04
エントランスの先には、小さいが庭が広がっている。
庭師が老齢により引退した後は、しばらく放置されていた。一度全ての草木を焼き払い、クレアの父の土の魔法で芽が出ないように整備している。
遮る物が何もない庭には、件の竜がいた。
「サラマンダー!」
レオナルドが片手を挙げ、竜に挨拶をする。サラマンダーはぐるぐると喉を鳴らし、バサリと翼を羽ばたかせた。
成る程、屋敷に響く音はこの子だったか、とクレアは一人頷く。
「お姉さまっ!!」
つい今しがた出てきた玄関から、女の声が飛んだ。振り返るとそこには、メイドを引き連れたブリジットが立っている。
「ずるいわ、お姉さまっ! リジーをおいて、あんな素敵な方と結婚するなんてっ!!」
「……ブリジット……」
「噂の、妹御かな?」
「はい」
噂のとは何のことか分からないが、クレアの妹である。
そういえばレオナルドは、クレアのことも“お噂以上に”とか言っていた。その時は父から聞いたクレアのことかと思ったが、常日頃から彼女に無関心な父は、クレアを褒めることはない。
ならば、噂とはなんだろうか……考えるが、想像もつかなかった。
「レオナルド様っ! わたし、ブリジットと言います! お姉さまより、わたしをお嫁さんにしてください!」
「ブリジット……貴女には、婚約者がいるじゃない」
「いやよ、チャーリーなんかっ! リジーのこと、ブタっていじめるの!」
「それは……」
両親に甘やかされ、好き放題わがまま放題のブリジットは、豊満な体をぶるぶると震わせている。
我が妹ながら、よくここまで育ったなとクレアは思った。
「ブリジット殿。幼い頃から婚約者殿がいるなんて、貴女は余程魅力的な女性なのですね。そんな貴女に、婚約者殿はきっと素直になれないだけですよ。男は皆、美しいものの前では恥じらうものです」
「じゃあ、レオナルド様もっ!?」
「……そうですね」
曖昧な返答を、ブリジットは曲解する。一人盛り上がる妹に、クレアは呆れて声も出なかった。
「さて。名残惜しいですが、急いで帰らねばなりません。クレア殿」
レオナルドに手を差し出されたクレアは、移動の馬車も何もないことに気付いた。まさかとは思うが、竜に乗るとでも言うのか。
右手をそっと重ねると、案の定サラマンダーへと寄っていく。
「サラマンダーの背に、鞍を乗せています。クレア殿は、俺の前へ。サラマンダーは賢いので、落とすことはありません」
「ひぇっ……」
「風の魔法を使います。……失礼」
レオナルドの声と共に、クレアを風が優しく包み込む。
ふわりと宙に浮き、気付けば竜の背にしがみついていた。後ろから抱えるように、レオナルドがクレアに覆い被さっている。
「かなり高く飛びますが、呼吸はして欲しい。魔法で調整するので、苦しくはありません」
「ど、どのくらい、飛ぶのですか」
「それは……」
バサリ、とサラマンダーが翼を広げる。
「これくらいですかねぇ」
「ひょええええええ!?」
一瞬にして、クレアは空の中にいた。
眼下にはぽつんと屋敷があり、ブリジットやメイド達は色さえ分からない。
あ、これは、だめだ。クレアは頭の隅で思った。
急速に視界が霞み、気が遠のいていく。
(……次に目を開けた時は、どうか地面でありますように)
「!! クレア殿っ!?」
背後の気配が慌ててクレアの腰を支えるが、その感覚にこれ幸い! と意識を大空に放り投げた。
「……ん、……」
目を覚ましたクレアは、さわさわと肌に触れる草の柔らかさに身をよじる。顔を覗き込んでいたらしいルミエールの光に目を細め、前世で飼っていた猫にしたように、なでなでしようと手を伸ばした。
「……クレア殿!」
気付いたレオナルドが、慌てて駆け寄ってくる。おかしな人、とクレアは微笑んだ。
「竜に慣れていない淑女を、急に空へ飛ばして申し訳なかった。……気分は?」
「大丈夫です。……ここは、どこですか?」
「もうすぐ、カーライル家の城です。我が家が見える、すぐ近くの丘にいます。……あちらに」
「わぁ……!」
向かいには、天まで聳え立つような山が見えた。
クレアは実物を見たことがなかったが、本で読んだことがある。この国、一・二を争う高い高い山……。
「グランシス山!」
「ええ。その中腹にある、オレンジの屋根です」
「えっ! でっか!!」
思わず素のまま驚くクレアに、レオナルドは破顔する。
「俺は、折角夫婦となるのだから……自分を隠さずにいる、今のクレア殿が良いな」
「!」
「敬語は要らない……俺のことは、レオと呼んでくれないか?」
イケメンの笑顔の破壊力は、すさまじい。高鳴る心臓を胸に、クレアはつい頷きそうになる。
しかし、その前に……。
「では、夫婦になる前に私からも……何故、好きでもない女を、嫁に迎えるだなんて引き取ったんですか?」