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Dark of the moon 〈another episode〉  作者: 五十鈴 りく


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12/15

*忘れ形見の少女㊥*〈Last〉

上下とみせかけて、実は中があった……。

 まず、どこへ逃げたらいいのか。

 とっさに頼れる場所がなかった。俺には、つてと呼べるものがほとんどない。

 王都なんて駄目だ。最も離れなければならない場所だ。

 俺たちは血みどろで、容易に町には近付けなかった。


 俺は夜の薄暗さに目が慣れると、浜辺に向かう。黒く闇色に染まった不気味な海に、レヴィシアを抱えたまま踏み込んだ。砂の不確かな感覚に、心がざわつく。ザザザ、と寄せる波が、ブーツの中に進入した。

 水音を立てながら、俺は海の中へ浸かって行く。今の季節、寒くはないものの、長時間浸かっていたいとは思わない。もちろん、入水するためにここへ来たわけでもない。

 血を洗い流すためにここへ来た。二人の服から、彼の血が滲み出す。一度乾きかけた血は、完全には落ちないけれど、それくらいはごまかせる。


 俺は、海水に浸りながら、遠目に見える町の明かりを眺めた。あそこでは、今、大した騒ぎになっているだろう。彼の組織はどうなっただろうか。

 気にならないわけではないけれど、俺が今、最も優先しなければならないことはこの子を守ることだから……。

 未だ目覚めることのないレヴィシアの髪や顔にも海水をかけた。止め処ない涙が、その海水を押し流すけれど。


 そうして、ようやく浜に上がる。

 俺は、町の明かりに背を向けて歩き出した。



         ※※※   ※※※   ※※※



 町に入れないとしても、小さな村ならば大丈夫だと判断した。

 俺は、レヴィシアを背負ったまま、ずぶ濡れで、昔一度だけ通ったことのある小さな村を目指す。道は薄暗く、明かりもない。血の匂いに獣が寄って来ることを危惧しながら、ひたすらに急ぐ。疲労で足がもつれ、彼女を支える腕も痺れた。


 そうして、場所もうろ覚えだったけれど、そこには確かに村があった。小さな農村だ。

 安堵のため息と共に、俺はその村の囲いのそばで声を張り上げた。


「誰か! お願いします、誰か、助けて下さい!」


 深夜であったのだ。入り口は閉じられていた。

 進入することは可能だが、それで騒がれては困る。だから、俺は正面から入るしかなかった。

 すると、ぽぅっと小さな灯りが灯り、手前の民家から人が出て来た。初老の男だった。手にはくわを持っている。


「なんだぁ?」


 顔をしかめた男に、俺はでたらめを言った。


「賊に襲われて、海に突き落とされ、妹と命からがら逃げて来たのです。どうか、少しだけ匿って頂けませんか」


 男は灯りを高く掲げ、俺の後ろを照らした。そこにはぐったりとしたレヴィシアがいる。

 俺だけなら考えたかも知れないが、少女の姿に男は警戒を解いた。


「賊って……まあいい。まずは入れ」


 柵の一角が開かれ、村の中に入れたものの、その先のことはまだ考えていなかった。そんな俺に、彼は言った。


「ここには宿なんて洒落たもんはねぇぞ。……ま、どうせ金もねぇんだろ。仕方ねぇ。来いよ」


 と、自宅に誘ってくれた。俺はそれに対し、深々と頭を下げた。


「ありがとう……ございます」


 こんな風に、頭を下げたのはいつ振りだろう。いや、初めてだったかも知れない。

 必要がなかったから。

 けれど、今は違う。俺は、俺のためではなく、この子のために頭を下げなければいけない。

 不思議と、悔しいというような気持ちは湧かなかった。本当に、手を差し伸べてもらえたことに心から感謝した。

 ルーフォと名乗った彼は、その奥方が俺たちを家に招いてくれた。奥方は、レヴィシアの姿を見るなり、両手で口もとを押さえて驚いていた。


「まずはお風呂を使うといいわ。風邪をひいては大変だから」


 びしょ濡れの俺たちに、優しい言葉をかけてくれた。風呂は裏手にあるから、と風呂を沸かしてくれる。その間に、俺は背中のレヴィシアを一度下ろそうとした。意識がまだ戻らないので、レヴィシアのことは夫人に入れてもらうつもりだった。

 ただ、ここまで意識が戻らないほど、強く打ったつもりはなかったのだが、動揺して力加減を誤ったのだろうか。


 それとも、レヴィシアが目覚めたくないと願うせいだろうか。

 目が覚めても、もう、父親はいないのだ。

 いるのは、父親の仇である俺だけ。

 現実は、彼女にとってなんの救いもない。


 下ろそうとするけれど、意識のないレヴィシアは、俺の服の背中を強く握り締めていた。不安の表れだろうか。

 服を脱いでしまおうとした俺を、ルーフォさんが押し留める。


「よっぽど怖かったんだろうな。そのままでいてやれよ」

「でも、風呂に入れてやってほしいんですが」

「兄貴なんだから、お前が入れてやればいいだろ」

「……無理です」


 そんなやり取りをしていると、奥方が戻って来た。


「用意できたわよ。着替えも置いておいたから、行ってらっしゃい」


 手伝ってくれるつもりはなさそうだ。俺は諦めて外へ出た。

 そのうち、目を覚ましてくれるはずだと信じる。




 そうして、レヴィシアを背負ったまま、裏手の小屋に入った。レヴィシアはまだ服を握っている。背中の辺りが突っ張ったままだった。

 湯気がくゆる中で、俺はとりあえず床の上にレヴィシアを下ろし、そのままの体勢で服を脱ぐことにした。ボタンのないシャツを、裾からめくり頭を通そうとした瞬間に、俺は考えるよりも先に肌でその空気を感じた。


「!」


 とっさに、脚を出してしまった。脚で、その殺意のもとを跳ね上げる。

 小さく悲鳴がして、そこから遅れてカラン、と赤い柄の短剣が床に落ちた。

 そうして、俺の眼前には、手首を押さえて俺をにらみ付ける彼女の青い双眸があった。そこには、色濃い憎しみだけがある。


 その時、俺はようやく気付いた。

 レヴィシアは、もっと早くに意識を取り戻していた。ただ、俺が油断し、確実に息の根を止められる瞬間を、眠った振りをして待っていたのだ。

 父親にすがって泣いていた時の弱々しさはなく、今は大人でさえも怯むような激しさを俺に向けている。その引き結んでいた唇から、小さな声がもれた。


「――あたしを兵士に引き渡すんでしょ? その前に、絶対に仕留めるつもりだったのに」


 兵士に?

 違う。俺は彼の遺言を聞き入れて、レヴィシアを逃がすつもりで連れて来た。

 なのに、誤解だという一言が言えなかった。

 この子にとって、俺はどうしたって憎しみの対称でしかなくて、今更何を言っても、その感情が和らぐことはない。言葉を重ねれば重ねるほど、こじれてしまう。

 押し黙ると、レヴィシアは更に言った。


「……あなたなんて、死ねばよかったのに」


 幼い、かわいらしい声がそう言った。


「お父さんにはやらなくちゃいけないことがあったの。死ねばよかったのは、あなたの方じゃない」


 本当に、その通りだ。

 けれど、もう、取り返しはつかないから。


「……風邪をひかないように、風呂に入るといい。新しい着替えはここにあるから」


 そんなことしか言えない。

 レヴィシアは、無言で俺をにらむだけだった。


「俺は外で待っている。逃げたりしないから、君の気の済むようにすればいい」


 そうして、俺は言葉通り外で待つことになった。




 ここで、刺されて死ぬという選択はどうだろう。

 ただ、心残りがあるとするならば、それはシュゼのことだろうか。

 俺と同じで、孤独なあいつが。


 ――いや、本当は、わかっている。

 あいつは、俺なんかよりもしっかりしていた。あいつの心配なんて、上辺だけだ。


 俺は、そんな素振りであいつを自分よりも下において満足していた。

 あいつなら、俺が戻らなくても逞しく生きて行ける。いくらだって、差し伸べて来る手があるはずだ。

 何もそれは、俺じゃなくてもいい。俺よりも、もっとまともなやつがいる。あいつは、俺には勿体ない。

 ただ、幸せになってくれたら、それで……。


 勝手だと、怒るかも知れないけれど、彼の血に濡れた自分では、二度と会えない。会うのが恐ろしい。会わせる顔なんてないから、俺のことはもう、忘れてくれたらいい。


 会えないと思った途端、こんなにも自分は彼女のことが好きだったのだと気付いたけれど、遅すぎる。

 もっと大事に、あの声に耳を傾けなかった。

 すべては自分のせいで、このやり場のない想いも、罰なのだから。




 そうして、俺が交代に風呂に入った時、レヴィシアが外で見張っている気配がしていた。けれど、どうやら夫人が食事を用意したと言って彼女を連れて行ったようだ。少し、戸惑ったような声が聞こえた。

 そうして、風呂から上がった俺はそちらに足を向ける。借り物の服は丈が足りなかったけれど、贅沢は言えない。そういえば、レヴィシアも、夫人の服はぶかぶかだった。


 窓から中を覗くと、レヴィシアは、親切な夫婦に対し、微笑んでうなずいていた。あんなことがあった後だというのに、強い子だと思う。俺たちの事情を、この夫婦に出して嫌な思いをさせたくないのかも知れない。本来なら、あんな風に笑って、幸せな日常の中にいることが似合う子なのに――。

 俺が踏み込むと、レヴィシアは一瞬、ハッとした表情になったけれど、改めて笑い直した。その笑顔の裏にあるものを、俺は間違ってはいけない。


「おかえり、『お兄ちゃん』」

「ああ、ただいま」


 少なくとも、ここの人たちに迷惑をかけることは、俺にとっても本意ではない。

 上辺だけ取り繕い、俺たちは『賊に遭ったかわいそうな兄妹』を演じた。そうして、食事と寝床にありついたのだ。



 この家を血で汚すことはしたくない。レヴィシアはそう判断した。

 用意された部屋は同室だったけれど、二人きりになったからといって、レヴィシアが再び短剣を向けて来ることはなかった。ただ、俺がいては眠れないだろう。そう思って出て行こうかと思ったけれど、逃げたと思って追いかけて来るのでは、結局眠れないのだから同じことだ。

 そう思って、俺は部屋の片隅で眠った振りをすることにした。先に眠れば、彼女も気を緩めることができるのではないかと。


 レヴィシアはまだ幼い女の子だ。

 体も精神も、本当は悲鳴を上げているはずなのだ。

 案の定、気が抜けたのか、レヴィシアはあっさりと眠ってしまったようだ。それでも、俺はしばらくそうしていた。動かずに、ただじっと。もしかすると、そのまま眠っていたのかも知れない。


 けれど、小さなうめき声で我に返った。

 明らかにうなされている。

 憎しみのこもったあの瞳は伏せられ、代わりに涙がぼろぼろとあふれる。起きている時は気丈に振舞っていた。それが、どれだけの我慢の上に成り立っていたのか。

 俺は自分の浅はかさを呪いながらその声を聞いていた。


「おとう……さん。……お、とう……さん……」


 その寝言と涙は、刃を向けられる何倍もの責め苦となる。

 わかっている。

 すべては自分のせいだ。愚かな自分が、この子から父親を奪った。

 苦しむ素振りも、謝罪も、すべてこの子に見せてはいけない。自分は、この子に恨まれるためだけに存在すればいい。


 俺は、自分の髪を狂ったようにかきむしりながら、その場に崩れた。

 翌朝には、終わらない悪夢の続きがある。



         ※※※   ※※※   ※※※



 ――目覚めてすぐ、俺とレヴィシアはリビングに向かった。レヴィシアの涙に、俺は気付かなかった振りをした。レヴィシアは、挨拶代わりに俺をにらみ付けただけだった。


「おはようございます」


 にこやかに、レヴィシアはルーフォ夫婦に挨拶する。その切り替えの早さに、俺は感心した。やはり、彼の娘だというだけあり、度胸が並ではない。


「ああ、おはよう」


 そうして返事をするものの、何故だか二人は元気がなかった。どこか暗い。

 その微妙な空気を読み取ったレヴィシアが、小首をかしげる。そして、率直に尋ねた。


「どうかしました?」


 すると、夫人は眉尻を下げ、苦笑するような表情を作った。


「いえ、ね、ちょっとびっくりしちゃって……」

「?」

「ほら、聞いたことない? レブレム=カーマインってレジスタンス活動家」


 ここでその名が出たことは、俺にとって心臓を鷲づかみにされたような衝撃だった。きっと、レヴィシアも同じように動揺している。急に言葉が出なくなったようだ。だから、代わって俺が尋ねる。

 いや、本当は尋ねなくても先がわかる。それでも、回避できなかった。


「……その人が、何か?」


 声が震えないように、その短い言葉を口にするので精一杯だった。そうして、その先は夫人ではなく夫の方から語られた。


「討たれたって、情報だ。仕留めたのはフォード将軍だってな」


 将軍?

 父さんが?

 その誤報の理由に、すぐに気付いた。

 確かに、仕留めたのは『フォード』なのだから。

 レヴィシアは、その言葉を両目を見開いて聞いていた。そうして、ルーフォは更につぶやく。


「将軍相手では無理もないが……残念だ」


 レジスタンスはテロリスト。

 なのに、この平穏な村の善良な人間が、その死を悼む。

 残念?

 惜しいというのなら、彼に期待していたと。それを堂々と口にするのは何故なのか。

 その疑問に対する答えを、すぐに夫人がくれた。


「国の不穏分子に何をって、思うかしら? でもね、王様がいなくなって、この国はレイヤーナの属国になるんだって、みんな不安でいっぱいだった時、あの人がここに来たのよ。大声で笑って、大丈夫だって、そうならないように自分たちががんばるから、その先の未来を一緒に生きようって言ってくれたの」


 夫人の目ににじんだ涙が感染してしまったかのように、レヴィシアの瞳も潤んでいた。けれど、必死でそれを堪える姿に、ズキリと心が痛む。


「不思議な人でな、あの人が大丈夫だって言えば、根拠なんかいらなかった。大丈夫なんだって、自然に思えた。……すごい人だったよ」


 そのすごい人を殺してしまったのは、俺だと知ったなら、この人たちはどうするだろう。

 心が、暗澹と重く、ただひたすらに自責の念に苛まれるけれど、どう逃げ場を探したところで、自分以外に責められるものなどなかった。

 レヴィシアは、これ以上この場にいられなかったのだろう。そっと席をはずした。


「……賊に殺された父親のことを思い出してしまったみたいです」


 そう、俺は結んだ。




 一番、涙を見せたくないのは俺に対してだろう。

 それくらいわかっている。だから、探さずにそっとして置くべきかとも思う。

 けれど、放っておいて何かあってはいけない。

 だから、俺はあのか細い背中を探した。


 この小さな村の中では、探すほどのこともない。異質な俺とレヴィシアはやはり目立ってしまうから。

 ただ、尋ねれば、あそこにいるよと教えてくれた村人も、誰も彼もが沈んでいた。ため息を繰り返し、その瞳は生気が弱々しく翳る。

 ボソボソと、誰も彼もがレブレムさんの死を悼んだ。その死を嘆いた。

 この国の未来を諦めた。絶望の中に落ちた。

 俺は、女の子から父親を奪ったばかりではなく、人々から『希望』を奪ったのだ。

 そのことに、ようやく気付く。


 驕慢で、ただ自分だけのために奪った命は、俺のクズみたいな命とは比べものにならない価値があった。俺は一体、この重すぎる罪をどうやって償えばいいのだろうか。

 背負い切れるとも思えない、この罪を。



 シュゼは、彼の存在が人々にとってどういうものなのかに気付いていた。だから止めた。

 なのに、耳を傾けなかった俺が愚かだった。

 今更嘆いてもどうにもならない。


 けれど。

 逃げ出したい。

 逃げ出して、すべてをなかったことにしたい。


 あまりのことに、俺の弱い心がそう思わせる。

 村の片隅の茂みの中で、小さな肩を震わせて泣いているレヴィシアの後ろに立った。小柄なレヴィシアは、そうしているとひどく弱々しい。髪に隠れたあの折れそうに細い首に手を伸ばしたくなる。

 きっと、少し力を入れただけで簡単に折れてしまうだろう。

 そうしたなら、俺の罪を知る者はいなくなる。解放される。また、俺を待つシュゼのもとへ帰ることができる。


 そんな最低のことを考えてしまう。

 何の罪もない少女を、自分の犠牲に――刹那でもそんなことを考える、どこまでも愚劣で価値のない人間が、死ねばいい。つまり、自分が。


 いっそ、彼女に刺されてやりたい。

 終わらせてほしい。

 俺を殺したいはずなのだから、その望みを叶えてあげるだけだ。

 そう、これは、レヴィシアのため。


 そんなことを考えていた俺の気配に気付いたレヴィシアが、慌てて涙を拭いて振り返った。そのことにドキリとする。


「……なんで将軍なんて噂になったのかわかんない。全部あなたのせいなのに」


 精一杯の強がりを瞳と言葉に込める。それは、痛々しい姿だった。


「それは……俺の姓が同じ『フォード』だからだろう」


 俺は、まだ名乗ってすらいなかったのだ。


「ユイトル=フォード――それが俺の名だ。それから、フォード将軍は父なんだ」


 レヴィシアは、カッと目をこぼれんばかりに見開き、小さな唇を震わせながら俺の名をつぶやいた。


「ユイトル……フォード……」


 仇の名を、自身に刻むようにして。



 ――結局のところ、シュゼは俺がいなくても生きて行ける。

 都合を押し付けるだけの言い分かも知れないけれど。

 一方、レヴィシアはどうだろう。父親が死に、この先、守ってくれる人間がそばにいない。

 レジスタンスの残党狩りが行われるとしたなら、レヴィシアも同様に拘束されるのだ。子供が一人で逃げ切れるとは思えない。


 レヴィシアがどれだけ俺を嫌悪しようとも、俺はレブレムさんの遺言通りにレヴィシアを逃がすべきだ。そのためには、刺されてやるわけには行かないはず。

 少なくとも、今はまだ――。



         ※※※   ※※※   ※※※



 けれど、いつかは。

 俺はレヴィシアにこの命をやろうと思う。

 レヴィシアには、それだけの資格がある。

 それをもって、償いとさせてもらおう。

 次に刃を向けられたその時には――。



 ただ、せめてレヴィシアの身の安全を確保してからの話にしよう。

 そのためには、この村ではいけない。ここは王都から近い。

 できることならいっそ国外にでも逃がしたいけれど、出国は難しいだろう。


 では、どこが安全か。トイナックはどうだろう。

 あそこは交通が不便で人通りが少ない。隠れるには丁度いいように思った。

 けれど、逆に言うのなら、もし残党狩りに遭遇した時、逃げ切ることができないかも知れない。そう考えると、また振り出しだった。


 それから、よく考えたら俺は今、丸腰だった。剣は置いて来た。

 これでは、いざという時どうにもならない。剣を買おうにも、この農村に売っているとは思えなかった。ここからどこかに移動する道中で入手できることを祈るしかない。


「君が安全に過ごせる潜伏先を探しに行こう」


 俺がそう切り出すと、レヴィシアは笑った。それは、冷ややかな笑顔だった。


「なんだっていいよ。あたしはお父さんの仇を取るまであんたから離れるつもりはないんだから」


 その強い感情の表れた声を、俺は静かに受け入れた。その言葉が痛いけれど、この子にこんな表情と思いをさせた自分が悪いのだ。むしろ、笑顔を失くさせてしまった、そのことが悲しい。



 俺たちは世話になったルーフォ夫妻に別れを告げ、村を後にする。

 トイナックや、盗賊『クラウズ』の出るタルタゴ山は避け、手始めに南下することにした。そちらに向かえば、まずあるのはエイルルーの町だ。あそこは鍛冶の盛んな町だから、武器のひとつくらいはすぐに手に入れられる。ただ、その分、レヴィシアの存在が知られ、手配されている恐れもあった。

 あの時、アジトを摘発された構成員の誰かが口を割ってレヴィシアのことをもらしていないとは限らないのだ。

 そのことをレヴィシアに対して口にすると、レヴィシアは厳しい目をした。


「みんな、お父さんと一緒に戦ってくれた大事な仲間だもん。馬鹿にしないでよ。大丈夫、武器を買うくらいなんでもない」


 レヴィシアはそう言うけれど、人は恐怖の前では無力だ。拷問にでも遭えば、すぐにレヴィシアの情報くらいはもらすのではないだろうか。苦痛から逃れる術があるのなら、それを選び取りたいと思ってしまう。そのことを、俺自身が知っている。

 ただ、レヴィシアは、そんな人間の弱さを知らないわけではない。信じたくないだけだろう。

 レブレムさんの築き上げたものが実は頼りないもので、容易く崩れることが、悲しいから。


「……わかった」


 そう答えながらも、俺は気を抜けないと思った。

 レヴィシアがどう言ったとしても、警戒に越したことはない。



 堂々と日中に歩くことは避け、とりあえず移動は日が沈みかけた頃にした。歩けるだけ歩くと、後は辻馬車を利用することにした。それくらいは平気だろう。

 停留所で乗り合わせたのは、一人だけだった。ただ、この男はよく喋った。

 二十代半ばくらいだろうか。剣を帯びているが、実力のほどは話にならない、お粗末な程度。

 そいつは陽気で、ひたすらに喋り倒す。


 一見してわけありだという風な俺たちに興味があったのだろう。その詮索を疎ましそうに、話しかけてくれるなという空気を出してみても、まるで効果がなかった。レヴィシアは、曖昧に相槌を打ちながら、答えられないような質問が続くと、寝た振りを決め込んだ。



 そうして、エイルルーの手前で馬車を降りると、そいつも続いて下りた。やたらとニヤニヤしている。

 そいつに背を向ける形で、俺はレヴィシアの背を押した。


「……急ごう」


 レヴィシアも、何か感じたようだ。素直にうなずく。

 それでも、そいつは俺たちの後をついて来た。すぐに追い抜く形になり、そして言った。


「丸腰で旅なんて、物騒だな。俺が用心棒になってやるよ」


 その力量で、馬鹿なことを言う。


「いや、武器なら今から買うから大丈夫だ。間に合っている」


 すげなく断ると、そいつは更に口を歪めて笑った。


「今から、ね。じゃあ、今すぐに襲われたらどうするんだ?」


 レヴィシアが、びくりと体を強張らせた。


「襲って来る相手にもよる。俺たちは急いでいるんだ。襲いたいなら今すぐにでも襲えばいい」


 獲物と決めた相手が、怯えもせずにそんなことを口にするのだから、そいつは面食らったようだ。ただ、すぐに苛立ちから顔を赤く染める。


「へぇ。泣いて謝っても遅いからな」


 そいつは腰の剣を引き抜き、構える。俺はレヴィシアが服の下に隠している短剣を、本人の断りなく瞬時に拝借する。

 一瞬で間合いを詰め、そいつの剣を弾き飛ばすと、その首筋に短剣を押し当てた。手ごたえなど、何に等しい。そいつは呆然と起こった状況を飲み込むと、今度は蒼白になった。


「え……あ……」

「相手をよく見ろ。それから、自分をもっとよく知ることだ」


 俺が少し手に力を込めれば、こいつの命は終わる。それが、こいつにもよくわかったようだ。

 ガタガタと震えている。

 こいつは、俺たちの正体に気付いたわけではないだろう。放置しても問題はない。けれど、万が一ということもある。殺して口を塞いでおいた方がいいだろうか。


 そう考えた刹那、背後のレヴィシアの存在に気付かされた。

 俺の手が再び血に染まる瞬間を、この子にはもう見せられない。あの時を思い起こさせたくない。

 俺は、短剣の柄頭でそいつを強打し、昏倒させるに留めた。どさりと重たい音がする。


 振り返ると、やはりレヴィシアは怯えた目の色をしていた。彼女から目をそらすようにして視線を泳がせると、地面に落ちた剣が目に入った。

 俺はそれを拾い取り、そいつからベルトごと鞘を抜いた。そこに剣を収め、自分の腰に付ける。

 命が残っているのだ、これくらいの代償ならば安いものだろう。


「……これでエイルルーには寄らずに済む。行こう」


 剣を帯びた俺を、不安そうに見遣るレヴィシアに、俺は短剣を返すのだった。



 当面の生活費に当てられるほど、所持金は多くない。何かをしなければ食べていけないだろう。

 俺ができることといえば用心棒くらいなものだが、その仕事をしている間、レヴィシアを守ることができないのなら、それはそれで問題だ。

 エイルルーを通り越し、俺たちはあてもないままに歩いた。


 途中、旅人のための宿が一件あった。そこで泊まるのではなく、食料を買い足した。そうして、ついでに情報を得る。

 レブレム=カーマインの死去に伴い、その組織は瓦解した。中でも重要人物とされていた面々も捕まったそうだ。捕縛された彼らは虚ろな瞳で、抵抗もせずに大人しいものだったと言う。すべてを諦めた結果なのだろう。


 ちくりと刺さる棘に、顔を歪めてしまわないよう、俺は心にふたをしながらその話を聞いていた。ベンチで座って待つレヴィシアを気にかけながら。

 その会話の中に、彼の娘の話はなかった。レヴィシアの存在は、あまり公になっていないようでほっとした。早く、身柄を隠してしまわなければ。


 俺はそのまま情報を聞き出し、このまま南下すると、先に小さな集落があることを知った。そこは、数名の猟師が暮らしているのだという。山を少し登ったふもとの方だ。

 そこならば、町とは離れている。しばらく身を隠すには丁度いいのかも知れない。高所にいれば、不審な者が近付いて来た時にいち早く気付くこともできるだろう。



 その集落を目指す薄暗がりの中、先に寝付いたレヴィシアが眼の届く場所で、俺は手に入れた剣を抜き、静かにそれを振るった。腕がなまってしまっては、いざという時にレヴィシアを守り切れない。だから、鍛錬のつもりだった。

 けれど、その小さな物音に気付いたレヴィシアの怯えた表情に、俺は慌てて言い訳をした。


「すまない、起こしたか? 少し、鍛錬をしておかないと――」


 親子そろって俺に殺されると思ったのだろうか。そう思われても仕方がないけれど、そんなつもりではなかった。

 ただ、そう思った時の俺は、何もわかっていなかった。レヴィシアは言葉もなく、本気で怯えていた。

 俺に殺されると思ったからではない。俺が剣を握っている姿を目の当たりにして、あの時のことを生々しく思い出したのだ。

 声という音を伴わない、唇の形が、『お父さん』と動いたから。

 俺は剣を放り、レヴィシアに駆け寄った。


「悪かった。もうしないから、ゆっくり休んでくれ」


 そんな俺をにらみ付け、レヴィシアは俺から顔を背けた。そんな強がりまでもが痛々しい。

 あまり、剣を振るう姿を見せない方がいいのかも知れないと、そう思った。けれど、素手で戦うにはさすがに複数だと分が悪い。接近戦は避けて通りたい。そこも、何か考えるべきかも知れない。

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