2.キョウと出会った日
キョウと出会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
あれは、ルナが騎士団の事務員として採用され、初めて出勤した日のことだった。
初めて出勤するルナを、みんな穏やかな心で歓迎してくれた。
ニコニコした顔で、困ったことがあったらなんでも聞いてねと、すれ違う一人一人が声をかけてくれる。
これなら頑張っていけそう。
そんな風に思っていた自分の考えはとても甘いものだったことを、ルナは一時間後に知った。
穏やかな空気は、二人の騎士が持ち込んだ書類によって崩壊した。
持ち込まれたのは、遠征から帰ってきたという部隊からの帰還書類だった。
これは、一部隊が帰還するだけでかなりの処理が伴う、事務所にいる人間としてはとても大変な仕事の一つだ。
それがなんと、二つも持ち込まれた。
先ほどまでニコニコしていた先輩たちが、慌ただしく動き始める。
なんで二組も同時に帰還してきたんだと、先輩が問いかけているのが聞こえてくる。
書類を持ってきた騎士たちは揃って遠征先のトラブルに見舞われ、帰還を余儀なくされたと答えていた。
トラブルありの帰還と知った先輩たちは、さらに顔を青ざめさせていた。
これはえらいことだと、ある人はどこかの部署へ遣いに行き、他の人たちは自分の机に座り、資料を手分けして処理を始めた。
アットホームだった事務所は、一瞬にしてひりつく空気で満たされた。
みんなが、猫の手を借りたいと言わんばかりの忙しさに悩殺されている。
そんな中、自分はというと、たった一時間しか業務について教わっていないため、完全に戦力外だった。
ルナは自分が役立たずな存在であるということを目の当たりにし、不安で押しつぶされそうになった。
自分なんて、ここに居ないほうがいいんじゃないか。
そんな風にルナが思っていた時、彼は現れた。
「すみません。誰でもいいんで一人、来てほしいんですけど」
紺色の耳と立派な尻尾を持ったオオカミ族の騎士が、事務所に入ってきた。
その瞬間、張り詰めていた灰色の空気が大きく揺れた気がした。
――お願いだから、今日だけは刺激しないで。
わがままな自分の心の叫びが聞こえたのか、全員がすごい形相で彼を一斉に睨みつける。
これには彼も驚いたようで、ピンと立っていた耳をぺたりと下げ、大きな体を小さくして居心地悪そうにしていた。
まるで、自分が悪いことをしてしまったみたいに。
「あー……あ、君。君は今空いてる?」
不意に、彼と目が合った。
「私ですか? 空いてはいるんですが、その……」
「じゃあ、ちょっとお願いしていい?」
新人なのでと、断る隙すらなかった。
自分が助けを求めるように周囲を見ると、一人の先輩が行っておいでと許可を出してくれる。
ルナは逃げるように、彼の背中を追って事務所を後にした。
「……びっくりした。いつもみんなニコニコしてんのに、今日はすっげえ顔してたな」
「遠征隊の帰還が重なってしまったらしくて。物資の補給リストやトラブル原因の洗い出しなど、仕事が山積みのようです……」
「あー、そういうことか……。悪いことしたな」
ルナがキョウと出会ったのは、この時だ。
逃げ出すことも許されない状況で、事務所を後にしていい正当な理由をくれたキョウの登場は、さながら救世主のようだった。
今度こそ役に立ちたくて、歩く速度の違う彼に合わせていると、少しずつ息が上がってきた。
「……ん? あ、わりい。速かったか?」
「い、いえ! これくらい、大丈夫です」
ただでさえ、事務所では戦力外だったのだ。
ついた先で自分に出来る仕事なのかは分からないけど、ついていく程度のことぐらいは出来なければ。
自分がどれだけ奮闘しても、男性に合わせて歩くのは思ったより大変で。
結局、見かねたキョウが速度を落としてくれた。
「ごめんなさい……」
「別に、これぐらい謝ることじゃないって。俺こそ、自分の用事で呼んだのに気が回らなくて悪いな」
彼が特に気にしていないというのは、よく分かった。
耳もさっき事務所で見たようなぺったんこではないし、尻尾もゆっくりと左右に振られているからだ。
嘘をつかれていないという安心感に少しだけ、ずっと張り詰めさせていた気持ちを緩めることが出来た。
「ここだ。中に入ってくれ」
そうしてキョウに連れてこられたのは、錬用の装備が並ぶ武器庫だった。




