第117話 時を越える代償
【桜庭瑞希】
「ただいま〜」
「ああ、おかえり、瑞希ちゃん。楽しんだ?」
「うん!お菊ちゃんにも会えたよっ!」
酔いつぶれた面々をなんとか引きずって帰ってきた私は上機嫌に飛び込み、部屋で待っていた総司に遊郭での出来事を話していた。
「いやぁ、やっぱり晴明君、全然酔わないんだよね〜。土方さんなんて、すぐに酔いつぶれちゃったのに。一がまた晴明君と飲み比べして負けてたし」
「ふぅん?まぁ、あれは規格外だと思うね、僕は」
「だね!……って、あれ?総司……?」
「なに?」
ーーーなんか……。
「なにか、あった?」
「……。何かって?」
「いや……なんとなくそんな気がしたんだけど、気のせい?」
「……気のせいじゃない?」
ーーーうーん。
なーんか、総司の雰囲気がさっきまでと違う気がするんだけど……気のせいかなぁ?
「……ねぇ、瑞希ちゃん」
「ん?」
ーーー総司?
「……あ……いや、なんでもないよ」
何かを言いかけ、それを笑顔で誤魔化す総司。
ーーーいったい、どうしたんだろうか?
「言いたいことがあるなら言ってよ。気になるじゃん」
「……。……瑞希ちゃん、さ」
「うん」
「……もし、元の時代に戻れるとしたら……今すぐ戻りたい?」
「え……」
ーーー元の時代。
戻る?
「なんで、そんなこと……」
「……答えて、瑞希ちゃん。君は、戻りたい?」
ーーーこちらを向いた総司の瞳が、何かを恐れるように、問いかけてくる。
「……帰りたい」
「っ!!」
「……ここにきた直後の私だったら、たぶんそう言ってた」
「え……?」
ーーータイムスリップ直後だったら。
「でも、今はそうは思わないよ」
「……どうして?」
「出会っちゃったからだよ。みんなに」
「!!」
ーーー今帰ったら。
みんなを救うことができない。
一番助けたい人たちが、助けられない。
「だからね、総司。私は、たとえ今すぐに帰れたとしても、帰らないと思う。まぁ、今すぐ帰ることなんてできないっていうのもあるけど、やっぱり私はまだこの時代でやりたいことがあるからさ」
「……そっか」
ホッとしたような表情で微笑む総司は、まるで捨てられた子猫のようで、私はそんな彼が少しだけ可愛いと思った。
ーーーもちろん、口には出さないけれど。
「それにしても総司、突然どうしてそんなことを?」
「……いや、なんとなくだよ。別に深い意味はないから」
「ふーん?……でもまぁ、ちょっと嬉しいかも」
「は?」
ーーーいやいや、そんな不審なものを見るような目で見なくても。
「だって、総司、私が返っちゃったら寂しいって思ってくれてるってことでしょ?少なくとも、そのことが少し気になるくらいには」
そうじゃないと、そんなこと聞かないもんね。
「私、総司に少しは必要だって思ってもらってるんだなぁってさ。ちょっと嬉しかったよ」
「……少しなんかじゃないんだけどね」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんでも。ただ、瑞希ちゃんは鈍感だなぁってさ」
「あ、今ちょっとバカにしたよねぇっ!?」
どうしてこう、いつもいつも綺麗な終わり方しないのかな!?
「さーてと。僕はもう寝るよ、瑞希ちゃん」
「え、あ、もうこんな時間!?」
ーーーまんまるい月がすでに南中すぎて西に傾きかけてるじゃないか!!
「私も寝ます!おやすみなさい、総司!」
「ん、おやすみ」
ーーーうーん。
確かに。
横になると……。
眠……い……。
かくして、大阪に来てから色々と忙しかったせいか、私の意識は即座に夢の世界へと誘われるのだったーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
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【沖田総司】
「……瑞希ちゃん?……もう、寝ちゃったんだ。早いなぁ……」
ーーーよっぽど疲れてたんだね。
幸せそうな寝顔を覗き込んでも安心しきっているのか、起きる気配は全くない。
「ん……」
ゴロリ
「っ……」
ーーー胸元、見えてるんだけど……。
なんでこう、君っていつもいつも無防備なのかなぁ?
……人の気も知らないでさ。
「……ちょっと頭冷やしてこよう……」
ーーーこのままここにいたら、自分を抑えていられる自信はないや。
小さく溜息をつき、そっと襖を開けて庭に面した縁側へ出る。
「……今日は満月か」
ーーーどうりで外が明るいわけだ。
「せっかくの綺麗な満月だよ。……さっさと出てきたら?」
「……気づいていましたか」
ちらり、と左のほうに視線をやると、苦笑を浮かべた晴明君が姿を現わした。
「ふん。僕が君の存在に気がついてることすら、君は気づいていたくせに。何を白々しい」
「さぁ?なんのことでしょう?」
「……君って、結構いい性格してるよね。それで?僕に何の用?」
ーーー世間話しに来たわけじゃないでしょ?
僕の問いに、ほんの少しだけ驚いたように紫の瞳を見開き、彼は肩をすくめた。
「あなたも大概ですよ、沖田さん。……今晩はどちらにいかれていたのでしょう?」
「……」
「その様子だと、何かあったようですね」
「……なんのこと?」
「……あの子に……道満に会いましたか?」
「……」
「答えなくて結構ですよ。どうせ、あの子のことです。あなたが喋れないようにしているでしょうし。……あの子だって、僕に本当に気付かれていないとは思っていないでしょう」
「……だったらどうして君から会いに行こうとしないの?」
「……それは無理な話です。あの子は身を隠す術において、僕よりも長けていましたから。彼女の『異界』には、たとえ僕でも、多少無理をすればともかく、そうそう本人の許可なく入ることはできません。『異界』に彼女がいる以上、手出しはできませんし、たとえ出てきたところで、あの子を見つけ出すのは難しいでしょう」
「……ふぅん?その子も、陰陽師なんだ?」
「……ええ。あの子に陰陽術を教えたのは僕ですから」
「へぇ? ……ねぇ、今思ったんだけど、君とその子の関係ってなんなの?」
ーーーその様子だと、兄妹ってわけでもないよね?
「……友人、ですよ」
「……そう」
「……僕は、正直、別に元の時代に戻れなくても構わないのですよ。僕はもともと、あの時代に執着はないのですから」
「!!」
「道満が今、何をしようと動いているのかはわかりません。それは気になるところですが……僕に、それを邪魔するつもりもありません。あの子はやっと自由を手に入れたんです。だから、あの子の思うようにさせてあげたい。……これは僕の勘ですが、おそらく、僕と瑞希さんをこの時代に送り込んだのは道満ではありませんよ」
「!どうして……」
「あくまでこれは勘です」
ーーークスリと笑い、彼は空を仰ぎながら言った。
「とにかく、僕は道満の目的が達成されるまで動くつもりはありません。もちろん、瑞希さんが強く帰りたいと望んでいたのであれば、彼女だけは元の時代に戻してもいいのですが……」
「っ!!」
「……けれど、それはいらぬお節介のようですから」
ハッとして晴明君の顔を見ると、彼は何もかもを見通すような瞳で微笑んだ。
「……それに、時を超える術というのは、正直、そう簡単に使えるものではありません」
「それは……代償が必要だから? 」
「ご存知でしたか」
「まぁね。それで、その代償ってなんなの?僕もそこまでは知らないんだよね」
命じゃないとは言ってたけどさ。
何故か教えてもらえなかったんだよね。
「……時を超える術は、一部の陰陽師のみが知り得る秘術であり禁術、僕の口から詳しくお教えすることはできませんが、あえて申し上げるなら……そうですね……時間、でしょうか」
「時間?」
「ええ。それ以上は、なんとも」
ーーー時間、ねぇ?
「寿命が縮むとかじゃないよね?」
「ああ、それはありません。……むしろ、その逆に近いですし」
「え?」
「いえ、なんでもありませんよ」
「……まぁ、代償の内容はいいよ。ちなみにさ、その代償を被らないで時を超える方法はないわけ?」
「……ありますよ。……ひとつだけ」
「えっ!?あるの!?」
「といっても、ほぼ不可能ですが」
「それ、どんな方法?」
「時を代償なしに超える方法はただ一つ。この方法は、短時間の移動、例えば数日時を超える時には使えません。最低、千年は越えないと不可能です」
「せ、千年……。それで?」
「ーーーその方法を行う条件は全部で3つ。一つは先ほど申し上げたとおり、千年以上の時を超えること。二つ目は、術者が行きたい『時象』に、術者が時を超えることを強く望む人間がいること。そして、三つ目は、その両者が一度も時を超えるための代償を払っていないこと。その3つです」
「……それ、不可能だよね?」
だって、時を越えてない、つまり会ってもない人に来て欲しいなんて望む人、いないし、こちらから行きたいとも思わないよ?
「ええ、その通りです」
「……まぁ、その話はもういいや。だんだんわけがわからなくなってきたし。それよりさ、君、本題に入りなよ」
「……そう、ですね」
ーーー僕の言葉に、晴明君の顔から笑顔が消える。
その表情はさっきまでとは打って変わって真剣なものだった。
「山南さんに、『失せ物の相』がでています。早急にそのことについて、瑞希さんにお聞きする必要があるでしょう」
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【安倍晴明】
ーーー「時廻り」の代償。
それは、「彼女」との約束がある限り、僕には払えない。
ーーー「あなた」との、最期の約束を、違えるなんて、僕にはできません。
僕は、「あなた」の願いを、叶えたままでいたいからーーーーーーーー。




