第110話 胎動
【桜庭瑞希】
「……眠れない……」
土方さんの部屋を出た後、身支度をして寝る準備こそしたものの、体は疲れているはずなのに妙に目が覚めてしまった。
結局何度かの試みののち、寝ることを諦めた私は庭に面した縁側に腰掛け、明るい星の散った空を見上げた。
平成の日本では、田舎でも見られないような絶景といえる、けれどこの時代では当たり前な夜空をぼんやりと眺めながら、私はそっとつぶやいた。
「土方さんたち、大丈夫かな……」
私の思いは届いたのだろうか?
ここで2人が歩み寄ってくれれば、山南さんの死の未来を回避できるかもしれない。
いや、違う。
絶対に回避しなくちゃならないんだ。
ーーー仲間内で殺し合うなんて、そんなの、か悲しすぎる。
「はぁ……」
「ーーーため息つくと幸せが逃げるよ、瑞希」
「!!」
ーーー突然かけられた声に、驚いて、声がした方を振り返ると、そこには柱に寄りかかるようにして立つ原田さんがいた。
その落ち着いた紫の着流し姿は驚くほどに艶やかだった。
「隣、いいかな?」
「え?あ、はい……」
原田さんは平助君と同室だ。
ということはつまり、今晩のことは平助君に聞いていて知っているはず。
ーーーけれど。
「ああ、今日はよく星が見えている。明日は晴れかな?」
ーーー原田さんはそれを知っているそぶりは一切見せずに、そう言って笑った。
「……原田さんは……」
「ん?」
「……いえ、その……」
「なんだい、瑞希?」
「……今晩のことは、平助君から聞いてますよね?その……聞かないんですか……?」
ーーー聞いて欲しくないくせに、私はそんなことを言う。
矛盾に満ちた問いだけれど、私は聞かずにはいられなかった。
「聞かないよ」
「……どうしてですか?」
原田さんはこちらをちらりと見て、口元にほのかな笑みを浮かべた。
「……俺は、瑞希を信じているから」
「え……?」
「瑞希は、それくらいじゃあへこたれないってね」
「!!」
ーーー驚いた顔をしているであろう私の頭を、原田さんは笑って軽く数度叩いた。
「成長したね、瑞希」
「成長……?」
「そう。だって、泣いてないから」
「あ……」
そうだ。
私は人を斬ったけれど、今回は泣くことはしなかった。
「もう、私は後悔しないと決めたんです。私は、仲間を守るために人斬りになる。そう、決めたから」
「そっか」
原田さんは私の答えに、一瞬目を見張ったが、すぐに満足げな笑みを浮かべた。
「……土方さんも、君みたいに素直だったら良かったのにね」
「!! 」
「ほんと、馬鹿だよ、あの人は……。自分だけ鬼になったって、山南さんは喜ばないどころか、逆効果になるだけだよ」
「……気づいて、いたんですか」
顔を上げて原田さんの顔を見上げると、彼は小さく頷いた。
「まぁね。土方さんなら考えそうなことだと思ったから」
ーーーこの人、ただの変態色男かと思っていたけど、案外鋭いのかもしれない。
「瑞希、今失礼なこと考えたでしょ」
「ギクッ……いいえ? 考えて……ないですよ? 」
「……その間はなんだい」
呆れた表情で見下ろしてくる原田さんから、私は逃げるように視線を逸らした。
「……俺は」
「はい?」
「……瑞希が、仲間を守るために刀を振るうのならば、俺は瑞希を守るために刀をふるうよ」
「え?」
ーーー私を、守るため?
それって、つまりーーーーーーーーー。
「むぅ。ひどいですよ原田さん」
「はい?」
「『私を』って指定するってことは、つまり、私が新選組の仲間たちの中で一番弱いって言いたいんですね?」
「……」
「ひどいですよっ、まったく!私は原田さんに守ってもらうほど弱くないですよーだ!」
他の人は守らなくても良くて、私は守らなきゃいけないなんて、失礼な。
「はぁ……。そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ……。まぁ、瑞希だし、仕方ないか」
「はい?なんか言いましたか、原田さん?」
「いーや、なんでも」
「???」
ーーーなんで原田さん、こっちを呆れたような顔で見ているんだ?
「さて、と。そろそろ俺は部屋に戻るよ。もう10月だし、薄着でいたら風邪をひきかねないから。…………それに、これ以上こんな時間に瑞希のそんな姿見ていたら、さすがの俺も自制できそうにないし」
「?はい」
ーーー最後の方は聞こえなかったんだけど、なんて言っていたんだろう?
はて、と、首をかしげた私に、またまた呆れた視線を投げかけ、原田さんはひらひらと右手を振りながら立ち上がった。
「じゃあね、瑞希。おやすみ」
「あ、はい!おやすみなさい、原田さん!」
手を振り返し、私はそう叫びながら原田さんの背を見送るのだったーーーーーーーーーーーーー。
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ーーー翌日の朝。
いつもよりも早く目が覚めた私は、暇つぶしに道場へとやってきた。
ヒュン
ヒュン
竹刀を右手に持ち、突きの練習を繰り返す。
「!!」
と、誰か人の気配に気づき、後ろを振り返ると……。
「ああ、気づかれてしまったか。さすがだね、瑞希君」
「!!山南さん……」
ーーーすでにきちんと身なりを整えた山南さんは、目が合うと、そう言って穏やかな笑みを浮かべた。
ーーーその笑顔の中に、暗い影は見当たらない。
あの後、土方さんと無事に仲直りすることができたのだろうか?
「朝から稽古、ご苦労様。もうすぐで朝食の時間だからいつもの部屋に来なさい」
「え、もうそんな時間!?」
ーーー時計ないから気づかなかった!!
危ない危ない。
「すみません、急いで準備しますっ!!」
「ははは。そう焦らなくていいよ。まだ準備の時間は十分にあるから。……それとね、瑞希君……」
「はい?」
「……昨日はありがとう」
「!!」
ーーーそれって……。
ーーーそっか。
ちゃんと、二人は思いをぶつけあえたんだ。
「どういたしましてっ!!」
なんとも言えない歓喜に身を震わせながら、私はそう、めいいっぱいの笑みを浮かべた。
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【???】
ーーー始まる。
ーーーもうすぐ。
ーーー私が何度も繰り返してきた「分岐点」。
桜庭瑞希は、私の予想をはるかに超える働きをしてくれた。
「あの人」の心の闇を晴らしたのだから。
けれど。
まだ、足りない。
「あの人」の「結末」を変える。
そうすることで、私の計画は完遂される。
そのためならば、私はどんな手段も厭わないわ。
「……沖田総司」
あなたの、桜庭瑞希への思いを利用する。
すべては、「あの人」を生かすために。
そして、その先の未来を確立させるために!!
「晴明」
私は、あなたには、絶対に幸せになってほしい。
ーーーもう、あなたは十分すぎる不幸を味わったんだから。
ーーーそのためなら、私は何でもする。
それがたとえ、人を利用することだとしても。




