第137話 敗北
【桜庭瑞希】
ポタ、ポタ
「っ……」
ーーージンジンと熱を持った左腕から、赤い雫がこぼれ落ちる。
「……あ、あ……」
呆然とした調子で、「金毛九尾」が小さな呻き声を漏らした。
ーーーその右手に持つ刀の先には今さっきついた私の血が滴っている。
けれど、「金毛九尾」の顔は狐面で隠れて見えないにもかかわらず、彼が私の左腕を見ていないことはわかった。
「あ、あ、ぼ、ボク、瑞希、おにぃさん、斬っ、ちゃ……」
途切れ途切れのその声は虚ろで、まるで壊れた操り人形のようだった。
……私の足元には、気を失った総司が倒れ伏している。
ーーーあの時。
切り札である三段突きを「金毛九尾」にたやすく避けられ、体勢を崩した総司に向け、「金毛九尾」が総司と同じ構えで同じ「三段突き」を返そうとしているのを私は確かに見た。
ーーーけれども、その後、自身が一体何をしたのか、私は覚えていない。
気が付いた時はすでに、二人の間に入って左腕へ傷を受けている自分がいた。
ーーーしかし、私が受けたのはそれだけではない。
私の左腕の傷は、「金毛九尾」の「三段突き」の二打目。
その前の一打目で、私は胸を貫かれたーーーはずだった。
……その時の感覚だけは覚えている。
何かが割れるような音ともに、胸を軽く叩かれるような衝撃を受けたのだ。
まるで、迫ってきた刀と私の体の間に、空気の層があって、それが当たったかのようなーーーーーーー。
その直後、二打目として左腕に焼きつくような痛みが走ったのだが、実質受けたのはそれだけで、命に別状はない。
ーーーけれど。
「……ああ……殺し……」
「身代わり」の効力を知らない「金毛九尾」は、私の目の前で、呆然とした、うわ言のような声を漏らしている。
人を殺めることになんのためらいも見せないこの少年がこうまで動揺しているのは、「悪人だけを殺す」というアイデンティティーに反することをしてしまったことへの衝撃なのかもしれない。
ーーーと、その時。
「っ……!? 」
ゴウッ、と音を立て、突如、飛ばされそうになるほどの強い風が吹き荒れた。
「なに!? 」
わけがわからず叫ぶが、しかし、それはほんの一瞬でやんでしまった。
ーーー「金毛九尾」は何処にっ!?
慌てて思わず閉じてしまった瞼を開き、周りを見渡す。
……が。
「え……うそ……」
ーーー狐面を被った少年の姿はもうどこにもなかった……。
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【蘆屋道満】
「なんて無茶なことを……」
あの「金毛九尾」にたった三人で挑むなんて。
あれは人の身でどうこうできる相手ではないというのに。
ーーー現に、私自身も、呆然自失状態の彼を他の場所へ飛ばすことしかできなかった。
もし、戦闘になった時、私では対処できない。
私がここで倒されるわけにはいかない。
これ以上の手助けはできないわ。
とにかく、今はせめて死ななかったことを幸運に思う他ない。
もちろん、三人とも重症だから、放っておけば死は免れない。
桜庭瑞希がまだ動ける傷で済んでよかった。
「けれど、今はそれより……」
ーーーなんて無茶なことをしたのっ、晴明っ!?
「身代わり」を4つも渡すなんてっ!!
まだ、「岩城升屋」の時に使ったものだったならまだよかった。
けれど今回のは、受けた傷や痛みを全て術者が肩代わりをするもの。
そんなものを4つも渡して、それが同時期使用されれば、弱ったあなたの体では持つはずがないのに……!!
「……どうして、晴明? 」
ーーーなぜ、あなたはいつもそうなの?
自身を犠牲にして。
まるで、自分の命に価値がないかのように。
あなたは、出会った時からずっとそうだった。
「あの事件」が起きる前から、ずっと。
「……晴明」
彼の「気」が、急速に弱まっている。
それが消えた時、彼の命の灯火もまた、消えてしまう。
「それでも私は」
私では、どうすることもできない。
ーーーただ、なんとかもってくれることを願うしかできない。
ーーー「あの事件」の時と、同じ。
私は結局、なにもできない。
「なにひとつ、できなかったっ……!! 」
ーーーどうして、こうまで世の理は不条理なのだろうか。
なぜ、この世を創ったという「神」とやらは、こうまで残酷なのだろう?
「……だから私は、神など信じない」
ーーー私は、私の大切な人たちの小さな願いすら叶えない神など、信じない。
だからこそ、私は自分自身の力で、変えてみせる。
ーーーこの世の、どうしようもない不条理を。




