第148話 ハルの約束
【桜庭瑞希】
「……ごめんなさい」
ーーー前触れもなく呟かれた言葉に、私は濡らした手ぬぐいを持ったまま硬直した。
「ごめんなさい」。
それは、意識がないはずのハルが呟いた言葉。
まさか目覚めたのかと思って慌てて顔を覗き込むが、その気配はない。
だが、その顔を見て、私はハルの目蓋の端からポロリと一粒の雫がこぼれ落ちたことに気がついた。
「泣い、てる……? 」
誰かに謝罪しながら泣いている。
ーーー誰に?
「……ごめんなさい」
また、いくつかの雫と共にうわごとのような言葉がこぼれ落ちた。
ただ、聞いているだけで胸が締め付けられるような声に、私はどうしたらいいかわからず立ち尽くした。
ーーー前にも、ハルは眠りながら、夢の中で誰かに謝罪していたことがあった。
何度も。
何度も。
繰り返される謝罪の言葉。
いったい、彼の過去に何があったのだろう?
ハルは、これほどまでに、誰に謝罪しているのだろう?
ーーーそれは。
ーーー私の知らない人。
「……っ……」
なぜだろう。
なぜ、私は悲しんでいるのだろう。
ハルのことを何も知らなかったってことが悲しいの?
でも、そんなの今更じゃないか。
私は結局ハルのことは、「安倍晴明」って名前以外何も知らない。
そんなの今に始まったことじゃない。
「ごめんなさい」
ーーーハルの顔が、苦しげに歪む。
その声音はあまりにも絶望的で、悲しい響きがした。
「……悪くないよ」
ーーーその瞬間、私の口から滑り落ちるようにして言葉が溢れた。
「ハルは、悪くないよ」
君はこんなににも後悔してるじゃないか。
こんなににも悲しんでるじゃないか。
過去に何があったのかはわからないし、ハルが謝り続ける理由もわからない。
だけど、これだけはわかる。
ーーーハルは、もう十分すぎるくらいに苦しんだ。
だから、もう自分を責め続けなくたっていいじゃないか。
ーーーハルの瞼が震え、そこから菫色の瞳がうっすらと覗く。
「!! ハルっ……!! 」
「……るく、ないわけ、ないじゃないですか」
「!! 」
「悪く、ないわけ、ないじゃないですかっ……! 」
開いた瞳から、大粒の涙が頬を伝って流れ落ちていく。
「……ぼく、さえ、いなければっ……! ぼく、なんて、生まれて来なければよかったんですっ! 」
涙とともに吐き出されるその言葉は、まるで心からの悲鳴のように思えて、私は思わず叫んだ。
「それは違うっ!! ハルが生まれて来なければよかったなんて、そんなことないっ!!あるわけがないっ!! 」
自分で自分を否定するなんて、そんなの悲しすぎる。
ハルが自分を否定するなら。
そう、思ってしまうなら。
だったら私は。
「私は、ハルにいてほしいよ……。ハルが生まれてきてよかったと思うし、 ハルと出会えたことが嬉しいって思うよ! 私なんかじゃ満足できないかもしれないけどっ! それでも、それでもっ……」
ーーーそんな悲しいこと言わないで。
「……ハルのこと、必要としてる人だっているんだよ……」
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【安倍晴明】
「……ハルのこと、必要としている人だっているんだよ……」
瑞希さんは今にも泣き出しそうな顔でそういった。
ーーーどうして。
ーーーどうしてあなたはそんなことを言うのですか?
平安にいた時は、たとえ何か役に立ったところで、形式的な礼ですらそんなことを言う人はいなかったのに。
誰もが僕を「化け物」と呼び、「異端」として恐れた。
ーーーいなくなればいい。
そう言っていたのは人間の方でしょう?
ならば、僕自身も同じことを思っているのだから、それでいいではありませんか。
「瑞希、さんは……どうして……僕を必要などと言うのですか? 僕の代わりなど、いくらでも、います。新選組の、役……立っている、わけでもない。なら、ば……」
「そんなの、決まってるでしょっ!! 」
ーーー僕の質問へかぶせるようにな瑞希さんの言葉が重なる。
「ハルは、仲間だからっ!!私の、皆の、大切な友達だから。っ!!それ以外に理由なんていらないでしょ! 」
「!! 」
仲間……?
友達……?
「そんな、わけ……」
「ハルが信じられないなら、何度でも言うよ。私は、ハルのこと、大切な仲間だって思ってる」
「ううん、私だけじゃない。みんなだってそうだよ。私がここに来る前、山南さんがハルのこと、一晩中看病してくれたんだよ?土方さんも、原田さんも、みんな心配してた。ハルは、必要とされてるんだよ」
「だから、さっきみたいなこと、二度と言わないで。前にも約束したよね?そんな、自分を化け物だなんて言わないでって。それと同じだよ、ハル」
「お願い。お願いだよ、ハル。もう、そんな風に、自分を卑下しないで。そう、約束して……? 」
瑞希さんは少し早口に、まくしたてるようにそう連続して言う。
その、僕を見下ろす瞳は誰よりもまっすぐで。
けれど今にも涙がこぼれ落ちそうで。
「っ……」
トクリ、と、心の臓が大きく音を立てる。
ーーー同時に、何とも言えない、凍てついたものすらも溶かしてしまう暖かさが心を満たしていく。
それをもたらしたのは……。
「……いです」
「ハル……? 」
「ズルいです、瑞希さん」
ーーー本当に、あなたはズルい人です、瑞希さん。
「そんなこと、言われたら……約束、しないわけにはいかないじゃないですか」
ーーーそんな顔されたら、何も言えなくなってしまうではありませんか。
「約束、します。あなたの望むように……」
あなたは本当にズルい人だ。
ーーーだけれど。
「うんっ!! 」
ーーーあなたが、僕のその答えで笑顔になってくださるのなら。
その答えこそが本当に正しいのだと思えるのかもしれないーーーーーーーーーーーーーー。
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作者名でやってます(´∇`)
たまーに小説関係のことつぶやくかもですので宜しければどうぞ( *´꒳`* )




