第25話 再会と別れ
2月の寒い風を受けながら、俺は一人、家路を急いでいた。
コンビニで買った弁当を片手に、重い足取りでマンションのエントランスをくぐる。
自動ドアの向こう側、温かな照明に照らされたロビーは、どこか絵里子の温もりを思い起こさせる。
部屋に入ると、ひっそりと静まり返った空間が俺を迎えた。
絵里子の私物がなくなった部屋は、広々として見えるはずなのに、なぜか息苦しさを感じさせた。
「ただいま…」
虚しく響く独り言。
返事がないのは、分かっている。
それでも、無意識にそう呟いてしまう自分がいた。
絵里子と別れてから、数週間が経っていた。
年末年始は、絵里子のいない寂しさを紛らわすかのように、バイトに明け暮れた。
忙しさに身を任せている間は、辛さも悲しみも忘れられた。
また、年が明ければ一緒に住めると思っていた。
しかし、思ってもいなかった絵里子との別れ。
今、一人になってしまったという現実が、容赦なく襲ってくる。
「…どうすればよかったんだろう…」
俺は自問自答を繰り返していた。
クリスマスの夜、絵里子に投げかけた言葉。
あの時、違う言い方があったんじゃないか。
もっと彼女の気持ちを理解しようと努めるべきだったんじゃないか。
後悔しても、もう遅い。絵里子は、もういない。
「…俺は、本当にダメだな…」
ソファに深く沈み込み、天井を見つめた。
虚無感だけが、心を支配していた。
☆☆☆☆☆
「…引っ越ししようかな…」
ぼんやりと呟いた。
絵里子のいないこの部屋に、一人で住み続ける意味があるのか。
そして、家賃も二人で払う事を前提にしていた為、現実的にも俺には荷重い。
しかし、いざ部屋探しを始めようとすると、心が躊躇した。
この部屋には、まだ絵里子の香りが残っている。
二人で選んだ家具、一緒に過ごした時間。
すべてが、絵里子の存在を思い出させる。
「…ここを出てしまったら… 」
胸に込み上げてくる不安を抑えきれなかった。
この部屋を手放すことは、絵里子との最後の繋がりを断ち切ってしまうことのように思えた。
入社式の前日。
新しいビジネスバッグに書類を整理しながら、絵里子との思い出に浸っていた。
「…懐かしいな…」
スマートフォンに保存された写真フォルダを開くと、そこには絵里子との思い出が詰まっていた。
初めて二人で旅行に行った時の写真、大学の学園祭で一緒に屋台を出した時の写真、そして、何気ない日常を切り取った写真。
どの写真にも、絵里子の笑顔が輝いていた。
「…絵里子は、今頃、何してるかな…」
また、独り言のように呟いた。
絵里子と別れてから、独り言が増えた気がする…
あれから絵里子は、会社で、上手くやれているだろうか?
それとも、俺のように、過去の思い出に囚われているのだろうか。
そうであってくれれば嬉しいと思ってしまった、身勝手な自分に改めて嫌悪感を抱く。
「…もう、会うことはないんだろうな…」
そう呟きながら、そっとスマートフォンを閉じた。
過去の思い出は、美しいけれど、同時に残酷な痛みを伴う。
☆☆☆☆☆
5年後…
ハルの体に、衝撃が走る。
「きゃ!」
「あ! すみませ…」
ぶつかってきた人に、反射的に謝罪の言葉を口にする。
そして、顔を上げた瞬間、俺は息を呑んだ。
「…絵里子…?」
そこに立っていたのは、約5年ぶりに再会した絵里子だった。
時が経っても、彼女の美しさは変わらない。むしろ、大人の魅力が増しているように見えた。
しかし、俺の心は、喜びよりも動揺の方が大きかった。
「…久しぶりだね」
絵里子も、少し戸惑った様子でそう言った。
二人は、ぎこちなく言葉を交わし始めた。
しかし、会話は途切れ途切れになり、沈黙が二人の間を埋める。
「…あの、元気にしてた…?」
俺は、なんとか言葉を絞り出した。
「ええ、おかげさまで… ハルくんも、元気そうでよかった」
絵里子は、少しぎこちない笑顔を見せた。
しかし、その瞳の奥には、何か複雑な感情が渦巻いているように見えた。
「…絵里子、あの… 今日は一人で…?」
俺は、今の彼女を知りたいという思いから、探るように尋ねた。
「…それは…」
絵里子は、そう答えると、時計に目をやった。
「…ごめんね、ハルくん。 もう行かなくちゃ」
絵里子は、立ち上がろうとした。
「…あ、待って… 絵里子…」
俺は、思わず彼女の手を掴んだ。
「…あの… いつか、またゆっくり話せないかな…?」
精一杯の想いを込めてそう言った。
一瞬絵里子は驚いたような表情をしたが、そこから視線がきつくなった。
絵里子は俺の手から、そっと自分の手を離した。
「…もうあなたに興味も未練もない。過去は振り返らないって決めたから…」
絵里子の言葉は、冷たく、心を突き刺した。
「…それに、あなたも昔の女の事をいつまでも引きずらないで! だから…もう関わらないで」
絵里子は、そう言い残すと、ハルの前から去っていった。
一瞬悲しそうな表情をしたのは、都合のいい見間違いだろうか。
彼女の後ろ姿は、そのまま人ごみに消えていった。
「…絵里子…」
彼女の名前を呼んだ。
しかし、その声は、絵里子には届かなかった。
絵里子の言葉は、俺に心に深い傷跡を残した。
元々、絵里子との別れが原因で恋愛に臆病になっていた自覚はあった。
また、同じことを繰り返してしまうのではないかという不安。
そして、嫌われ、別れを切り出されてしまうかもしれないという恐怖。
彼女の言う通り、今でも引きずっている自分がいた。
時間はかかったが、キッパリ諦めたつもりだった。
しかし、さっきとっさにでた言葉で、自分が諦めきれていない事に気付いた。
そして彼女の言葉に、自分には恋愛をする資格すらないのでは無いかと思ってしまっていた。
「…お兄ちゃん…?」
どれくらい立ち尽くしていたのだろうか…気が付けば、撮影していたはずのあやめがすぐ後ろにいた。
「…どうしたの…? 大丈夫…?」
顔を見たあやめが、俺の心境に気付いたのか、心配そうに声をかけてきた。
あやめの心配そうな表情を見て、俺はハッとした。
今は、過去にとらわれている場合じゃない。
自分には、守るべき存在がいる。
「…ああ、大丈夫だよ。 ちょっと、昔の知り合いに会って、驚いただけだから」
俺は心配させないように、そう言って、あやめの頭を撫でた。
「…そう? でも、顔色悪いよ…?」
あやめは、まだ俺の事を心配そうに見ている。
「…本当に大丈夫だって。 さあ、あやめ。
せっかくUSLに来たんだから、楽しまないと損だよ」
俺は、笑顔を作ってそう言った。
「…うん…」
あやめは、少し不安そうに頷いた。
しかし、俺の心は、晴れないままだった。
絵里子との再会は、心に新たな傷跡を残し、過去の思い出が、再び俺の心を締め付け続けた。




