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好きだからこそ、オオカミ族の番は辞退します  作者: おかかむすび


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9.明日行っておいで

 その日の業務も、特に問題が起きることなく終了した。

 定時を知らせる時計が音を鳴らし、周囲が片づけを始める。同じように、ルナも手早く机の上を整理していく。


「ルナさん、お疲れ様。この後、予定ある?」


 鞄を手に取ったタイミングで、フィガロが声をかけてきた。仕事中とは違う、少し砕けた雰囲気だ。


「お疲れ様です。いえ、特にありませんけど……」

「ならさ、軽く食事でもどうかな。歓迎会もまだだったし、美味しい店を知ってるんだ」


 フィガロの誘いに、ルナは反射的に断りの言葉を探していた。

 まだ、誰かと楽しく食事をするような気分にはなれなかったからだ。


 ――ううん、それじゃダメだ。

 言葉を発する直前、ルナは思いとどまる。


 キョウのことを忘れるために、新しい環境を選んだのではなかったか。

 いつまでも殻に閉じこもっていては、何も変わらない。これは、前に進むための第一歩なのだ。


「……はい、ぜひご一緒させてください」

「よかった。断られたらどうしようかとドキドキしてたよ」


 フィガロはほっとしたように笑うと、案内するよと先に立って歩き出した。


 * * *


 連れてこられたのは、大通りから一本入った場所にある、落ち着いた雰囲気のレストランだった。

 騎士団の中にあった賑やかな食堂とは違い、ここは静かに食事と会話を楽しむ場所のようだ。


「ここの料理、どれも美味しいから適当に頼んじゃうね」


 フィガロが注文を済ませると、すぐに前菜と飲み物が運ばれてくる。

 勧められるままに口に運べば、確かな美味しさが口の中に広がっていく。ルナの強張っていた頬も自然と緩んだ。


「美味しそうに食べるねえ。良かった」

「はい、すごく美味しいです。こんないいお店を知ってるなんて、さすがですね」


 当たり障りのない会話をしながら、食事は進んでいく。

 フィガロは聞き上手で、ルナの緊張を解くように仕事の話や街の話を振ってくれた。おかげで、ルナも久しぶりに声を上げて笑うことができた。


 メインの料理が片付いた頃、フィガロが手元のグラスを軽く揺らしながら、ふと真面目なトーンで口を開いた。


「それでさ、ルナさん。最近、よく俺のことを見て、困ったような顔をしたり、溜め息をついたりしてるよね」


 不意打ちだった。

 ルナは心臓が跳ね上がるのを感じ、持っていたグラスを取り落としそうになる。


「あ、その……」

「俺、何かルナさんを困らせるようなこと、してるかな? もし無自覚に嫌な思いをさせてるなら、直したいから教えてほしい」


 フィガロの瞳は真剣そのもので、そこに責めるような色はなかった。純粋に、後輩であるルナを心配している目だ。


 その真っ直ぐな視線を受けて、自分がどれほど失礼なことをしていたかを突きつけられた気がした。


 自分を気遣ってくれる先輩に対して、勝手に好きだった人の面影を重ね、比べて、落ち込んでいたのだ。

 身勝手な態度が、相手に『何かしたのではないか』と不安を与えてしまっている事実に、口の中が渇いていく。


 ――なんて最低なことを。

 もう、誤魔化すことはできなかった。


 これ以上、フィガロに嘘をつき続けることは許されない。

 ルナは膝の上で拳を握りしめ、意を決して口を開いた。


「……ごめんなさい。フィガロ先輩は、何も悪くありません」

「うん」

「私が……先輩に、昔好きだった人を重ねてしまっていたんです」


 一度口に出してしまうと、堰を切ったように言葉が溢れてきた。


 その相手もオオカミ族だったこと。

 騎士として将来有望だった彼に、番になってほしいと告白されたこと。


 自分が彼の隣にいては、彼の未来を閉ざしてしまうと悟ったこと。

 だから、彼のために、何より自分が不甲斐なくて身を引くことしか出来なかったこと。


「最初は、彼のためだと思って別れました。これが最善だったんだって、自分に言い聞かせて……。でも、本当は自分に意気地がなかっただけで……。だから、忘れられなくて。先輩の姿を見るたびに、彼を思い出して……勝手に辛くなっていたんです」


 途中で涙があふれそうになり、ルナは目線を上げて話し続けた。

 ただでさえ失礼なことをしているのに、ここで涙まで見せるのはあまりにも卑怯だと思った。


「本当に、失礼なことをして申し訳ありませんでした」


 必死に涙をこらえながら、フィガロに頭を下げる。鼻声になってしまうことだけは、どうにもならなかった。

 沈黙が降りた。


 呆れられただろうか。怒らせただろうか。

 不安で顔を上げられないルナの耳に、フィガロの静かな声が届いた。


「そっか。辛い話なのに、話してくれてありがとう」


 恐る恐る顔を上げると、フィガロは困ったような、でもどこか優しい表情を浮かべていた。


「ルナさんが優しい子だってことは分かったよ。相手の将来を考えて身を引くなんて、なかなかできることじゃない」

「……そんな、立派なものじゃありません。私はただ、彼の足枷になるのが怖くて逃げただけです」

「うん、そうだね。逃げたんだ」


 フィガロは否定しなかった。

 その言葉が、ルナの胸に刺さる。


「ルナさん。一つだけ、年上としてアドバイスさせて」

「……はい」

「前に進むにしても、関係を再構築するにしてもさ。彼と一度、ちゃんと話し合わないといけないんじゃないかな」


 話し合う。

 それは、ルナが一番避けてきたことだった。


「話し合ったところで、事実は変わりません。私が彼に相応しくないことは……」

「それは、ルナさんが勝手に決めたことだろ?」


 フィガロの言葉は鋭く、核心を突いていた。


「彼の将来を心配するのはいいけど、彼自身がどうしたいのか、ルナさんは聞いたの? 『君のために別れる』って一見綺麗な言葉だけど、相手からすれば『一緒に乗り越える未来』を勝手に否定されたのと同じだよ」


 ガツンと、頭を殴られたような衝撃だった。


 キョウの気持ち、あるいは意思。

 ルナは自分の想いと彼の未来を守ることに必死で、一番大切な彼の気持ちを置き去りにしていたのかもしれない。


「関係を終わらせるにしても、やり直すにしても、納得いくまでぶつからないと。このままだとルナさん、一生彼の影を追い続けちゃうよ」


 既に一か月も経っているのに、キョウに関連するものを見ては、彼のことを思い出している。

 彼の影を追い続ける一生を過ごしてしまうのも、あながち嘘にはならないかもしれない。


「俺としても、可愛い後輩がいつまでも俺を見て他の男を思い出してるのは、ちょっと複雑だしね」


 その冗談めかした言葉に、ルナは笑うことが出来なかった。フィガロが空気を軽くしてくれようとしているのは分かっても、それに甘えてはいけない気がした。


「明日、お休みにしておくから行っておいで」

「明日ですか!?」


 いきなりの決定に、ルナは狼狽えた。

 気持ちがまだ追いついていないどころか、何を話したらいいのかも考えられていないのに。


「だって、今もその彼のことで頭がいっぱいなんでしょ? 後回しにしたって一緒だって」


 フィガロの言うとおりだ。決意が固まったらなんて言っていたら、また明日、また明日と後回しにする自分の姿が簡単に想像できる。


「そうと決まれば、今日は英気を養う意味でも、美味しいものでお腹を満たそうね」


 フィガロはそう言って、悪戯っぽく片目を瞑る。

 ルナは目元を指でぬぐい、無理をしてでも笑って見せた。


 * * *


 帰り道、フィガロと別れた後、夜風に当たりながらルナは自分の胸に問いかけた。


 ――自分はどうしたいのだろうか。

 キョウの未来を守りたい気持ちに嘘はない。


 でも、何も言わずに消えることが本当に彼のためになったのか。

 今は当時の答えに、自信が持てない。


 あの時の決断に自信を持てなくなってしまった以上、もう逃げてはいけないと決意した。

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