5.バツイチ侯爵様と執事(前)
「あまりに嬉しそうに食べる様子に、お止めできず……申し訳ありませんでした」
メイド長が頭を下げるのを、椅子に座り書類を読んでいたオスカー様が、手をあげて止めました。
「……で、どうだったんだ?」
「は?」
「いや、医者を呼んだんだろう?」
「お嬢様のお身体の事ですね」
お嬢様を、名前だけの『妻』として連れてきた手前、気にしていると言いづらいのでしょう。
「はい、念のため医師を呼び、検査していただきました」
「それで?」
「長年に渡る栄養失調でした」
「それだけか?」
少し不満そうなオスカー様に、私は淡々と告げます。
「馬鹿に出来ませんよ。もう少し続けば、歩いただけで骨が折れ、軽い感冒で儚くなられたかもしれません」
本当の事です。
ただ、私とメイド長が密かに心配していた、お嬢様のお身体に殴打等の痕は認められないと診断された事には、ほっと胸をなでおろしました。
そんなことを知らない御主人様の、眉間のしわは益々深くなっています。
「間に合って良かったと思いましょう。まだお若いのです、やがて回復されるでしょう」
そう、1年もすれば、年相応の女性らしいお姿になられるでしょう。
素材がよろしいから将来がとても楽しみと、メイド達がはしゃいでいると聞きます。
元来のお美しさを取り戻されたお嬢様を前に、オスカー様がどうされるかは……私も『楽しみ』ですね。
「それにしても……クレメンスと云えば、以前は名門と呼んでもいいお家でしたのに」
メイド長が、ふうっと息を吐きます。
「あそこは先代、先々代と、金遣いの荒い奥様がいらっしゃったようですね」
「今の奥方も中々だと思うぞ」
そう言って、オスカー様が机の上に投げたのは、クレメンス家の調書、最新版でした。
「最初にお渡しした支度金は、既に宝飾品に使用されたようですね」
「あぁ、次に入る金をアテに借金もしたらしい」
「お嬢様の言う通りでしたね」
伯爵家に払われる支度金を、分割にした方が良いと提案されたのはお嬢様でした。
早々に、無駄に使われる可能性が高いと。
そもそも『支度金』は、花嫁のお輿入れ準備に使う物です。
着古した服で、小さなトランク一つだけを持っていらしたお嬢様に、使われていないことは明白です。
「あぁ……」
「学校にも行かず、あのような環境で育たれたのが信じられないほど、お嬢様は聡明ですね」
「本が好きだからだろう」
確かに、それもあるでしょうが、それでは考えられない事もあります。
「計算もできるようです」
「は?」
「うかつでしたが、本屋に出させた商品目録に値段が書かれていました」
商品目録は家人が見る場合には、金額を消すものです。
今まで見るのが使用人だけだったので、金額を載せたリストが提出されたのでしょう。
「幾らくらいまでならいいか?と、尋ねられましたので、気にしなくてもいいのですよ、とお伝えしたのですが、尚も、目安を知りたいとおっしゃられるので、適当な額をお答えしました。そうしましたら、その金額内に納まる値の本を4冊選ばれました」
メイド長も頷いた。
「えぇ、あれには私も驚きました」
「偶然じゃないのか?」
「いえ、1つ気になるご本があったようなのですが、値段が張る物だったので、あきらめてらっしゃいましたから」
「そうか……」
少し考えていたご様子ですが、やがてオスカー様はぽつっとおっしゃいました。
「……気になっていた本を覚えているな?」
「はい」
「幾らでもかまわん。買ってやれ」
私とメイド長は、さりげなく視線を交わしました。
「かしこまりました。……旦那様から、贈り物としてお渡ししては?」
「そんな必要はない」
オスカー様はきっぱりお答えになりましたが、
「再来月が、お嬢様のお誕生日です」
と告げますと、言葉が途切れました。
「……その時は、また何か考える」
「かしこまりました」
つまり、お誕生日の贈り物は、別に買うということですね。
大変、良い傾向です。
メイド長もニコニコ微笑んでいます。
平民よりもボロボロの姿で現れたお嬢様に、使用人一同驚かされましたが、本当にお迎えして良かったと思います。
オスカー様は気を取り直すように、調書に目をやると、おもむろに命じられました。
「クレメンス伯爵家の事は、全てお前に任せる。彼女……エヴァグリーンに、今後一切関わらせるな」
「了解しました」
私は胸に手を当て、恭しく頭を下げます。
調査をした者達も、憤りを隠せなかった様子でしたし、多少痛い目を見ていただいた方がよろしいでしょう。
フォークナーを、ただの金蔵としか思っていない様子でもありますし、侯爵家に関わるという事が、どのような事なのか教えて差し上げなければ。
(あぁ、ですが『奥方様』のご生家を、失くす訳には行きませんね……)
その辺りの匙加減には、気を付けることに致しましょう。
……まぁ、どうしようもない場合は、仕方ありません。
お嬢様のご実家の差し替えを、オスカー様に提案させていただきましょう。
…若い頃は、やんちゃしてた戦える執事。