5.好きなくせに
仕事も覚え、キョウとも変わらずに仲良くしている。
順風満帆とも言える現実に影が差しこんだのは、キョウから番になってほしいと告白される、一週間ほど前のことだった。
今日もいつも通りに出勤し、業務をこなしていく。
一つずつ、不備がないか注意しながら、次の用紙を手に取った時だった。
「……あれ、また異動願い?」
名前に現在配属中の部隊名、それから希望する異動先が書かれている書類を見たのは、これで何度目だっただろうか。
それくらい、ここ最近に届けられた異動願いは多い。
とにかく仕事をしないといけないと、ルナは書類の記入欄に不備がないかのチェックと共に、異動願いを提出した人物をまとめる別の用紙に書き写していく。
すると、手元に影が落ちた。
「ありゃ、また異動願い?」
「あ、はい。そうみたいです」
こちらの資料を見て声をかけてきた先輩に相槌を打つと、相手もまたかと言った感じで困った顔をしていた。
「うーん、これだけ被るとなると、却下される人も何人か出ちゃうかもねえ」
「そう、ですね。こればかりは、全員の希望を聞いていると現場が回らなくなってしまいますから」
大きな負傷による異動であれば、早く承認されることが多い。
しかし、今回はどれも私情による移動願いなため、上からどういった判断が下されるかは未知数だ。
「まあ、前線部隊とはいってもここ百年は近隣国ともうまくいってるから、怪我人なんてまず出ないけど」
「それでも、現地での生活には慣れない苦労も多いでしょうから」
先輩の言うとおり、戦争があったのは百年以上前の話だ。情勢は悪くなく、近隣国とのいざこざもない。
しかし、前線に行く大変さは何も戦いだけではない。
むしろ、戦いがない時の騎士団は、大抵が自治を担うことになる。あるいは災害への対応などだ。
武器を振るうのとはまた違う苦労に加え、地元を離れるというのはやはり、寂しさを増幅させるのだろう。
「そうだねえ……あ、でもこの人もオオカミ族かあ。そういえば、この年はオオカミ族の人の入団、多かったもんなあ」
話を聞きながら異動願いに目を通していた先輩は、オオカミ族だと知った途端、何かを理解したように納得し始めた。
これを聞いて、ルナの頭の中に真っ先に浮かんだのはキョウの顔だった。
彼もオオカミ族で、ちょうど異動願いが多く出ているのは彼の二つ前後する世代の人が多い。
もしかすると、彼にも異動願いを出しに来る理由が出来るのではないかと思ったのだ。
「オオカミ族だと、何かあるんですか?」
「オオカミ族に限った話ではないけどね。番がある種族は――あ、やっば! この資料、届けないといけないやつだ! ごめん、この話はまた今度!」
先輩は自身が手に持っている資料を見て、届けないといけないものが混ざっていたことに気づき、大慌てで走っていってしまった。
オオカミ族が番として選んだたった一人を生涯愛し続けるというのは、有名な話だ。
――それ以外にも、番がある種族だと何かあるの?
しかし、先輩はいなくなってしまったため、その答えを得ることは出来なかった。
もやもやしたものを抱えたまま、ルナはとにかく目の前の仕事に集中した。
* * *
一仕事終わり、軽く休憩しようと思ったルナは立ち上がり、飲み物を入れに給湯室に向かった。
「オオカミ族の騎士の異動願い、多いですね」
中にいる人がオオカミ族について話しているのが聞こえてきて、ルナは足を止めた。
「若い人が多いから、多分、番を得た人が被ったんでしょうね」
「ああ、番か。それは仕方ないですね。番を得たオオカミ族が前線行きを嫌がるのは、有名ですから」
これを聞いたルナは、目の前が真っ白になった。
キョウとは今もいい関係を築けていると、ルナは思っている。
恋人とまではいかないけれど、友達以上の関係。
そろそろ、告白されるかも。あるいは、自分から告白してもいいんじゃないか。
そう思えるくらいには彼とはいい関係だと、思う。
でももし、ここで自分が告白をしたら?
そしてそのまま、彼が自分を番にしたいと言い出したら?
彼はあれからも頑張っており、評価も高い。
時折、このまま前線での経験もしっかり積めれば昇進も手堅いだろう、なんて噂話を聞くほどだ。
もしかして、キョウも番を得たら騎士としての昇進を諦めてしまう?
そんな予感が頭をよぎる。
どれだけ優秀でも、前線経験を一度も積んでいない騎士を昇進させることは、騎士全体としての士気にも関わるはずだ。
誰だって、大変な思いをしただけの地位や見返りは欲しい。
だからこそ、キョウも番を得て前線行きを渋れば、今までの努力が水の泡とまでは言わずとも、昇進は厳しくなってしまう。
この考えは、あまりにも鮮明な事実としてルナの頭の中を占めた。
ここ最近続けて提出された異動願い。願いを届け出た人はオオカミ族が多く、どれも理由は『私的事情による後方支援部隊への配置転換』ばかりだった。
――自分がキョウの足枷になる?
どくりと、心臓が嫌な音を立てた。
給湯室に入ることも忘れ、ルナはふらふらと後ずさりする。これ以上先の言葉を聞くのが怖くて、慌てて自分の席に戻る。
しかし、先ほど覚えた胸の痛みを無視することは、出来なかった。
少し前まで、彼とは恋人になれるかも。もしかしたら番に選ばれるかもなんて考えていた、浅はかな自分がおぞましい。
オオカミ族にとって、番はそんな軽々しいものじゃない。
もちろん、人間だって結婚は軽いものじゃないけど、彼らとはその重みが違いすぎる。
――今はまだ、その時じゃない。
少なくとも、この話が消える前に番を得るべきじゃない。
このまま前線行きを順調にこなせば昇進するかもしれない彼の将来を潰してまで、番にしてもらえるほどの価値は自分にない。
そんな自分が最後、彼に出来ることは一つしかない。
ルナはこれ以上、彼と一緒にいてはいけないと覚悟を決めたのだった。
* * *
キョウのことを考えているうちに、いつの間にか家についていたようだ。
ルナは鍵を開けてすぐに入って扉を閉め、玄関先に座り込んだ。
キョウは不器用だけど、騎士としての誇りを持っている、芯の強い人だ。
そんな彼の隣に立つのが、自分のような人物であっていいはずがない。
キョウにはもっと、相応しい相手がいる。
例えば、そう。彼の才能を伸ばし、騎士として共に切磋琢磨していけるような、立派なオオカミ族の女性とか。
少なくとも、自分のことばかり考えていた自分は相応しくない。
「……好きだよ、キョウ」
膝を抱えたまま、ルナは初めてその言葉を口にした。
自分も獣人族として生まれていたなら、胸を張って彼の隣に立っていたのだろうか。
そんなたらればを考えてしまうぐらい、自分がどれだけキョウに未練がましくしているのかを思い知る。
「ごめんなさい……。私が弱いから……ごめんね、キョウ……」
結局は、自分に自信がないのだ。自分のせいで彼の人生が潰えてしまうかもしれないという事実に、二の足を踏んでしまった。
好きなくせに、告白を断った本当の理由があまりにも惨めで、目が真っ赤になるほど泣き続けた。




