1.雑草令嬢、バツイチ侯爵に食いつく
新しいお話です。
「私は、君を愛することはない」
「はい! これからよろしくお願いします」
私は深々と頭を下げた。
侯爵様……今日から、書類上の私の旦那様になった人は、麗しい顔に難しい表情(=デフォルト)をしていたが、すぐに私に割り振られた部屋から出て行った。
「……やったぁー」
無事、契約書というか結婚証明書にサインを入れ終わった事にほっとして、私はずるずるとその場で座り込んでしまった。
床の上にはしたない、と確実に咎められる行為だが、この部屋の床にはふっくらした絨毯が敷いてあるので……
「実家の私のベッドの上より、各段気持ちいいのよね……」
あんなものはベッドじゃなく、ただの厚い板だったと今なら分かる。
思わず絨毯にほおずりしそうになったが、理性で止めた。
私、エヴァグリーン・クレメンス伯爵令嬢は、今日からエヴァグリーン・フォークナー侯爵夫人になった。
私の生まれたクレメンス伯爵家は、落ち目の貴族家だ。
同じ伯爵家出身の母は、思っていたより贅沢が出来ない苛立ちを、私にぶつけた。
父は父で、後継者である兄にかける費用を捻出する為に、私へかける費用を削った。
そんな両親を見習う様に、使用人も私を軽く扱った。
いつの間にか、家族で食事をすることがなくなり、私には残り物を放り投げるように置かれた、お盆が渡された。
掃除洗濯なども自分だ。
洗濯と言っても洗う物は殆ど下着だけ、部屋にも必要最低限な物しかなかったから、掃除も楽だったけど。
外に着ていけるようなドレスは1枚しかなかったので、社交もしていなかったが、なぜか縁談が来た。
しかも相手は侯爵様。
27歳で独身――というのは、貴族として訳ありだろうとは分かるが、現れたのは瑕疵が全く見当たらない美丈夫様だった。
愛想はなかったが。
下にも置かぬ対応の末、一張羅のドレスを着せられ、『余計な事は一切云うな』と親に差し出された私は、二人だけになった時にようやく聞けた。
「なぜ私を?」
「社交界に出て来ない、未婚の伯爵家以上の貴族令嬢で、16歳以上20歳未満が君を合わせて3人だけだった」
なるほど?
確かに私は16歳だし、同じような境遇の令嬢が、他に2人もいたのかーと思ったら……
「他の2人は、病弱で明日を知れぬ娘と、姉の名を借りて遊び歩いている娘だった」
おぉ……病弱のお嬢様は気の毒だが、もうひと方は……それってなんの小説でしょうか?だわ。
詳しく聞きたかったけど、相手の眼光がそれを許さない。
「それで私になったと」
「そういう事だ」
(そういう事だ、じゃないでしょうよ)
「……なぜ、そのような女性を探していたかを、うかがいたいのですが」
「……君はよくしゃべるな」
少し意外そうな侯爵様。
「生きておりますので」
と、当然のことを告げたのに、侯爵様は不審なモノを見る目をした。
「……そうか。だが私の欲しいのは、私のすることに口を挟まない、形だけの結婚生活を送れる妻だ」
なるほど?
社交界に出て来れないような令嬢なら、大人しいと思われたらしい。
「昨年、父が病死して私が侯爵になった」
急な病だったと聞いている。
此処には救急医療なんてないから、いきなり倒れるとまず助からない。
「侯爵位に就いた者には、婚姻の義務がある」
初耳だったが、王妃様のいない王様は想像できないから、なるほど?と思わないでもない。
(家督継ぐ = 跡取りを作る義務 → 婚姻の強制、かな?)
「急だったので、取りあえず継承は認められたが、一年以内に婚姻しなければ、爵位を失うおそれもある」
「……ご婚約者は、いらっしゃらなかったのですか?」
侯爵家の跡取りに、婚約者がいないなんて、まずあり得ない。
王家のように生まれた時に決まるのはないにしても、高位貴族なら成人する16歳までには決まる筈だ。
ちなみに、私の二つ上の兄にも婚約者はいる。
子爵家の令嬢だったが、顔合わせの際、私の地味古ワンピースと、後ろで結んだだけの髪を見て、口の端で笑われた思い出しかない。
勿論、私には婚約者などいない。
そのうち、裕福な平民か、年配の貴族の後添えとして、売り飛ばされるんだろうなーとか思ってた。
今日まで。
「いたが、結婚式の三日前に他の男と駆け落ちした」
「それは……」
思い切ったことを……のセリフを私は飲みこんだ。
「……大変でしたね」
「あぁ、国王陛下が列席の上、大神官が行う式を中止する訳にもいかず、急遽彼女の従姉妹と式を挙げた」
(挙げたの!?)
陛下のスケジュールを狂わせるなんて、忠実な臣下として出来ないのは分かるけど……それにしても。
「なし崩しに夫婦になってしまったが、やはり上手く行かず、一年持たずに離婚した」
……きっと色々あったんだろうなぁ。
気の毒になー。どっちも。
「それが5年前の話だ」
「……5年の間に、色々お話はあったのでは?」
バツイチでも侯爵家だ。
しかもまだ若くて、美形。引く手あまただったろうに。
侯爵様は、顔を益々しかめた。
「あったが懲りた」
「懲りた……」
「同情と若さの押し売りか、けばけばしい自己主張が彼女らのすべてだった。侯爵位目当てなのは仕方ないと思ったが、その責任を取れるような中身とは、到底思えなかった」
侯爵夫人ともなれば、社交とか家政とか責任が重そうではある。
「……なので、もう私は妻に何も望まない事にした。ただ問題を起こさず、要求を押し付けず、名前だけを並べられればいい」
「侯爵夫人が、それだけでいいんですか!?」
思わず言葉を挟むと、侯爵は強く頷く。
「あぁ。家の中の事は父の代から仕えている執事とメイド達がやる。領地経営には代官がいる。どうしても夫婦で列席しなければならない式典には出席してもらうが、それも嫌だと言うなら欠席してかまわない」
なるほど、この方は私を引き籠りだと思っているのか。
(金銭の問題で社交が出来ない、じゃ外聞悪いもんねー)
いつの間にか、或いは親が触れ回ったのかは知らないが、私は貴族社会で、社交嫌いの引き籠りだと認定されていたらしい。
「……つまり、社交をしない妻で構わないのですね?」
好きで引き籠っていた訳ではないが、今更面倒くさい社交をやらないでいいなら、やりたくない。
何せ、私は淑女教育すらされていないのだ。
「構わない。他にも条件があれば聞こう。その代り……」
「私も侯爵様に何も望まない、構わない、近づかないでよろしいでしょうか?」
先回りして尋ねると、公爵様は軽く頷いた。
「それでいい」
きっぱり言い切る相手に、話の流れ上一応聞いてみる。
「寝室も別、ですね?」
「……そうだ」
「跡取りのアテは、あるのですか?」
「父の弟の家には何人か子供がいる。それに、何年も子が産まれなければ、王家が跡取りを斡旋してくる」
「そういうもの、なんですね?」
だったら、結婚だってしなくてもいいんじゃない?――と、内心でのつぶやきを読み取られたのか、彼は
「努力の跡は見せろという事だろう」
と疲れたように告げた。
まー若い独身男の所に、子供を養子に出すのは、何となくダメな気はする。
余り猶予はないが少しなら考えてもいい、と言われたが、私は即決した。
お金持ってそうな侯爵家当主。
バツイチといっても、本人には問題ない。
しかも何しなくてもいいなんて……
(こんないい条件、この先あるか? 絶対ない!!)
愛されない妻? 白い結婚? ノープロブレム!
愛より生活の安定を私は取る!
一生お屋敷で飼い殺し? OK、OK、上等だよ!!
飼ってもらおうじゃないか。
(目指せ、大金持ちの飼い猫様だ!)
私は、前のめりになって主張した。
「私からの条件は、三食きちんと食べさせていただけることです!」
これを守ってくれるなら、もう何でもいい。
…人間、お腹空くとろくな事ないです。
…落ち込んだら、暖かくしてゴハン食べてください。