05
驚きに目を見開くレオナルドの瞳をじっと見ていると、あれだけドキドキしていた心臓が落ち着いてくる。
反らしたら負けな気がして、クレアは意地でも視線を反らさなかった。
「私は、社交界はおろか自分の部屋から出ることも殆どありませんでした。それなのに、レオナルド様は初対面で“お噂以上に”と言いました。……いくらでした?」
会ったこともない人間を嫁にしたいと、供も連れずに直談判しに相手の家に乗り込んだ。レオナルドとクレアの父の間には、彼女に内緒で何らかの取り決めがあったはず。
この縁談は、何らかの契約結婚であることは明白だ。
無言のまま己を睨み付けるクレアに、レオナルドはぱちぱちと目を瞬かせ、ふっと微笑した。
「…………一万だ」
「一万かぁ……って、一万!?」
「そうだ」
この国には、銅貨、銀貨、金貨の3種が流通している。
クレアの前世の感覚からして、大体ではあるが銅貨は一枚100円。銀貨は1000円、金貨は10000円だった。
「念のため聞きますが、そのお金の色は、もちろん銅、」
「もちろん、金貨だ」
「ひょ、ッ……」
クレアは再び意識を失うのではないかと思った。
結婚のために、どんな人間かも分からない女に、一億も払う男がどこにいるというのか。いや、ここにいた。
「あ、貴方は馬鹿ですか……金貨一万枚なんて、平民が一生遊んで暮らせますよ……それを、ぽんと、軽く……」
「クレア殿には、それ以上の魅力があると思うが?」
「買いかぶりすぎですっ!!」
思わず、クレアは吠えた。
「クレア殿の、全てが欲しくてな。父君は、嫁入りした後は一切、君に関わらないと言っていたよ。誓約書もある」
「体の良い、勘当じゃないですか……」
「金貨に目を輝かせ、それ以外は眼中にないようだった」
あまりの愚かさに、クレアはがっくりと肩を落とす。ショックを受けて泣く程ではないが、血を分けた実の娘にそこまで無関心だとは思わなかった。
「ブラン家のことは、まあ、もう良いです……小さい頃から、妹妹! で、私のことは放置していた親ですし」
「酷いな……」
「まあ、母は継母ですから」
それよりも、とクレアは話を戻す。
「貴方にとっての、私の価値ってなんです? 金貨一万枚の魅力って……?」
「……クレア殿は、これに見覚えがあるか?」
レオナルドが、サラマンダーにくくりつけていた荷物から何かを取り出す。渡された物に、クレアは衝撃を受けた。
「……移動式氷冷機、アイスくん! しかも、バージョン5!」
眠れぬ熱帯夜のある日に、氷枕に似た物を試作した。
見た目は枕のままだが、本体横には金属の箱が付属している。そこに氷を入れて、風の魔法で枕内部に冷たい風を送る仕組みだ。
ところが致命的な欠点があり、貯冷室と違って枕は密閉されていないため、風の魔法が循環しない。風の魔法の使い手か、彼らを雇える大金持ちでしか、常用できない代物だった。
「俺の妹が、体が弱くてすぐに熱を出す。困っていたとき、商人からこれを買ったんだ。とあるご令嬢の、発明品だと」
「バージョン5のアイスくんは、昔失くしたんです。……私に黙って、誰かが売ったな?」
「その時、君を、知った」
レオナルドの優しい微笑みに、クレアの胸はドキリと鳴った。
「顔も知らない令嬢に、感謝した。幸い、家族の中で俺だけ風の魔法が使える。熱を出し苦しむ妹を、生死さえさ迷うときにも、これがあったから救うことができた」
ありがとう、とレオナルドが頭を下げる。
恥ずかしいやら、くすぐったいやら。複雑な感情にクレアは赤面した。
「失くした甲斐が、あったもんです。……今は?」
「成人したらすっかり健康体になり、嫁いで2児の母です」
「良かった……」
「本当に、君には感謝してもしきれない」
この世界で前世の知恵を形作るのは、誰かに喜んで欲しかったからかもしれない。
幸せのエピソードを聞き、レオナルドの笑顔を見て、クレアの両目から雫が落ちた。
「……クレア殿っ?」
「えへへ……」
涙を拭って、クレアは手を差し出す。
「ありがとうございます、レオナルド様。私、これからもいろんな物を作りたい。……結婚しても、“物作り”は許してくれますか?」
「もちろん」
伸ばした手を、レオナルドが両手で包み込む。大人と子ども程もある二人の手の差に、クレアは思わず吹き出した。
「ふふふ。ありがとう。……レオ」
「っ! こちらこそ、ありがとう。クレア」
繋いだ手は、あたたかい。
再びサラマンダーの背に乗り、グランシス山の城を目指して飛んだ。
今度は低空飛行で進んだので、クレアも竜の背から麓の景色を楽しめている。
「さっきは高さに気を失ったけど、案外快適かもしれないわ」
「山から降りる時は、竜に乗って移動する。クレアが怖くないなら、冬に生まれた、子どもの竜を用意しよう」
「えっ、ほんと!? うまく乗れるかなぁ……」
弾む会話に、サラマンダーも楽しそうにぐるぐると鳴いている。
あっという間にグランシス山は近付き、一行はその影の中に消えた。