第八百三十四話
さて、潜水艦は無事に東京湾に到着したのだが、どこの桟橋や埠頭にも潜水艦を接岸させて乗降する為の設備は存在しない。
これまで潜水艦は秘匿されていたのだから、それ専用の設備が無いのは当たり前だ。なので皆を迷い家に入れて空歩で迎賓館に帰る事になる。
「皆とこの艦で過ごせた事を嬉しく思う。また離れて生活する事となるが、朕はお前達を決して忘れぬ」
「陛下、殿下、神使様。微力ですが何かあればすぐに駆けつけます。どうかご健勝で」
乗組員一同を代表した艦長さんの挨拶に送られ皆を迷い家に収容する。乗組員さんの中には迷い家に未練を残している人が散見されるが、残る訳にはいかないので気付かなかったふりをする。
迷い家に皆を入れて浮上した潜水艦から空歩で飛び出す。帝都タワーを目印に位置を確認して迎賓館に戻った。
帝都タワーは千九百五十八年に開業、高さ三百三十三メートルを誇る観光名所だ。開業時の来客数は三十三万人を記録した。
翌日、登校する舞とアーシャを見送って情報部に出勤する。両親も今日から仕事始めとなる予定だったが、陸軍や政府が例の事件で大忙しな為診察が延期となり急遽休みになったらしい。
「しっ、神使様!明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します!」
「あけましておめでとう。今年も新年から大変な事になっておるが頼むぞえ。変わり映えせぬが差し入れじゃ」
情報部の部室に入ると、忙しそうにしていた先輩方が手を止めて挨拶をしてくれた。俺も新年の挨拶を返して差し入れ用に量産していた干し芋と干し柿を渡す。
優ではなく玉藻で来たのは、迎賓館から来る時に空歩で駆けてきたからだ。例によってマスコミが張っていた為、空歩で来るのが最も楽だったのだ。
「あけましておめでとうございます、神使様。新年早々大変な目に遭いましたな」
「あけましておめでとう、関中佐。新年早々面倒をかけるのぅ。これは差し入れじゃ」
関中佐にも差し入れを渡す。受け取った中佐は部屋の隅に置かれた金庫にしまったが、干し柿と干し芋は金庫に保管する物だったかな?そしてその金庫、いつ作ったのだろう。去年は見なかったような気がする。
「メールでもお伝えしましたが、辻谷候補生は海軍情報機関からの諜報員でした。しかし本人の意識が回復していない為、裏とりは済んでいません」
「じゃが、陸軍は海軍からの情報が正しい前提で動くのじゃな」
「はい、この期に及んで海軍が我らに偽の情報を掴ませる理由がありません。我らを怒らせて協力を拒否されれば、海軍は完全に詰んでしまいます」
もう詰んでいると言えば詰んでいるのだが、更に悪い状況となるのは間違いないだろう。少しでも状況を好転させたい海軍がそんな真似はしないというのが陸軍の見解だ。
「我々としては辻谷の関係者に口止めをしたいのですが・・・接触は難しいのが現状です」
「世間の耳目が集まっておるからのぅ。辻谷の親族が沈黙を守ってくれれば良いのじゃが」
悪い予想というものは、こういう場合によく現実となるものだ。そして今回もその例に漏れる事は無かったのだった。




