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*忘れ形見の少女㊤*〈Last〉

 レジスタンス活動前のユイの視点です。

 御察しかとは思いますが、暗いです(ゲフ)

 そして、かなり長くなってしまったので分けました。

 最初に、そのことに気が付いたのは、五歳の頃だった。


 父は、兄と俺とをよく比較し、兄に諦観の目を向けていた。そのことに、兄が気が付かないはずがない。いつも、悔しそうに、悲しそうにうつむいて、その後で俺をにらみ付ける。

 俺が何かをしたわけではない。俺が悪いわけではないのだと思う。

 けれど、いつもいたたまれなくなって、その後には無言でいた。自分が悪くないように、兄も悪くないのではないかと思うから。


 悪いのは、父だ。

 優秀な息子であってほしいと思うのは、優秀な跡継ぎがほしいから。王の優秀な家臣がほしいから。

 勝手な理由だ。


 それに気付いてから、俺は、父親似だと言われることが大嫌いになった。

 兄の横に並ばなくなった。

 そうして、家にいることが苦痛になった――。



         ※※※   ※※※   ※※※



「いくら強くなろうと、あなたはまだまだ子供だな」


 そんな風に笑ったのは、父の部下のゲブラーだった。


 俺は十五の歳に、見習いとして軍に所属するように父に言われた。それを、そんなつもりはないと突っぱねてから、ますます俺と父との距離は開いた。

 軍にいれば、どうしたって父の存在を強く感じる。比べられる。期待される。

 自分とは関係のないものにまとわり付かれるなんて、考えただけでぞっとした。俺は、自分の力だけで生きて行きたいと願う。


 それならば、独り立ちする時に生活の糧とするべきものは?

 俺が人よりも優れているのは、剣の腕だ。これだけは、自信を持って言える。

 これも父親譲りだと言われてしまえば腹が立つけれど。

 とにかく、その道で食べていけるように、徐々に支度を始めたのだ。家族に内緒で、傭兵の斡旋所に行き、登録を願い出る。未成年だったけれど、実力で黙らせ、資格を得る。



 そうして、一年が過ぎた。

 誰にも詳しい事情は話さなかったけれど、ゲブラーにだけはばれた。

 家を抜け出して大衆食堂にいると、彼もよくそこにやって来たのだ。父の部下は、品行方正な人物が多いけれど、彼だけは毛色が違った。将軍の息子だと、誰もが腫れ物を触るような扱いをするというのに、彼だけはお構いなしだった。


 素行に問題はあるけれど、彼も強い。強い人間は何よりも価値がある。だから、周囲から煙たがられてはいるけれど、俺はこの男が嫌いではなかった。


「そっちこそ、まともな大人とは言えないんじゃないのか?」


 そう、切り返すと、ゲブラーは口の端をつり上げて笑う。その仕草が、更に子供扱いされているようで腹立たしかった。


「まあいい。そんなことより、ゲブラー、後で手合わせしないか?」


 俺の相手ができるような人間は、この界隈の傭兵の中にはいなかった。どいつもこいつもぼんやりとしていて、話にならない。だから、そう誘った。けれど、いつもゲブラーは乗らない。


「仕事でもなけりゃ、お坊ちゃんの遊びに俺は付き合いたくないんだ」


 目に見えてムッとする俺に、周囲のハラハラとした視線が向かう。けれど、ゲブラーは平然としていた。最後に酒をあおると、あっさりと立ち上がり、俺の分まで払って背を向ける。その背中を礼も言わずににらみ付けると、ゲブラーは、後ろ手を振っていた。



         ※※※   ※※※   ※※※



 それから更にもう一年。さすがに有名になった。

 だから、俺の噂はもれて父の耳にも入る。

 罵倒された。母は泣いて止めに入った。兄は――目が、笑っていた。

 その瞬間に、スッと、体中の血が冷える。


 兄は、父に気に入られたいと願っていた。素行はともかく、能力だけでも父に認められていた弟が疎ましかったのだ。

 兄弟を比べ、兄を傷付ける父が嫌いだった。けれど、そんな感情に意味がなかったのだと、この時になって初めて気付いた。俺がいなければ、兄は傷付かなかった。兄は、父ではなく、俺が嫌いなのだ。

 俺は、どこかで弱い兄を哀れんでいた。だから、そんな感情を抱いていた。それも、否定のできない事実だ。


 もう、修復などできないのかも知れない。この家はめちゃくちゃだ。

 落ち着きを取り戻すためには、何かが欠けるしかないのだろう。


 俺は、この時になってようやく家を出る決意をした。本当は、もっと早くにこうするべきだった。

 ここまで引き伸ばしてしまったのは、甘えと、どこかで期待していたのかも知れない。

 その期待が、何に対するものなのかは、自分でもよくわからなかった。



         ※※※   ※※※   ※※※



 生活費くらい、もう自分で稼げる。

 けれど、まず、住む家を探そう。

 すべてが後手に回ってしまっている。そんな気がしないでもなかった。

 本当なら、先に探してから出て来るべきだった。感情に任せて飛び出す辺り、ゲブラーにまた笑われそうだと自嘲する。


 その日のうちに新たな住まいを探すのは諦めた。季節柄、野宿もできなくはない。

 ――ただ、少しくらいなら、あてはあった。

 辺りはすでに暗い。俺はシュゼのことろに向かう。


 シュゼマリア=マルセット。


 傭兵仲間の彼女は、傭兵斡旋所兼食堂に住み込んでいる。その部屋は裏手の二階にある。

 階段を上り、その扉を控えめにノックした。いつもの明るい返答が返る。


「はい」


 あっさりと扉を開いたシュゼに、俺は少し厳しい顔を向けた。


「誰か確認もしないで、簡単に扉を開くな」


 彼女は明るい茶色の瞳をきょとんと丸くした。風呂上りなのか、艶やかな長い黒髪がほんのりと湿っている。部屋着も随分と涼しげな格好だった。


「あれ? ユイトル、どうしたの?」


 小首をかしげる。

 この危機感のなさが危なっかしくて、気付けば目を離せなくなった。周囲に狙われている自覚もないまま、男たちの中にいる。その虫除けのつもりでそばにいた。なのに、今となっては――。


「会いに来てくれたの?」


 そう、微笑む。その存在に、疲れた心が癒される。

 抱き締めることで、言葉を濁した。


「俺、家を出たんだ。それで、新しく借りるから」


 そう、口にした。

 シュゼは俺が家族と上手く行っていないことを知っている。だから、何も尋ねないでいてくれた。

 彼女自身、肉親との縁が薄い。遠くに父親はいるけれど、別の家庭を持っているから、頼ることはないと言っていた。俺たちは、似たもの同士だった。だから、惹かれ合った。


「それで――お前はどうする?」


 ずるい言い方だ。それでも、察してほしいと思った。


「え? どういうこと?」


 シュゼはニヤニヤと笑った。察しているくせに、言わせようとしている。

 ムッとしないでもなかったけれど、ここは俺の方が折れた。


「このままここにいるか、俺と一緒に暮らすかってこと」


 これでも、彼女は傭兵なのだ。剣を取れば、男相手でも通用しないこともない。けれど、シュゼはどことなく抜けている部分が目立つ。人を疑うこともあまりしない。

 今の時勢、国は荒れて行く一方だ。レジスタンス組織の暗躍が、このところは特にひどく目立つ。やつらは、国を救うのだと叫びながら、国を踏み荒らす。まるで害虫のように、自らの住む国を蝕んで行く。

 物騒なこの国だから、何が起こってもおかしくないと思ってしまう。


 心の中では、沈黙に対する多少の動揺もあった。けれど、それを悟られないように、精一杯平然としていたつもりだ。

 シュゼはようやく嬉しそうに、輝くように笑って、俺の首に腕を絡める。


「答え、聞かないとわからない?」

「わからない」

「そういう意地悪なところが嫌い」


 嫌いと言いながらも、クスクスと笑い、耳もとでささやく。甘い香りがした。

 ただ、この時の俺には、自分の身の振り方もはっきりとしない自分が、どれほど身の程知らずであったのかに気付いていなかった。そして、優しい彼女に甘えて、逃げ場のようにしていたことも――。



 そのささやかな幸せに満足すればよかった。

 そこでとどまることができなかったのは、間違いなく自分自身の欲だ。

 いつか、父を見返してやりたい、父に認めさせたいと、そんな思いが俺の中に深く根付いていた。だから、より強い相手を探し、それをねじ伏せることに喜びを感じていた。そうして、周囲に持てはやされることでしか、自分の価値を認められなかったのは、他の誰でもなく、俺自身だ。


 そんな俺の危うさに、真っ先に気付いていたのは、やはりシュゼだ。時折、とがめるようなことを言うようになったし、そういう目をする時もあった。けれど、それを俺は、都合よくしか受け取らなかった。


「俺は、誰にも負けない」


 俺の身を心配してくれているのも事実だから、そう言った。二人で借りた住まいは自宅とははるかに違って窮屈で、時々それが我慢ならなくなる。


「そう、だけど……」


 シュゼは、俺の心を何よりも大事にしてくれていた。だから、俺の支えを奪うようなことは言えなかったんだろう。それ以上、踏み込むことはなかった。

 そんな彼女に、俺は言った。


「で、レジスタンス狩りに参加することにした」

「え……」


 目に見えて、シュゼの顔色が変わった。


「レジスタンス――その首謀者を討てば、賞金が出る。そうしたら、少しいい部屋に移ろうか?」


 軽く、そう言った。

 けれど、その途端にシュゼは泣き出しそうな面持ちになる。その理由がわからなかった。


「ねえ、ユイトル。レジスタンスって、討たなきゃいけない存在なの?」

「は?」

「何を考えて活動を続けるのか、あなた、知ってるの?」


 テロリストの考えなんて、知らない。知りたくもない。

 やつらは国を荒らす。ただ、それだけの存在だ。


「なあ、どうしたんだ? 何を言ってる?」


 まるで、意味がわからない。


「……最も勢いのあるレジスタンス扇動者、レブレム=カーマイン……。あいつを討ち取ることが目的だ。あいつがいなくなれば、少しは国状も安定する。それがいけないって言うのか?」


 国に余計な波風を立てるだけの男だ。何をそんなに肩入れする?


「今、ユイトルががんばろうとしてるの、わかってるよ。でも、周りの声を聞いてみて。その活動家を、みんながどう捉えてるのか。だから――」


 どうしてそう、がんばろうとしているのがわかるのなら、水を差すようなことが言えるのか。黙って応援してくれないのか。

 後になって思えば、この時の俺はひどく子供で傲慢だった。ただ腹を立てて先に眠ってしまった。

 こんなことなら、大事な仕事を前にした普段のように、賑やかな場所で過ごせばよかった。二人の時間を優先するのではなかった、と。

 その翌朝、黙って家を出た――。



         ※※※   ※※※   ※※※



「――聞いてるのか、ユイトル?」


 考え事をしていた俺に、年長の傭兵の一人が言った。少し、厳しい口調だった。

 けれど、俺は虫の居所が悪く、そいつを睨み返した。そいつは、経験は豊富なのかも知れないが、特出した能力がある男ではなかった。凡庸で、そう――兄のような人間だ。

 無言の俺に、そいつは更に言った。


「大事な作戦のことだ。もっと真剣に聞いてくれ」


 説教をする。

 大事な作戦。そんなことはわかっている。

 だから、俺がいる。俺がいれば、失敗なんてしない。他のやつは、俺の脚を引っ張らないようにしていれば、それでいい。何故、それがわからないのか。

 そいつは、残念そうに嘆息した。そんな仕草に、俺は更に苛立つ。


「むやみやたらと戦うことだけが俺たちの仕事じゃない。戦わずして解決できる道もある。それが最善だとは思わないか?」


 思わず、唖然としてしまった。

 俺の認識は、どうやら間違っていたようだ。

 こいつは――救いようのない馬鹿だ。

 凡庸なんて、買い被りすぎた。こいつは、それ以下だ。

 俺は蔑んだ瞳を向けたけれど、そいつは悲しそうに、それでも俺から眼をそらさなかった。だから、更に更に苛立つ。

 そして、俺たちは仕事に向かった。



         ※※※   ※※※   ※※※



 作戦の場所は、王都から最も近い港町であるウステリス。

 ここに、レブレム=カーマインの率いる組織のアジトがあるのだという。

 レブレム=カーマインのもとに、組織に協力した人々が摘発されたという知らせが届いたらしい。それを救出に向かう作戦を立てているから、その作戦を決行している間はアジトが空になる。そこに潜んで待つという、地味な戦法だ。


 ちなみに、その情報は、内部から漏洩したのだ。離反したレジスタンスの仲間が、情報を売ったのだ。

 レブレム=カーマインのカリスマ性は噂に聞いたのだが、実態はこれだ。人心など掌握できていない。その程度の人間なのだ。

 ただ、カーマインは岩のような大男で、大の男三人を腕のひと振りで吹き飛ばすという。その強さも尾ひれのついた噂でなければいいのだが――。




 夕刻にやって来たアジトは、随分と魚臭い倉庫だった。どうやら、魚介の加工品の保存庫だったようだ。やたらとタルが並べられている。

 俺は、傭兵仲間がそこに待機する中、一人そこを離れた。

 あいつらとつるんでいても仕方がない。俺は俺で動くだけだ。

 正直に言って、俺一人がいれば、それでこと足りるのだから。


 レジスタンスなんて、結局のところは、素人の集まりでしかない。特別な訓練を受けた、戦闘に特化した存在などほぼいない。

 だから、幼少期から剣の指導を受け続けた俺にとっては、紙を切るほどにあっけないかも知れない。それでも、剣を握った以上は、命を失う覚悟はしているはずだ。




 夕闇の中、俺は裏道へ向かう。この町の構図からいって、使うならここだとあたりを付けた。

 その予測は的中することになる。


 複数の慌しい足音がして、俺は建物の陰に身を潜めた。飛び出すのは、まだ早い。

 目を閉じ、息を殺し、タイミングを計る。

 荒く息をしながら数名が通り過ぎたのを見計らって、俺は路地裏へ踏み込む。こうしておけば、アジトには傭兵連中がいるから、挟み撃ちにできる。レジスタンス共に逃げ場はない。

 もちろん、俺に逃がすつもりはない。アジトの方は保険だ。


 軽く駆けるだけで、やつらに追い付くことができる。ひと仕事終えた後の連中はすでに消耗しているようだ。

 走りながら剣を引き抜くと、最後尾にいた男が振り返った。それは、俺よりも更に長身で、逞しい体躯をした男だった。薄暗い中にあっても、不思議と力を感じるその目を見た瞬間に、この男が誰だかわかった。


 男は、観念したのか立ち止まり、俺に対峙する。


「……レブレム=カーマイン、だな?」


 俺はそう言って、剣先を向けた。男は、苦々しい面持ちになる。

 先を行く数人が、その異変に気付いて更に立ち止まった。そいつらは、おろおろとしてその大男の周囲に集まる。


「レ、レブレムさん……っ」


 そんな仲間たちに、レブレム=カーマインは口もとを大きく持ち上げて人懐っこく笑った。


「大丈夫だって。ここはいいから先に行け。すぐに追いかけるから、()()よ」


 と、彼はフードを目深にかぶった小柄な人物に目を向けた。その仕草で、レジスタンスたちは言葉に詰まる。


「わ、わかったけど……本当に、すぐ来てくれよ?」


 不安げな仲間たちに、彼は豪快に笑った。


「俺を信じろって。じゃあ、後でな!」


 フードの人物は、何かを叫びそうになったが、仲間たちがそれを引きずって去った。逃がしたつもりなのだろうが、残念ながら逃げ場なんてない。

 そうして、レブレム=カーマインは俺に向き直った。


「さて、お望みなら相手してやるから、来い」


 あっさりと、そんなことを言う。余程腕に自信があるのだろう。

 その一言に、俺はゾクゾクと体が震えた。

 あの意志の強い瞳は、今までに出会った誰とも違う。こいつは、どんな戦いを見せてくれるのだろう。

 戦っている時は、すべてを忘れる。戦いにのめり込む。そのことを、俺は享楽的に受け入れていた。


 俺の、カーマインに対する期待は高まるばかりだった。この剣が、早くと急かす。


 俺たちは、の倉庫の裏手の、ほんの少し広いスペースで向かい合う。十分な広さとは言えないけれど、そんなことは些細だと思えた。

 ようやく、カーマインは腰の剣を抜いた。それは、あの巨体には不釣合いなショートソードだった。


 いや、不釣合いではない。あの腕なら、大剣を振り回さずとも相手に届く。小振りな剣は、彼に合った武器なのだろう。俺も両手で剣の柄を握り締め、構える。カーマインの眼は、強い。けれどそれは、負の感情のない、不思議な強さだった。

 キィン、と耳に痛い衝突音が、戦いの始まりを告げる。

 彼の長く太い腕から繰り出される攻撃は、正面から受けるには重かった。下手をすると、こちらの剣が折られる。上手く受け流し、相殺するしかなかった。


 殺気はない。恐れもない。

 それはひどく――不思議な相手に思えた。


 じっとこちらの目を見て来る。その時感じた感覚が、堪らなく嫌だった。

 その目は、問いかける。

 この戦いの意味はなんだ、と。

 お前は、何故戦うのか、と。

 なんのために、と。


 揺るぎない確かなものを持っていないからこそ、その瞳が俺には理解できなかった。

 ただ、眼前の敵を平伏させる。それだけを考えて打ち込むけれど、カーマインはやはり強かった。感覚的に戦っているだけにしか思えないのに、生きるという意志が、執着が、人一倍強い。そんな気がした。


 このままだと、俺は負けるのだろうか?

 そんな風に、今まで感じたことのない不安と焦りを感じた。

 ドクリ、と体中に脈打つ音が突き抜ける。これが恐怖だったのかも知れない。


「っ!」


 ゆとりが、まるでなかった。

 なり振り構わない、みっともない戦いだ。

 こんな戦いをする自分が、情けなかった。


「……お前は、なんのために戦う?」


 カーマインはついにそれを口にした。俺は、負けるかも知れないという不安から、その一言にどうしようもなく苛立った。


「なんのため? 自分の価値を確かめるためだ。強ければ生きて、弱ければ死ぬ。それだけのことだ」


 俺の答えは、カーマインの気に召さなかったのだろう。ひどく悲しげな目をした。俺を哀れむようで、その表情が堪らなく嫌だった。だから、その続きを言わせないために、俺は必死で攻撃を繰り出した。


 そんな時、カーマインの背後で何かが倒れるような物音がした。きっと、猫か何かだろう。

 俺はそれ以上気に留めなかった。けれど、カーマインは何故か極端にその物音に過敏に反応していた。急に、動きが雑になる。表情にも焦りが見えた。

 やたらと背後を気にする。

 その時、俺はその理由がわかった。背後にいるのは、レジスタンスの仲間ではないだろうか。

 俺と戦うカーマインの加勢に戻ったが、今出て来ても足手まといにしかならないと気付いたのだろう。加勢どころか、邪魔でしかない。

 自分が負けたら、隠れているやつまで危険にさらされる、とカーマインの意識がそちらに向いてしまっている。


 これは、俺にとっては好機だ。やるなら、今しかない。

 俺は残った力を振り絞り、カーマインの剣を跳ね上げる。ひと際大きな音が鳴り響くと、物陰で何かを倒したような音がした。その音を立てた人物が陰から飛び出し、大声で叫んだ時、俺の剣はカーマインの腹を貫いていた。

 貫通した剣は、内臓を傷付けたのだろう。カーマインは俺の肩に体をぶつけるようにして吐血した。

 ゆとりがまるでなかった。こうしなければ、負けていた。

 けれど、あの叫び声はなんと言った?


 お父さん、と――。


 甲高い金切り声。薄闇をつんざく。

 あの、目深にかぶっていたフードが頭から滑り落ちる。こちらに駆け寄って来たのは、華奢な女の子だった。精々、十二、三歳だろう。

 その時になって初めて、俺は、自分のしでかしたことにぞっとした。それを取り繕うかのように、崩れ落ちるカーマインの体を受け止めた。その重さによろけたけれど、なんとかして地面に叩きつけられるのを防ぐ。

 剣が刺さったままであるため、カーマインは体をよじるような形になった。そんな彼に、その子供はすがり付く。


「お、お父さん!! お父さん!!」


 その少女の小さく細い体は、カーマインとは似つかない。けれど、彼女は必死で呼びかけた。


「ねえっ!! いや、嫌だよ――っ」


 震える声は、どんなに嘆いても父親が助からないことを悟っている。けれど、どうしても認めることなどできないのだ。

 自分は、この無力で小さな子供から、父親を奪った。その事実だけがこの場に取り残される。

 この男は、テロリストである前に、この少女の父親なのだ。


「レ……シア」


 かすれる声を、少女は必死で拾う。


「うん……っ」


 少女は大粒の涙を青い瞳からこぼした。カーマインは、血のこべり付いた口元で僅かに微笑んだ。


「ごめ、ん……な……」

「なんで!? そんなの、駄目だよ!!」


 悲痛なその声に、心臓が抉り出されるような思いがした。けれど、そんなものはこの二人のどちらの痛みにも足りない。


 そして、ざわざわと、周囲が騒がしくなった。あのアジトでの捕り物が落ち着いたのだろう。多分、レジスタンスの連中は捕まったのではないかと思う。


 ――この組織はもう、終わりだ。

 そうしたなら、この少女は今後、どのような運命をたどるのだろう。


 鈍くなった頭でぼんやりと考えた。すると、瀕死のカーマインが突然、自分を支えている俺の手を強く握り締めた。そのことに、俺はみっともないくらいの恐怖を感じたけれど、カーマインの焦点の合わない瞳には、恨みの色はなかった。


「娘を、レヴィ……シアを、逃が、して……守って――」


 守って。


 自分を刺した相手にそれを頼むのか。

 たくさんの心残りを胸に残しながら死に逝くのに、俺に恨みを抱かずにいられるというのか。

 この人は、それほどまでに強い心を持った人だった。俺なんかが奪っていい命じゃなかった。

 俺が返事をするよりも先に、彼の命は尽きた。


 がくりと力なく、転がるように揺れた首に、少女――レヴィシアが叫ぶ。けれど、俺はその声がもれる前に彼女の口を片手で塞いだ。ここで叫べば、居場所を伝えるようなものだ。

 そう、この時、俺ははっきりと決断した。この子を逃がそう、と。


 必死で抵抗するレヴィシアだったけれど、今は一刻を争う。仕方がなく、俺はレヴィシアに当身を食らわせ、ぐったりとしたその体を抱え上げた。


 最後に一度だけ、彼――レブレム=カーマインの亡骸に視線を落とす。その体に突き刺さったままの剣は抜き取ることなどできなかった。

 俺はきっと、この光景に生涯うなされ続けるのだろう。


 そうして、丸腰のまま、ただその場を後にすることだけを優先し、俺は闇の中に紛れた――。

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