4.雑草令嬢のお食事風景
侯爵家は、居心地が良かった。
三食昼寝付き、本はたくさん、目が疲れた頃に、さりげなく散歩に連れ出される。
散歩の終わりには、必ずお茶とお菓子の用意があった。
「今日はイチゴがありますよ、お嬢様」
「楽しみです……」
好みはあっさり把握され、手替え品替え、飽きさせない工夫で供される。
(舌が貧しいので、そんなアレンジなんかしなくても、絶対飽きない自信がある……)
美容に関して熱心なのと、服やアクセサリーの試着の回数が多いのが玉に瑕だが、侯爵夫人として必要な事なんだろう。
使用人が皆、過保護に思える程好意的なのが謎だが、自らを振り返ると、確かに同情される姿ではあったかなぁと思った。
(ろくに手入れされていない髪や肌、何年も着たきりの服)
物心ついてからずっと、あの姿が当たり前だったので気にならなかったが、このお屋敷にいると
『アレはナイ』
のがよく分かる。
この世界に湯船があることすら知らなかった、自分です。
マッサージはこそばゆいけど、湯船に浸かって髪を手入れされるのは、とても気持ちが良かった。
(こんなハイソな待遇、どこの御貴族様よ……って思ってしまったけど、一応貴族でした、私も)
ずっと部屋で、水に浸した布で、体を拭くだけだけった。
それだって、毎日じゃなかった……今更ながら、よく追い返されなかったと思う。
この家は水道があるだけでなく、ボイラーもあるらしく、朝でも昼でも、いつでもお湯が用意されてくる。
トイレも水洗だし、匂いも気にならないから、おそらく上下水道が備わっているんだろう。
実家にいた時は、屋敷はどこもじめじめしていて暗く、前世の中世当たりのイメージだった。
(あれは、いろいろケチってた、だけなんだろうな)
此処に住んでいると、所々でずっと生活基盤が進んでるのが分かる。
でも移動は馬車だったし、汽車もまだのようだ。
改めて異世界だなーと思った。
屋敷に来て一週間後、食堂で朝食を取っていたら、侯爵様が入ってきた。
(侯爵様が食事で使う部屋は、別だと聞いていたのに!)
私は、あわてて立ち上がった。
「すぐ、退出いたしますので!」
「いや違う! たまたま通りかかっただけだ。座ってくれ」
それでも私がためらっていると、侯爵様はテーブルに乗っている、私の朝食を見て怒り出した。
「これは何だ!? なぜこんな粗末な物しかない」
机に乗っているのは、スープとパンだった。
だがスープはシェフ特製、素材の栄養と旨味の詰まった一品で、パンは焼きたてのほかほかだ。
料理名だけ聞けば、実家と同じメニューだが、全く違う存在だった。
「違うのです、申し訳ありません! 私がたくさん食べられなくて、最初はたくさん出していただいたのですが……」
ずっと粗末な食事しかしていなかった私は、久しぶりの味のある食事に感激して残せず、無理に限界まで食べて吐いてしまったのだ。
(思い出すだけで、恥ずかしいし、しみじみ申し訳ない)
以来、少しづつ食べられる物を増やしていきましょうね、とのメイド長とシェフの計らいで、今のようになっている。
夕飯はもっとお皿が多く、少量なのを感じさせなようにか、とてもカラフルで、毎度楽しませてもらっている。
説明しようとしたが、すぐにやってきた執事さんに、侯爵様は引き取られていった。
一緒にやって来た、メイド長が、優しい声で
「お食事をお続け下さい。大丈夫ですからね」
というので、連れていかれた方向を気にしつつも、何とか今日の分を完食した。
食後のお茶を出されたところで、侯爵様が戻って来た。
事前に立ち上がらないように言われていたので、座っていたが、何と侯爵様も同じテーブルの向かい側の席についた。
侯爵様の前にも、お茶が出される。
「騒いですまなかった……」
「いえ、そんな」
「……君との約束を破ってしまったのかと慌てた」
侯爵様は、視線を合わせなかった。
改めて、真面目な人だなぁ、と思った。
私が、食事にこだわっていたのを覚えているのだろう。
あの家の中が、この世界のすべてじゃないと、知った今となっては、とても恥ずかしい。
「私、このお屋敷で、とてもよくしていただいてます」
「そうか……」
「ご飯も美味しいし、本もたくさんあるし、働いている人達も皆さん優しいです」
「そうか」
「侯爵様は、約束を守ってくださいました」
「……」
「ですから私も、侯爵様とのお約束を、必ず守りますからね!」
力を込めて言うと、何故だが侯爵様は少し顔を引きつらせた。
よく見れば、目の下にクマがあった。
仕事が忙しいのかもしれない。
侯爵様は、領地と王都のこの御屋敷の両方の差配、あと王城にも通ってお仕事をしているらしい。
(何か手伝えないかと思うけど、それは望まれていない事だよねぇ)
「オスカーだ」
「え」
「妻が『侯爵様』呼びはおかしい。オスカーと呼んでくれ」
それもそうかと思う。
「では、オスカー様」
「それでいい……エヴァグリーン」
「は、はい!」
誰かに、名前を呼ばれるのは久しぶりだった。
驚いた私がおかしかったのか、侯爵様……オスカー様はふわっと笑った。
「また」
と言って去って行った。
しかめっ面しか知らない、美形の侯爵様の笑顔は、なんというか破壊力があった。
そんな私たちの様子を、使用人一同が、温かい目で見守っていたのを知ったのは随分後だった。
…『暖かい』というか、『生温かい』目というのが正しいかも。