断章『侯爵家の災難』
ひどい五年間だった。
執事は振り返る。
始まりは、侯爵家の跡継ぎの結婚式。
幸せの象徴であるべきの場所は、混沌と困惑と、悲劇と喜劇が同時に起こっていた。
そもそも、王家から押し付けられた花嫁だった。
元隣国の姫であった妃殿下の姪が、世継ぎの王子と歳の近い貴族の子息を集めた茶会で、オスカー・フォークナー侯爵家令息にひとめぼれした。
オスカーはこの時13歳で、彼女は12歳。
フォークナー家としては、外国から嫁を取るメリットは何も感じられなかったので辞退したが、妃殿下に懇願された国王陛下が、後押ししてきた。
こうなると断るのが難しくなる。
相手は隣国の侯爵令嬢であったが、最低限でもこちらの国の言葉と習慣を身に着ける事、多額の持参金等を条件に、婚約は結ばれた。
彼女は、16歳でこちらの学校へ留学して来たり、この国に馴染もうとしていた。
オスカーもそんな彼女をけなげに思い、歩み寄っていた。
元々、殆どの貴族は政略結婚である。
ある意味、相手が誰であろうと同じであった。
だが、彼女は結婚式の3日前に、国から連れてきた己の騎士と逃げた。
騎士は彼女の幼馴染だった。
彼女が叔母を訪ねて、オスカーに一目ぼれしなければ、一緒になっていた相手だったかもしれない。
彼は慣れない国、知らない家に入ることへの彼女の不安を巧みに煽り、祖国に連れ帰った。
『言ってくれれば良かったんだ』
話を聞いたオスカーは、ため息をついた。
相談してくれれば自分が支えられたのに、ではなく、相談してくれれば、もう少し穏便な形で婚約解消が出来たのにと思ったのだ。
ここで、結婚式を中止して、改めて花嫁を探せば、誰もこれ以上不幸にならずに済んだだろう。
だが、結婚式に参列するために来ていた、彼女の親戚、隣国の公爵家の令嬢が
『私が、彼女の代わりに花嫁になりますわ!』
と言い出したのだ。
先日挨拶を交わしたばかりの、秀麗な容姿を持つ花婿に、彼女も一目で恋をした。
何を馬鹿な、と最初は誰も取り合わなかった。
だが、ここでまた王妃が出て来た。
『お忙しい陛下がわざわざ時間を割いたのですよ。花嫁の代わりが見つかったのなら、式を挙げるべきです!』
何を言っても無駄だった。
『今度の令嬢の方が身分は上だから、侯爵家にとっても良いではありませんか!』
最初から常識がない相手には。
侯爵は苦肉の策として、大神官に『形だけ』の式を取り計らってくれるよう頼んだ。
そんな状況で強行された式では、身代わりの花嫁は終始興奮状態だったが、侯爵家側は殆ど葬儀のような状態だった。
式が終わり、侯爵は『花嫁役』を務めた令嬢とそのお付きに、丁重にお引き取りを願った。
だが彼らは、令嬢の疲労を理由に、本来の宿泊先の王城でなく、そのまま侯爵邸に滞在を希望した。
疲れているのは本当だろうし、追い出すのは後ろめたい。
仕方なく滞在を許したが、彼らは侯爵邸に居座った。
荷物が隣国から届いた事で、侯爵は『隣国から来たものすべて』を引き取るよう王妃に直訴に行ったが、その場で己の息子と、花嫁役の令嬢の結婚証明書が、正式に神殿に受理されたと告げられた。
「あれは形だけの筈です! 妃殿下も納得されていたでしょう」
「でもねぇ、嫁入り前の令嬢が、神の前で結婚の誓いを行ったのよ? しかも、その後も侯爵邸で過ごしているんでしょ? 既成事実と取られて当たり前だわ」
困ったような口調だったが、楽しそうに微笑む王妃の前で、侯爵は己が謀られたのを知った。
神官にも、王妃の息がかかった者がいたのだろう。
王妃は何としてでも、自分と同じように隣国の王家の血を引く令嬢を、この国の侯爵家に縁付けるつもりだったのだ。
ある意味、王妃は、元王女の鏡だった。
両国の友好の為といえば美しいが、ようは他国の裕福な侯爵家の富を狙った政略だった。
結果としては同じかも知れない。だが、最初の令嬢はお互いの家で納得済だったが、今回は違う。
幾ら持参金を積まれようと、慣例も秩序も常識も無視した相手が家に入るなど、侯爵家として認める訳にはいかなかった。
国際問題になるので、冷遇して追い出す事は出来なかった。
ならば、招かれざる客には、己から出ていくと言ってもらうことにした。
侯爵夫妻は、表面上は穏やかに令嬢と接したが、決して『嫁』扱いはしなかった。
オスカーは領地での仕事を増やすことで、王都の屋敷から遠ざかり、令嬢と二人だけになることは一度もなかった。
使用人たちも、あくまで他人として扱い、お客様に対する最上のもてなしに努めた。
その結果、令嬢は一年待たずに隣国へ戻った。
散々、侯爵家で傲慢に振る舞い、侯爵家の金で散財し、侯爵家の人々に当たり散らした後で。
その後、隣国で、フォークナー侯爵家が、嫁いびりをして二人の令嬢が逃げ出したという噂が立った。
噂はこちらの国にまで聞こえてきて、当事者とされた侯爵夫人が心労で倒れた。
元々、最初の令嬢を親身になって世話をしたにも関わらず、裏切られたショックも大きい所に、次の令嬢の傍若無人な態度で、心身ともに弱っていた夫人は、療養の甲斐なく亡くなった。
二年後、息子の伴侶選びを悔いていた侯爵も、失意の内にその後を追った。
これが侯爵家が後年語り継ぐ事になる、悲劇の五年間である。
…常識の違う人には何を言っても無駄という話。




