病み垢
スマホの画面を指でなぞる。
タイムラインには、今日もたくさんの言葉が流れていた。
「また入院になった」
「薬が増えた」
「ODしちゃった」
「深い傷ができた」
投稿の下には、心配の言葉や共感の言葉が並んでいる。
私はその画面を見ながら、自分の腕に視線を落とした。
傷はある。でも、もっと深い人がいる。もっと苦しい人がいる。
私もうつ病の診断は受けている。でも、もっと重い診断名の人がいる。
私にも入院歴はある。でも、保護室に入ったことはない。
薬も飲んでいる。でも、山のような量ではない。
だから時々思ってしまう。
私なんて、大したことないんじゃないか。
苦しい。
それなのに、苦しさを証明できない。
まるでこの世界では、苦しさを数値化するための物差しが存在しているみたいだった。
診断名。
入院歴。
OD歴。
薬の数。
傷の深さ。
みんな必死にその物差しを握りしめている。
もちろん、それらが苦しさの一つの指標になることはある。
だけど本当は誰も、その物差しで正確に測れるなんて思っていない。
だって同じ傷の深さでも感じる痛みは違う。
同じ診断名でも苦しみ方は違う。
同じ薬を飲んでいても、抱えている絶望は違う。
なのに私たちは比べてしまう。
自分より苦しそうな人を見ては黙り込み、自分より元気そうな人を見ては罪悪感を抱く。
終わりのない競争だった。
ある夜、私は投稿画面を開いた。
何を書こうか悩んだ末、たった一行だけ打ち込んだ。
「苦しい」
診断名も書かなかった。
薬の数も書かなかった。
傷の写真も載せなかった。
ただ、それだけ。
送信ボタンを押してしばらくすると、通知が鳴った。
知らない誰かからの返信だった。
「苦しいんですね」
たったそれだけだった。
アドバイスもなかった。
比較もなかった。
励ましですらなかった。
でも、その一言を見た瞬間、涙が溢れた。
ああ、私はこれが欲しかったんだ。
診断名じゃない。
入院歴じゃない。
OD歴じゃない。
薬の数じゃない。
傷の深さじゃない。
「苦しいんだね」
その一言だった。
私たちが本当に求めているものは、苦しさの順位じゃない。
苦しさの証明書でもない。
誰かに認めてもらうこと。
「そんなに苦しかったんだね」と言ってもらうこと。
それだけなのだと思う。
画面の向こうには、今日もたくさんの苦しみが流れている。
比べなくていい。
証明しなくていい。
本当はみんな、ずっと前から十分に苦しかったのだから。




