン、ヒュン!!
ーーー道場中に響くように、叫び声が広がる。
まだ朝も早く、凍るように冷たい空気が、その声で、より一層ピンと張り詰めたように感じる。
空気はあいも変わらず冷たいけれど、それでもその冷たさは動いて熱くなった体にはどこか心地いい。
「……朝から稽古とは、瑞希さんらしいですね」
「!! ハル」
素振りが一段落したタイミングで、少し笑いを含んだ声が響く。
急いで振り返ると声の主ーーーハルがいつもながら惚れ惚れするほど端正な顔にうっすらと笑みを浮かべ、入り口近くの壁へ寄りかかるようにして立っていた。
「……いつからいたの? ハルって、何気に気配消すの上手いよね。もしかしたら総司よりも上じゃない? 」
「僕が気配を消すのが上手いのではなく、瑞希さんの集中力が高いのですよ」
小さく肩をすくめ、そうのたまいながら、ハルはトンッと軽く壁を蹴ってそれから身を放す。
ーーーその拍子に、彼が腕を通さず肩にかけた紺色の羽織がふわりと広がった。
白の上に青紫の袴といういでたちは、さながら神社の神主のようだ。
「まったく、そんなこと言って。……ハルったら、ダメでしょ? 今はまだ、ちゃんと部屋にいないと。また倒れられたら困るんだから」
「……もう大丈夫ですよ。瑞希さんも大概ですが、皆さん、いつまで僕を病人扱いするのですか……」
困ったような、少し拗ねたような表情でそう言う。なんか、可愛い。
ーーーあの、金毛九尾との対峙から約2週間。
11月も半ばに入っている。
それはつまり、ハルが喀血して倒れた日から2週間たっている、ということではあるのだが、それでも彼が心配なのは変わりないのだ。
「人型」という名の、持ち主の怪我を術者に肩代わりさせる術式。
それのお陰で私たちは何とか最悪の事態だけは回避した。
だけど、その代償に、ハルに大きな負担をかけることになった。
あの時の負荷により、今、ハルはあまり上手く術が使えないらしい。
本人は時間が経てば元通りになると言っているが、それでも、彼にそこまでの無理をさせてしまったという事実は変わらないのだ。
ちなみに、あの時怪我をした総司たちは、怪我もだいぶ治ってはいるものの、完治していない。にもかかわらず無理に稽古しようとしていることは、今の私たちの頭痛の種でもある。
……ちなみに、総司のことーーー彼の未来については、まだ誰にも言っていない。
ーーー否、言えていない。
「大丈夫な訳ないよ。3日前、また熱がぶり返してた癖に」
「……」
無言の返答ののち、スッとバツが悪そうに逸らされる紫の瞳。
その、困ったように眉根を下げた表情が結構好きだったりするのだが、それは私の中だけの秘密だ。
「ほらほら。そんな格好じゃあ寒いでしょ?そろそろ私も戻るつもりだったし、部屋に帰ろう? 」
「……あなたにはかないませんね」
「ちょっと。それどういうことさ? 」
微苦笑を浮かべ、そんなことを言うハルを軽く睨むと、からかうような視線とともに、ハルの笑いを含んだ声が飛んできた。
「それはもちろん、僕があなたの言うことを聞かずにはいられない、ということです」
ーーーおい、それどういうことだ。
私はそこまで口うるさく言ってないぞ?
ムゥッ、とジト目を送るが、しかし当の本人はどこ吹く風、クスクスと楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「ふふっ。だって瑞希さんの目が、あまりにも必死なんですもの」
「そりゃあ必死にもなるよ。ハルったら、私に嘘ばっかりつくんだから」
今まで私に何も言わないで無理して倒れたりしてきたこと、忘れたわけじゃないんだからね。
「それは本当に申しわけないと思っていますよ。ですけれど……」
そこで一旦言葉を区切り、どこか嬉しそうな笑みで私の顔を覗き込むと囁き声で言った。
「僕は、あなたがそうして気遣ってくださることを嬉しく思っているのですよ。あなたがそうして、必死になって下さるのが、ね 」
「っ!! 」
ーーーっ!?!?
目を見開いたまま、硬直した私の内心を知ってか知らずかーーー言い終えたハルはそっと身を離し、その笑みのまま私を見下ろしてこてん、と、首を横に傾けた。
「……瑞希さん? 顔が赤いですがどうかなさいましたか? 」
「〜〜〜っ!! 」
ああ〜〜〜っもうっ!!
やっぱり、この天然誑しがっ!!
自分のせいだってこと、全く理解してない顔だなっ!!
それともわかっててやってるのか!?
もう一回鏡見てから言えやいっ!!
「……ハルが一番始末に負えないんだよ」
「はい? 何か言いましたか? 」
「いーえ! なんでもないっ! 私のことはいいから、はやく部屋に戻るよ、ハル! 」
「?ええ……?」
戸惑いの表情のハルの視線から赤くなった顔を隠すように彼へ背を向ける。
ーーー私だけ動揺してるなんて、なんかズルい。
悔しさからくる思いにムッと唇を尖らせつつ、ちらりと肩越しにハルの方を振り返る。
私の反応の意味がわかっていないらしい彼はただただ首をかしげてこちらを見ている。
……その、ほっそりとした、華奢で儚げな様に、私はそっと聞こえないようつぶやいた。
「……やっぱり、今はまだ頼る時じゃないよね」
ーーー総司を救う方法なんて、今は全く思いつかないけれど。
それでも、やっぱり諦めたくないから。
「……頼ってばっかりなんて、嫌だもん」
ーーー私は、ハルに頼るんじゃなくて、頼ってもらえるようになりたいのだ。
見られているとは知らずに未だ不思議そうに首を傾げているハルを見ながら、私は内心そう思ったのだったーーーーーーーーーー。




