第136話 満身創痍
「……ああ……」
ーーー私は、目の前の光景に、茫然自失していた。
「……逃げ、て、くだ、さいっ……瑞希っ……!! 」
「……へぇ?まだ喋る元気があったんだ? 」
「がっ!! 」
何度も叩きつけられた上に脇腹も抉られ、苦痛に顔を歪めながら地面に倒れ伏した平助君を、「金毛九尾」が笑いながら踏みつける。
「金毛九尾」との戦闘が始まり、すぐにみんなの「身代わり」が使われてからまだ四半刻もたっていない。
ーーーけれども。
三人と「金毛九尾」の力量差は歴然だった。
「金毛九尾」の隙をついたはずな一と平助君の剣はいともたやすくかわされ、その後の総司の剣ですら、全て弾かれた。
それでもなお、「金毛九尾」が全く本気を出していないことが私やみんなにも手に取るようにわかる。
「金毛九尾」の人と思えぬ剣撃、スピード、技に圧倒され続け、血まみれになっていく三人を、私はただただ呆然と見ていることしかできなかった。
「……く、そっ……!! 」
刀を地面に突き立てて体を支えながら、総司が「金毛九尾」を激しく睨みつけている。
彼もまた、打ち合いの傷で満身創痍の状態で、もはや、いつ倒れてもおかしくないほどに追い込まれていた。
「……すま、ん……瑞希……」
「喋っちゃダメだよっ、一っ!! 」
ーーー私の右手の先には、どす黒い血に濡れた一がいる。
その、腹に受けた大きな裂傷から溢れる血が傷口を、袴を包帯代わりにして押さえている私の右手を際限なく赤へと染めていく。
「最後に残ったのは大きなおにーさんかぁ。ははっ、頑張るねぇ? 」
「……うる、さいっ」
「あーあ。本当はここまでやるつもりはなかったんだけどなぁ。おにーさんたちがあんまり必死になってかかってくるから、思わず力が入っちゃった♪ そのことは誇っていいよ? 」
「……」
喜色を含んだ「金毛九尾」の言葉を無視し、総司は覚悟を決めるような視線を向け、刀をあの「見覚えのある形」に構えた。
「……ふーん、まだやる気なんだ」
その特徴的な構えを見て、「金毛九尾」が楽しげに唇を歪めた。
「総司……っ!! もういいよっ!!もうやめて!! 」
ーーーこれ以上戦ったところで、私たちに勝ち目などない。
「金毛九尾」には、私たちに対する殺意はない。
ここでひけば殺されることはないだろう。
……けれど。
「……瑞希君は黙ってて」
「っ!! 」
総司の冷ややかな声が突き刺さる。
ーーー総司の瞳には、いつの日か見たような暗い、けれども燃え盛る炎のような狂気が宿っていた。
「いいね、その目。おにーさん、最高だよ!! 」
それに対し、「金毛九尾」はまるで新しい玩具を与えられて喜ぶ幼子のようなはしゃいだ声をあげる。
「……やめて」
ーーー私の願いは、届かない。
両者はまるで、この世界に2人しかいないかのように、刀を互いへ向けた。
ーーーそして。
「はぁああっ!! 」
総司が走り出し、刀を引く。
「三段突き」。
追い詰められたからなのか、はたまたこれまでの斬り合いによってなのか、普段以上に精度の上がった太刀筋が、目にも留まらぬ速さで迫りーーーーーーーーーーー。
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【安倍晴明】
「っ、う……くっ」
心の臓が、まるで熱した鉄の籠手で握りつぶされているような痛みを発している。
その痛みは時間が経つにつれ、全身を蝕み始めていた。
ーーー気が狂いそうな痛みで、息すらもままならない。
「あ、ぐっ……!! 」
……三人の「身代わり」がほぼ同時刻に使われたのだろう。
あの三人が一瞬で怪我を負わせられるなど、「金毛九尾」と鉢合わせた以外ではありえない。
その事実を、はやく他のみんなに伝えなければならない。
けれど。
「っ、うっ」
ーーー体が、自分のものではなくなったような感じがする。
思考のほとんどが苦痛に支配されている。
畳に倒れ伏したまま、起き上がることはおろか身じろぎ一つできない。
ーーーこの痛みの原因は決して「身代わり」が一気に使われたせいだけではない。
もともと、妖力が安定していなかった身で予想外の苦痛を受けたことにより、体内において、妖力が爆発的に暴走しているのでしょう。
ーーー「あの日」、自身の罰として受けたあの縛りのおかげで暴走した妖力が外へ放出されなかったことだけが救いです。
もし縛りがなかった時、今の僕にそれを止めるすべはないのだから。
「……や、く、伝え、ないと……っ!! 」
ーーーけれども、体は意思に反し、ほんの少しの動作すら受け付けない。
あまりの不甲斐なさに涙が零れ落ちた。
ーーーと、そこへ。
タッタッタッタッタ
「……クソッあいつらが全然帰ってこねぇっ!! ーーーおい、小鳥遊!!開け……おいっ!? 小鳥遊!? 」
開けっ放しの襖から、焦った様子の土方さんが飛び込んでくる。
「小鳥遊っ!? お前どうしたんだっ!? 」
「……ぶ、ない」
「おい、ちょっと待て、なんて言ったんだ? 」
「……みず、き、さん……たち、が、あぶ……ない」
「!! 」
ーーーだからはやく彼らの元へ。
そう伝えるべく、口を開いた瞬間。
「っ!!あ、ぐっ!! 」
ーーー貫くような痛みが心の臓を走り抜け、思わず悲鳴とともに咳き込んだ。
「っ、ぐ、ゲホゲホゲホッ!! 」
口元を手で押さえ、それから何度も咳き込む。
ーーー土方さんと後からやってきたらしき誰かが何かを叫んでいるようだったが、激しい頭痛と耳鳴りで聞こえない。
「ゲホゲホッ、か、ふ」
ーーー口元を抑える右手にドロリとした温かいものが触れ、鉄錆の匂いが鼻腔を貫く。
「っ、う……」
苦し紛れに、朦朧とする右目を開けて確認すると、真っ赤に染まった手のひらが視界の端に写る。
ーーーこれは、さすがにまずいかもしれませんね。
……けれど、それはそれでいいかもしれません。
そう、苦痛に支配された頭の片隅で思ったのと同時に、体が急速に冷え、視界が赤黒く染まっていくのを感じたーーーーーーーーーーーーーーーーー。




