6.気遣い
次の日は嫌でもやってきた。
腫れあがった目元を化粧でどうにか誤魔化し、いつもの道を歩く。
自分ではいつも通り歩いていたつもりだったが、速度は落ちていたようで、職場に着いた時は時間ギリギリでルナは焦った。
「おはようございます」
「あ……おはよう!」
いつもなら柔らかく返ってくる先輩たちの挨拶が、一拍遅れていた。
それだけじゃない。明らかにこちらを見て、困った顔をしている。
――もう、噂になってるんだ。
ルナとキョウの仲の良さは、事務所の中ではそれなりに知られていた。
キョウが時間がある時に、顔を見せてくれることが多かったためだ。
それから、ルナ自身も多分、キョウの話を良くしてしまっていたと思う。それぐらい、自分の中はキョウの存在で占められていた。
先輩たちの気遣う視線を感じながら、ルナは朝礼に出席した。
* * *
「ルナさん、こっちの資料をお願いね」
「はい、分かりました」
先輩から渡された資料を見て、ルナはこっそりと溜め息をついた。
先輩に資料を手渡しされるのは、これで三度目だったからだ。
――また簡単な書類だ。
騎士団の事務所は、重要な書類は位の高い人が処理をする、というルール以外は比較的緩い。
今日中に処理することが予定されている書類を全員で片づければそれでいい、という具合だ。
今渡された書類は、新人でも簡単に処理できるものだ。二年前の自分がよく処理していたものだから、見ればすぐに分かる。
ここまで立て続けに簡単な書類を渡されれば、嫌でも分かる。
先輩たちは、明らかに自分を気遣っている。ただ、どうすればいいのかが分からなくて、結果簡単な仕事を割り振って楽をさせようとしてくれているのだと。
――気遣いは、嬉しいけど。
出来るなら、今は処理の大変な仕事をして他のことを考えられないぐらい、忙しくしていたかった。
でも、みんなの優しさも良く伝わってくる。
そんな人たちに、私は大丈夫なのでいつもどおりに扱ってくださいという勇気も、ルナの中にはなかった。
新しく渡された書類の処理は、直ぐに終わってしまった。
次の書類をと思って顔をあげると、先輩たちはいつもと変わらず忙しそうにしている。
ここで処理の複雑な書類を手に取ったら、また先輩の誰かがそれに気づいて、別の書類をお願いしてくるだろう。
忙しくしている先輩たちの手をこれ以上煩わせたくなくて、ルナは手元の書類を見つめながら、無意味な午前を終えることになった。
この姿を見た先輩たちは、彼女はやはり仕事が手につかないほど落ち込んでいるのだ、という誤解を加速させることになった。
* * *
入社初日のような居心地の悪さを感じて、ルナはやはりあの日、キョウが偶然とはいえ自分を事務所から連れ出してくれたのは、本当に大切な出来事だったんだと思い至った。
お昼休憩をもらい、食堂に来たルナは自分が何を頼んだのかも記憶にないまま、出されたものを受け取り、お金を払った。
空いている席に座り、手を合わせ、食事に手を付ける。
いつもは美味しく感じる食堂の料理も、全然味がしなくてルナは直ぐに手を止めてしまう。
食欲はない。でも、頼んでしまった以上、残すのも忍びない。
何にも考えていない行動をする自分にげんなりしながら、とにかく胃に詰めてしまおうと手を動かしていると、誰かが隣に座ったのが分かった。
「よう」
顔を見なくても、声を聴けば誰かなんて嫌でも分かる。
答え合わせをするように隣を見ると、そこにいたのはやっぱりキョウだった。
昨日の今日で、何を話したらいいのか分からず、ルナは固まってしまった。
「ルナ、それ……」
キョウはいつも通りに話しかけようとして、ルナが食べているものを見てびっくりしていた。
「そんな、腹減ってんのか?」
「あ、これは、その……間違えちゃって……」
彼が驚くのも無理はない。ルナが今日頼んだのは獣人用の定食だった。
食事の内容自体は人間と変わらないが、とにかく量が多い。
正直なところ、ルナがこれをどれだけ頑張っても食べきることは出来ないことは、頭でわかっていた。
「……あー、なあ。良かったら、俺に分けてくんね?」
キョウはいつも、まさにルナが間違えて頼んだ定食を食べている。
いくら彼がたくさん食べるからといっても、獣人用の定食を二つも食べるのは難しいはずだ。
「いいよ。午後の訓練に支障をきたしてほしくない」
無理しないでと伝えると、キョウはあからさまに眉を下げた。
ルナはこれを見て、いつもと変わらない会話をしている自分にぞっとした。
――自分が彼を振ったのに。
いつもと変わらない話し方をしている自分の無神経さが嫌で、ルナは視線を自分の定食の方に戻した。
「いや、俺……今日間違えたんだよ」
主語がないので何の話か分からず、怪訝な顔をしてしまった。
それを見たキョウは鼻先を人差し指で掻きながら、視線を落とした。釣られるようにルナが彼の視線の先を見ると、妙に量の少ない食事が目に入った。
「これ、人間用の量じゃない?」
「頼む定食、間違えちまったんだよ。でも、頼んだ後に変えてくださいなんて失礼だろ? だから……」
仕方なく人間用の定食を受け取ったという彼を見て、ルナは笑えなかった。
彼は、何も変わっていないふりをしてくれている。だからこそ、分かってしまう。
どれだけ彼が無理をしているかを。
「俺を助けると思って、それ分けてくんね?」
「そういうことなら……」
出来るだけ口を付けていない場所をとりわけ、キョウのお皿に移していく。
キョウだって明らかに辛そうにしているのに、結果として彼の役に立てたことに喜んでしまう自分がいて、さらに自己嫌悪した。
――このままじゃダメだ。
彼はきっと、今後も番の話をする前と同じように接しようとしてくれるだろう。
だけど、その度に彼は彼自身でも気づかないような気遣いを行い、神経をすり減らしてしまうだろう。
キョウは騎士だ。鍛錬で使うのが木剣とはいえ、大きな怪我をしないわけじゃない。
今のまま、自分のことで神経をすり減らし続ければ、それによって溜まった疲労から大きな事故につながってしまうかもしれない。
そうなれば、今だけ我慢すればいいなんて話では済まなくなる。騎士としての将来どころか、人生そのものが大きく変わってしまう。
ルナは、自分という存在がキョウにとって如何に重荷となっているかを目の当たりにした。
今さえ我慢すればなんて考えが、どれほど都合がいいかを思い知ったのだった。




