6.バツイチ侯爵様と執事(後)
…………ひと月前。
「クレメンス伯爵家の令嬢を妻とする」
「おめでとうございます」
「……誤解するな。形だけだ」
私のお仕えする侯爵家の旦那様は、必要に迫られて『奥様』を探しておいででした。
個性的な条件が提示された、高位貴族の令嬢方の調査には私も関わっていましたので、クレメンス家の御令嬢の苦境も知っておりました。
「伯爵家の懐事情は厳しい。支度金を出すと言えば、娘がどんな扱いをされても文句は言わないだろう」
アクシデントが重なり、女性不信となられたオスカー様が、どんな形であれ『令嬢』に同情され、助けたいと思われたのでしたら、それはそれで貴重な事です。
「畏まりました。さっそく、話を進めます」
「任せるぞ」
予想通り、こちらの申し入れに、伯爵家は二つ返事で応じ、オスカー様はお嬢様とお顔合わせに行かれました。
ですが、戻ってきたオスカー様は、少し思い詰めた顔をされていました。
「何か、不備などございましたか?」
「いや問題はない……その、彼女を迎える用意はどうだ」
「はい。旦那様のご要望通り、この執務室とは離れた棟にお部屋を用意致しました」
メイド長も、どんな理由にせよ、オスカー様が女性に興味を持たれた事を良しと考え、奮起して部屋を整えています。
「そうか。予定より早めに、彼女を連れてくるかもしれん」
「はい。大丈夫です。いつお連れしても」
声に出さずに済みましたが、私はかなり驚きました。
だが表情に出てしまったのか、オスカー様は早口になって言い訳を始められました。
「違うぞ! あくまで契約結婚だからな! 気に入ったからとかそういうのではなく、彼女に食事をさせたいと思ってだな……!」
「……お食事、ですか?」
「そうだ。その……あの家では、彼女はあまり食べてないんだと思う」
「つまり、お痩せになっているんですね」
「……あぁ」
オスカー様の眉間のしわが深くなっていました。
こちらで調べた以上に、伯爵家の、令嬢に対する待遇は、酷いものだったのでしょう。
私は、少し浮かれてしまった己を反省して、メイド長と共に、令嬢を迎える準備を急ぎました。
「滋養のあるものを……それと、やはり女性ですから、甘い物も取り揃えましょう」
「服や寝具は、柔らかい物が良いかもしれませんね」
数日後、オスカー様に連れられてきた令嬢は、確かに痩せていて、年齢よりも小さく見えました。
着ている服も古く、とても貴族令嬢の物とは思えません。
このような姿で、令嬢を外に出した伯爵家に対する、侮蔑と怒りの念が湧きます。
ですが、おずおずとこちらを見上げる、お嬢様の大きな緑の瞳にはキラキラとした光がありました。
(賢そうなお嬢様です)
その予想は、幸いな事に外れておりませんでした。
このまま行けば近い未来、私共は侯爵家にふさわしい女主人を、迎える事が出来るでしょう。
「マナーとかは、どうだ?」
「淑女教育を受けていないと伺って、心配していたのですが、少しの誘導で歩き方も美しくなり、カトラリーの扱い等も問題ありません」
「そうか……やはり、一度は会わせないと駄目なようでな」
苦々しいご様子です。
オスカー様としては、お嬢様には、この屋敷で心静かに暮らしていてほしいご様子ですが、尊き御方からお声が掛かっているようです。
無理もないのでしょう。
フォークナー侯爵家の、5年ぶりの花嫁ですからね。
さぞかし、お気になさっておられるのでしょう。
「春の社交シーズンまでには、お嬢様も落ち着かれるかと」
半年後であれば、最低限のマナーその他を身に着ける事も可能でしょう。
「……無理は、させなくていい」
「はい。お身体のご様子や、ご本人の動向を確かめながら、進めたいと思います」
「そうだな……」
「あぁ、オスカー様もお手伝いいただけますか?」
「私が!?」
「お食事を共にして、お嬢様のお手本になっていただきたいのです」
メイド長もポンっと手を叩きます。
「そうですね。今、お嬢様はお一人でお食事をなさっております。隣に立ちお教えする事も出来ますが、どう在れば良いかが分からない状態です」
私共使用人は、主やその家族とテーブルを共にする事は出来ません。
今はまだ余裕がないので、お食事に集中してらっしゃいますが、そのうち、お一人では寂しく思われるでしょう。
「私に、見本になれと……?」
「この館に、貴族の立ち居振る舞いの見本となれるのは、オスカー様しかいらっしゃいません」
「旦那様のご都合で、お嬢様は、尊き御方に会わねばならないのでしょう? それ位なさっても、罰は当たらないと思われます」
オスカー様は、既に罰に当たっているような表情になられました。
「だが、私が、彼女に、私と関わるなと、言ったんだ……」
苦悩に満ちた声です。
オスカー様のお立場も分かりますし、言ってしまった言葉は取り返せませんが、新たに言葉を重ねる事も出来るでしょう。
「でしたら、お嬢様に、『これは必要な事なのだ』と、誠意を尽くしてご説明をされたらいかがでしょう?」
「お嬢様はオスカー様に感謝されています。きっと分かっていただけますよ」
唸ってらっしゃいますが、やがて陥落されるでしょう。
最近のオスカー様は、お食事時間を削って、執務に取り組んでいます。
時には、食事を抜かれる事もあり、料理長からも心配の声が上がってましたが、これで一部は解消できるでしょう。
本当に、お嬢様がいらして良かったです。