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Dark of the moon 〈another episode〉  作者: 五十鈴 りく


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3/15

*在りし日に*〈C1/16~〉

 十三年前のティーベット視点です。

 よくあることだった。

 なのに、その日は避けられなかった。


 俺は作業現場の通路に置き去りにされた道具箱に蹴つまずいて、その場でうずくまった。靴を履いた指先は、堅い鉄の道具箱との衝突に悲鳴を上げる。ジンジンと痛む指先を押さえていると、とたとた、と小さく軽い足音が近付いて来た。


「さふぃー、だいじょぶ?」


 舌っ足らずな女の子の声。まだ三歳だ。それも仕方がないのはわかる。

 俺が気になったのは、そんなことじゃない。ただ――。


「誰が『さふぃー』だ! 変な呼び方すんな!」


 俺を心配して駆け寄り、顔を覗き込んで来た女の子を、俺はにらみ付けて凄んでいた。俺の体格は人よりも無駄にでかく、大工という仕事で更に鍛え上げられたお陰で筋肉が付き、それに伴ってか顔も厳つい。

 だから、そんな俺ににらまれたら、大抵の幼い女の子は間違いなく泣いてしまう。けれど、その女の子はいつもふてぶてしかった。


「え? ちがうの?」


 不思議そうに青く大きな瞳で、しゃがんでいる俺を見上げている。


「ほら、ティーベットって呼べって言っただろ」

「てーべっと」


 『ふぃ』が言えて、何故『てぃ』が言えない。


「さふぃーでいい?」

「よくねぇ!」


 俺が怒鳴ると、いきなり背後から岩のような拳骨が降った。あまりの衝撃に、目の前を火花が散る。けれど、その子はおびえるどころか喜んでいた。当たり前か。何せ、その拳骨のぬしは、その子の父親だ。


「おとーさん!」


 きゃ、きゃ、と嬉しそうに飛び回る女の子を、彼女の父親――レブレムさんは抱き上げた。レブレムさんは少しだが、俺よりも更にでかい。筋骨隆々なのに、どういうわけだか愛嬌があるというのか、不思議な人だった。基本は朗らかだが、娘のレヴィシアが絡むと人格が変わる。


「おいコラ、サフィー! サフィエル=ティーベット! うちの娘を苛めるとはいい度胸だな!」


 俺の最大のコンプレックス。厳つい外見に似合わない可憐な名前。

 大抵、フルネームを名乗った時は爆笑される。そして、笑ったそいつを殴るから、俺は気の荒いやつと思われるのだった。俺は頭をさすりながら立ち上がる。


「苛めてませんって。あの、ここに道具箱放置したの、レブレムさんですよね?」

「ん? あ~、そうかも」


 やっぱり。

 この人、面倒見がよくて頼り甲斐はあるが、大雑把で適当な部分もある。片付けが苦手で、作業が終わると片付けを忘れて次に進んでしまうのだ。


「おとーさん、さふぃー、いたそうだったよ」


 レブレムさんの肩の上でレヴィシアは、めっと父親を叱る。そんな娘に、レブレムさんはデレデレしていた。普段世話になっている先輩だが、こうなるとコメントしづらい。


 レブレムさんの奥さんは、産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまった。忘れ形見のレヴィシアがかわいくて心配で仕方がないレブレムさんは、仕事にもよく連れて来る。子守はみんなの仕事だった。

 レヴィシアは、ごついオッサンばかりの職場でも恐れることなく好き勝手に走り回っている。可憐だった奥さんに似て、かわいいことはかわいいのだが、中身はどう考えてもレブレムさんだ。奥さんはおしとやかだった。

 まあ、外見が似るよりはよかったのかも知れない。レブレムさんとの外見上の共通点は髪の色だけだ。

 ことあるごとに、子供はいいぞ、かわいいぞ。お前も早く結婚すりゃあいいのに、と言ってくるのが面倒ではあるものの、そんな光景は微笑ましかった。


「はっはっは。サフィーは、お前がぶつからないように、先にぶつかってくれたんだよ」


 そんなわけない。


「え? そうなの?」


 もう、いい。

 足の痛みは引いた。


「それより、レブレムさん、早く足場組みましょう。日が暮れます」


 すると、レブレムさんは、えー、とぼやいた。レブレムさんがレヴィシアに構い出すと仕事が進まない。


「おとーさん、がんばれっ」


 ただ、その一言で張り切るのだが。


「よし! すぐに終わらせてやるからな。 晩メシ何がいい?」

「ん、おむれつ!」

「……早く」


 そんなやり取りをしていたら、俺まで一緒に棟梁に怒られてしまった。完全にとばっちりだ。

 でも、棟梁もレヴィシアに甘い。それは、孫をかわいがるジジイの姿だった。レヴィシアをひざに乗せ、棟梁は働く俺たちを怒鳴って指示を出した。


 そうして、一日を終える。

 平穏で、あたたかな日々だった。



 俺たちがこの時手がけていたのは、商人の屋敷だった。息子が所帯を持つので、息子夫婦のための家をということだ。

 期限まではまだまだ日があったけれど、気のゆるみは許されない。家という、他人の一生に関わるものを造り上げるのだから、真剣に向き合えと先輩はいつも言う。


 レブレムさんは、そうした人だった。会ったこともない他人のために一生懸命になれる。まるで呼吸をするような自然さで、他人を思いやることができる。だから、誰もがレブレムさんを好きだった。レブレムさんの周りには人が集まった。俺も、そうした一人だ。

 この出会いは俺の人生で最大の財産だと、口に出すことはないけれど思っていた。


 そんなある日。俺たちの手がける屋敷の建設が中止となった。


 まだ、かろうじて屋敷らしい形ができた頃。スカスカの骨組みだ。けれど、そこまでに費やした時間と労力、そして思いが泡になって消えた。


 理由がまた、くだらなかった。

 建設していた場所――王都の一番街の一角なのだが、その位置がいけないのだという。その場所に、予定されている高さの屋敷を建てると、景観を損なう。誰か、身分のあるやつがそんなことを言い出したらしい。


 そんなこと、今更だった。景観なんて、馬鹿みたいな理由、納得できなかった。他の理由があって、単なる嫌がらせだとも考えられたけれど、こうなってしまうと理由なんか重要じゃなかった。

 結局、商人に逆らうことはできなかったようだ。無理をして建てたところで、息子夫婦に嫌な思いをさせるだけだと思ったのかも知れない。


 俺たちが納得できなくても、依頼主が折れたのだから、どうすることもできなかった。

 喜んでもらえることを考えて、それだけを思って造り上げて行った屋敷。完成を見ることなく、中途半端になった、屋敷とは呼べないモノ。

 それを俺たちは、自らの手で壊しにかかった。


 レブレムさんは大金槌を振るい、屋敷の柱を粉砕した。レブレムさんは結構な怪力だから、一振りで柱は無残なことになった。もうもうと上がる土ぼこりの中で佇むレブレムさんに、俺はそっと声をかける。


「今日、レヴィシアは……?」


 レブレムさんは振り返らずに言う。


「ん。隣の家に預けて来た」


 わけは、聞かなくてもわかる。こんなところ、見せたくなかったんだろう。俺だって、嫌だ。

 レブレムさんの大きな背中は、寂しそうで、悲しそうで。

 こんな思いをするためにがんばったんじゃない。これも仕事だと割り切るしかないのもわかってる。でも、やり切れない気持ちだった。


 俺も大金槌の柄を握り締める。ドスリとそれを振り下ろした。その手の感覚に、痺れが加わる。

 何度も打ち込むと、次第にその行為はくだらないことを言い出した『偉いやつ』とやらへの怒りに任せてしまう。


 身分が高いんだか、偉いんだか知らないが、お前に人としての価値なんかない。思いやりのないお前は、いつかこの家みたいにぐちゃぐちゃな結末が待ってるだけだ。覚悟しておけ、と。

 ただ、盗み見たレブレムさんの表情は、俺のそれとは違った。

 やっぱり、憤りよりも悲しそうに見えた。


 そして、組み立てた時とは比べ物にならない速度で、屋敷はなくなった。最後に、そのなれの果ての木材を運び出す。カタカタと音を立てて荷車を引いて戻ると、レブレムさんは少しぼんやりとして元気がなかった。


「……やり切れないですね」


 俺がそう搾り出すと、レブレムさんは苦笑した。


「そうだな。こんな簡単に、偉いさん一人の意見で物事が決まってしまう。それって、どうなんだろうな」

「レブレムさん?」

「うん。もし、誰か一人が言い出したことでも、それがおかしいって言える人間がいれば違ったんだ。それができないって、すごく恐ろしいことじゃないか? みんな、当たり前に慣れてるけど――もし、王様が俺たちに死ねって言ったら、誰か止められるのか? 偉い人の意見は絶対だから諦めるのか?」


 極端なことを言い出した。そんなレブレムさんに、俺は困惑する。


 貴族が平民に横暴なことを言ったとして、それが当たり前の世の中だ。そこに疑問を差し挟むレブレムさんは少し変わっていたんだろう。当たり前のことを当たり前としたくないのは、やっぱりレブレムさんが弱者の味方だったから。


 俺はこの、造りかけの屋敷が瓦礫になった光景を眺めながら、そんなレブレムさんの言葉を噛み締めた。けれどそれは、どうにかなる問題なんかじゃない。あんまりにも大きくて、高い壁で、いくらレブレムさんでも壊せない。

 そう思った。それでも、依頼主と、その家族、作り手の俺たち、その思いを無にされて、おかしいと声を上げるレブレムさんが、俺にはすごい人に思えた。




 そして、それから十年近くの歳月が流れ、レブレムさんは気付けば一介の大工から、レジスタンス扇動者として有名になっていた。この国が、あの日の瓦礫の山のようにならないためにひた走る。


 偉い人間の意見が通り、下の者がただそれに従う仕組みを失くすために。荒唐無稽と言ってしまえばそれまでのことを、あの人は真剣に声を張り上げて唱え続けた。その理想を夢見た人たちが集った。

 俺も、常にその傍らにあった。他の誰でもないレブレムさんなら、そんな現実離れした奇跡さえも起こせるのではないかと思うことにした。


 けれど、現実は残酷で、あの殺しても死なないような人は、あっさりといなくなってしまった。


 それでも俺は、戦うことをやめなかった。

 『王様のいない国』を実現できるのは、きっとレブレムさんだけ。他の誰にも真似はできない。

 だけど、それならせめて、心優しい指導者に恵まれるよう、働きかける。凡庸な俺にできるのはそれくらいだ。あの輝きを放つほどの求心力がなくとも、優しい人である、新しいリーダーのロイズさん。

 彼なら横暴な決断をよしとしない国にしてくれる。そう、願う。


 レブレムさんにいつかあの世で出会う時、がんばったなと言ってもらえるように、この命がある限りは戦って行けるから――。

 

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