祖父の微笑み
人はなぜ新しいものに興味を惹かれるのだろうか。新しい製品が出ると人は、これまで大切にしていたものよりも新製品の方が魅力的に見えてしまう。企業はその人間の特質を利用して、少し性能が変わっただけの新しい携帯を売り出したり、少しパッケージや味が変わったジュースやお菓子を新バージョンだとして売り出す。実際「新」「期間限定」「数量限定」などの単語がついていると、何か特別感を感じて買ってしまう。来たる将来2XXX年の本屋さんを覗いてみると、数週間以内に発売された新刊物しか扱っておらず、漫画を一気買いする事ができなくなった。昔ながらの長年愛された味が売りの定食屋は見かけなくなり、代わりに新しい店ができては客に飽きられてしまい、潰れるを繰り返していた。学校の教科からは過去を学ぶ「歴史」が消えた代わりに未来を考える「創造」という科目が誕生した。子どもたちはその生活が当たり前になっていたが、突然生活が変わってしまった老人たちは考えが古いと世間から見られるようになった。元はと言えば、若い頃の老人達が新しいものを望んだことが招いた結果なのである。しかし、それは彼らにとって望まないものとなってしまった。昔を懐かしむことやアニメを一気見するという文化はなくなり、人はますます自分の今後や最新話の配信を楽しみにするようになった。そのため、芸能人が過ちを起こしてもそれは過去のことと片付けられ、それより新しい漫才はまだかと考える人の方が多くなった。当然老人は古い考えを持つ存在であるので邪魔者として扱われるようになり、若者と老人との溝が深まっていった。世間から尊敬される老人は、新種の生き物を発見した研究家や過去の栄光を語らずに新たな行動を起こす者である。だが、そんな人間がどれだけいるのだろうか、死期が迫る中で今年90歳を迎えたA子は自分の過去を振り返りながら思った。A子が子供の頃、世の中は携帯がガラケーからスマホに変わろうとしていた頃であった。親はA子にキッズケータイを与えたが、キッズケータイには多くの制限があり、好きに連絡を取り合ったりゲームをすることができないため、A子は不満げであった。しかし、祖父に話すと「昔は文通でやり取りしたものだ」「画面の中のゲームじゃなくて鬼ごっこをして外を走り回った。便利な時代になったものだ、わしはついていけないな。」と悲しそうに笑っていたのを思い出した。当時ガラケーすら使いこなせなかった祖父にとっては、スマホという最新機器が登場したことは驚きの変化だったのである。しかし、スマホを使わなければスマホ専用アプリを使う世間と隔離されてしまうため、必死に使い方を覚えたのだろう。スマホは確かに便利であるが、それは細かい作業が苦手なお年寄りにとっても同じだったのだろうか。靴も新しい靴を履くより、使い慣れた靴を履いた方が走りやすかったりする。残り短い生涯で使い慣れたものを捨てて、新しいものの使い方を覚えて使い始めるというのはあまり良い選択だと思えない。だが、A子が古いものの良さに気づけたのは病床についた今更である。当時祖父の気持ちに気づけていれば何か変わっただろうか。人は自分に関係のないことを他人事だとしてあまり真剣に考えず、自分が課題に直面してから後悔するのである。A子は最新のものを取り入れようとも覚えようともしないため、孫からも古臭いおばあちゃんとしか思われておらず孫に子供の頃の自分を重ねては胸が苦しくなる。今なら悲しそうに微笑んでいた祖父の気持ちがよく理解できる。しかし遅過ぎたのである、もう祖父はこの世にはいないしもう時期自分もこの世を去る。そこで私はいつかこの負の連鎖が終わることを信じて、未来の老人ではなく若者がこの風船につけて飛ばした手紙を読んでくれるその日まで自分の記憶が残るように。