2 レポート
「ランラン先生ってさぁ」
教室の前から、明るく弾むような声が聞こえた。
呼ばれた愛称は、理科担当教師の斎木のものだ。教卓のところで授業の後片付けをしている斎木に、女子生徒の何人かが絡みにいっているのだった。
「なに? そのパンダみたいな呼び方。だいたい、名前、ランじゃないんだけど」
「えぇ? いいじゃんべつにー。そうも読むじゃん。それよりさぁ、ランラン先生。先生って、すごい、絵、上手だよねー」
斎木はこのクラスの副担任でもある。新任の若い女性教師だったが、年齢が近いから親近感を持たれるのか、新学期早々、こんなふうによく女子生徒たちに囲まれているのだった。
「ふふ、ほめてくれてありがとう。理科教えるなら絵が描けると得だって、大昔は言われてたんだって」
斎木がそんなふうに応じた瞬間、それまで黒板に投影されていた、花の構造の絵がぱっと消えた。先程までの授業中に、斎木が電子ペンを使って、さらさらと描いたものだ。
「へえ、そうなの?」
「みたいよ。だって、ほら、理科っていろいろ図とか描かなきゃだから」
「たしかにー。でも、社会は? 社会だって、地図とか描くじゃん」
「まあ、ねえ。じゃあ、社会の先生も、絵は上手なほうがいいんじゃない?」
女子生徒の言葉を、斎木はいかにも適当に受け流していた。
「まあ、いまとなっては、理科でも社会でも、なくてもいいスキルかもしれないけど。だって、この時代、これがあるしね」
そう言って斎木がとんとんと叩いたのは、電子黒板の機材だった。
「絵を描く技術だって、あって損ってわけではないけどね」
斎木は笑った。
全国の学校の黒板は、いまや黒板とは名ばかりの、電子黒板になってしまっているであろう。奏斗の中学校ももちろんそうだった。学習環境を売りにする私立だから、もしかしたら、そうした機器やシステムの導入は公立中学に先駆けていたかもしれない。
教師たちは、教科を問わず、電子黒板を使って授業をする。生徒全員にはタブレット端末が漏れなく支給されてもいて、連絡事項の確認や課題の配信、提出などは、その端末を用いて行うのが普通になっていた。
そういえば、と、奏斗はふと思う。
その点、この理科担当の斎木は、普通ではないかもしれない。ぼんやりと頬杖をついて、じきに運動部の練習が始まるのだろう校庭を眺めていた奏斗は、ふいにそんなことを思った。
窓の外には、かつて見事だったと話にきく、メイヨシノの切り株が見えている。その向かいには、十年程前に新校舎が建って以来、使用頻度が極端に落ちたらしい旧校舎があった。
「ああ、そこの、森口奏斗くん」
ふいに斎木が奏斗を呼ぶ声がして、奏斗ははっと我に返った。
「っ、はい。――何ですか? 先生」
慌てて斎木のほうを見ると、相手は、にこ、と、笑った。
「君さ、あとで、職員室まで来てくれる? ちょっとレポートのことで」
斎木はそれだけ言うと、そのまま教室を出て行ってしまった。呼び出しをくらった奏斗は、うげ、と、あからさまに嫌な表情をした。
*
「で。用件は何ですか? 斎木先生」
帰り支度を整えた奏斗は、鞄を持った状態で、職員室の斎木を訪ねた。奏斗の姿を見とめた斎木は、ちら、と、苦笑する。
「やあ、森口奏斗くん。帰る気満々に見えるけど、君、部活は? 今日も行かないつもりなの?」
斎木はまず、そんなことを言った。
そういえば彼女は、今年パソコン部の顧問に新たに就任していたような、と、奏斗はそんなことを思い出す。レポートのことで呼び出されたはずだったが、クラブ活動のことでも何か言いたいことがあったのだろうか。だったら余計なお世話だ、と、そう思った。
「他のやつから聞いてません? オレが幽霊部員だって」
奏斗は素っ気なく言った。
「聞いてる聞いてる。でも、せっかくみんなが新しいことにチャレンジしようとしてるからさ、君もいっしょにどうかなって思っただけ」
「あー……興味ないんで」
「そう? 生成AIなんかも、すっごくうまく使いこないしてるみたいなのにね」
斎木は、ふ、と、口許を弧のかたちにすると、デスクの上の紙をぺらりと持ち上げた。
「はい、これ。君のレポート」
そのまま奏斗のほうに差し出してくる。
「森口奏斗くん。君、これ、AI使って書いたでしょ?」
端的に言われて、やっぱり本題はそのことか、と、奏斗は思った。
前回の理科の授業の時、斎木は奏斗たちのクラスに課題を出していた。花のつくりに関する短いレポート作成だ。課題内容としてはさほど難しくはなかったが、必ずレポート用紙に手書きして提出のこと、という、このご時勢にちょっとかわった指示がついていた。
「ちゃんと手で書いてます。ほら、オレの字ですって」
奏斗は斎木から受け取ったレポート用紙を、ひらひら、と、振って見せた。もちろん、斎木が疑っているのは手書きか否かという話ではないので、敢えてとぼけてみせたというわけだ。
「はは。内容の話だってわかってて、そうきたか」
斎木は、くすくす、と、なぜかおかしそうに小さく声を立てて笑った。
奏斗は、くすん、と、肩をすくめた。
「生成AI使っちゃだめだって、あらかじめ言われてましたっけ?」
「ううん、言ってない。でも、わかるでしょ? だって、レポートだもん。自分でやらなきゃ意味ないじゃない」
発言自体は説教くさいが、斎木の口調は決して、叱りつけるふうではなかった。彼女は終始、にこにこしている。ただただ奏斗の反応をおもしろがっているようだった。
「でも先生、AIなんて、オレ以外にも、みんな使ってたでしょ。だって、そういう時代じゃん?」
たしかに奏斗の提出したレポートの内容は生成AIを使って作ったものだ。だが、生徒全員がタブレット端末を使いこなし、九割以上がAI搭載のウェアラブル端末を身につけて日常生活を送るこの現代という時代において、レポート作成にAIを用いたのが奏斗ひとりだけだったとは、とてもではないが、思えなかった。
「まあね。みんなは言い過ぎだけど、たしかに君だけじゃなかったわ」
「じゃあ、なんでオレだけ呼び出すんすか?」
「んー……なんていうかなあ。こういう場合、みんなそれなりに、AI使ったことを誤魔化そうと努力するんだよね、ふつう。そこにおいて、君のレポートからは、AI使って書きましたってのを隠そうとする気が、まるで感じられなかったから……かな」
斎木は虚空を眺め、言葉を探すようにしながら言った。
斎木によれば、作成にAIを使用した痕跡があるレポートは、ほかにもいくつかあったらしい。彼女の目をうまく誤魔化しきったものもあったかもしれない、と、そう言って笑いさえした。
ただ、AI使用の痕跡のあるレポートは、それでも、言い回しだとか、内容だとかに、生徒自身の手が加わっている様子だったという。斎木の目に、AIが出力したものをそのまままるごと写したように映ったのは、唯一、奏斗のレポートだけだったらしい。
「さすがに入試突破してこの学校に入学しただけのことはあるよねー。小賢しいっちゃ小賢しいけど、そのまま写したらさすがにバレてまずいかもって考えるだけの頭は、ちゃんとある。――で?」
どうやらレポート作成にAIを使ったことを咎めているわけではないらしい斎木は、楽しそうに笑った後、目を細めて奏斗を見た。
「でって?」
斎木の意図をつかみかねて、奏斗は訊ね返した。
「なんでなのかなって。だって、君も、やろうと思えば、誤魔化しなんか楽勝で出来たんじゃない?」
「あー……中三のレポート風に書き直してって、AIに言ってから写す、とか?」
「あはは、そうね。それだけでもずいぶん、雰囲気かわったよね。――でも、そういう小手先の技も、今回、君は使わなかった」
なんで、と、椅子に座ったままの斎木は、奏斗を覗きこむように見上げる。
「それでね、ちょっと思っちゃったんだ、私。実は君、AIのこと、好きじゃないでしょ?」
そう端的に言った斎木は、また、にこ、と、笑った。
思いもよらないことをいわれた奏斗は面食らって、思わず絶句していた。
「なんて、ね。あたしの考えすぎかな」
言葉を失った奏斗を前に、一拍ののち、斎木は冗談っぽく付け足した。
「ま、要するにだね。AIを使うなとは言わなかったけど、せめてちょっとは自分のフィルターを通してほしかったなって、先生は思うわけ」
「でもそれ、何の意味があるんっすか? だって、いまじゃ、大抵のことはAIが出来ちゃうじゃん。なのに」
「まあ、そうなんだけどね。――そうだなあ……たとえば、どうするの? 今年の秋には、我が校恒例伝統の卒業文集で、作文しなきゃでしょ。それとか」
「あー……それもAIに書いてもらえばいいっていうか」
奏斗がぼそぼそとそんな答えを返したときだった。
「――斎木先生」
ふと聞こえた声に振り向くと、職員室の入り口のところに見えたのは、転入生の俊の姿だった。思わぬ相手の登場に、奏斗はちょっと、目を瞠った。
「ああ、宮下俊くん。ちょっと待ってね。いまから森口くんが案内してくれるから」
斎木の口から出た言葉に、更に、ぎょっとする。
「は? ちょっと、なんの話すか?」
「宮下くん、理科係になったのね。その関係で、今後、教科準備室に行ってもらうことも出てくると思うからさ。森下くん、いまから彼を、案内してあげてくれないかな」
「やですよ。ってか、なんでオレ?」
「ん。レポート不正を見逃す交換条件、かな」
まさにいま思いついたかのような、取ってつけた理由づけとともに斎木が見せたのは、こちらに有無を言わさぬ笑顔だった。




