February-14((漂泊の果てに)
一瞬で、目の前に建物を認識できる。
雪江は、あの女子に導かれるように漂っていた。
ただ、漂っていたわけではない。
この島の八十八か所の霊場を順打ちしていた。
西野高野と呼ばれる伝説に導かれるように、雪江は漂っていた。
金星の名前を関した寺院をはじめとして、時には海を渡った番所にも漂い続けた。
山の中でもあり、海沿いでもあり、寺院でも、あるいは民家の庭先でもあり、いたるところに
番所はあった。
それを、雪江は漂い続けた。
同行二人の言葉通り、あの女の子がいつも一緒だった。
だだ、会話をすることもなく、手をつないでいた。
雪江の記憶はゆっくりと退行して思い出していった。
自分がこの世のものざる者であること。
そして、なぜか自分を認識している勇生の存在。
少しずつ、分かりかけていた。
海を渡った番所で、洞窟に祭られた観音像を祭る洞窟へと
いざなわれた。
"あなたと同じように漂っていた、女の人がいたの、だから、一刀三礼でこの観音像が鎮魂の意味で
作られて、祭られている。"
暗い洞窟の一番奥に、祭られた観音像はふっくらした顔つきで,この暗闇の中でさえ優しい光を
まとって見えた。
#その人は?#
と問いかけた雪江の問いに少女は
"送路は開いたわ、願いは石工の一刀三礼で満たされた"
といって、観音像を見上げた。
"菩薩は、現世の虚飾や欲をまだ捨てていないため自ら修行しつつ人々
を救済する役割を果たす仏。"
#私は、まだ 漂っているのですね#
少女は、雪江の問いに首を振った。
"あなたは、きっと巡りあえるはず。あの人は逆打ちで回っている。
必ずどこかで会えるはず。それに、今年はうるう年。"
雪江の意識の中に、ある言葉の意味がなだれ込んできた
逆打ち
八十八ヶ所「逆打ち」とは、88番札所から1番札所へ、反時計回巡り方で。通常とは逆のルートで巡るため「逆打ち」と呼ばれ、うるう年には「逆打ち」をすると3倍のご利益があるという伝説が由来がある。これは、 弘法大師が巡っている順打ちとは逆で巡ることで、巡り会えるという故事に基づいている。
"誰でも漂っているのです。それが自覚できないだけ。あの人も漂ってる。だから
あなたを認識できる。でもそれは、あの人はいつ死んでもいいと思っているから。あなたしか
あの人を導けない。どんな結末であっても"
洞窟の天井が金色に輝きだした。
洞窟の入り口から大勢の人と金色の袈裟をかけた僧侶が
入ってきた。
燭台にろうそくがともされて明るくなった。
洞窟の中に、読経の声が響いた。
蝋燭で光で、洞窟の中の水滴が白く見えた。
僧侶以外の人たちは、目を閉じて手を合わせている。
天井には、黄鉄鉱がちりばめられていた。
観音菩薩像の周りがうっすらと光り輝いている。
あたたかな光だ。
外の荒ぶる波の音も、寒さもなく。
静寂の中で雪江の意識にあたたく優しい気がなだれ込んで
雪江の体を包んだ
雪江は、地に足をつけた。
女の子はつないだ手を離した。
"もう、大丈夫だね"
雪江は微笑で首を縦に振った




