第八百三十二話 とある陸軍病院にて
「そう身構えるな、それに関して君をどうこうするつもりは無い」
「今、マスコミやSNSで君が辻谷君ではない事が話題となっている。対応出来なくなった海軍が我々に助けを求めてきたのだ」
「当事者と言える陸軍を頼ると言うのは理に適っていますが・・・海軍はそこまで追い込まれていますか」
通常ならば海軍が敵対している陸軍に助けを求めるなどあり得ない。しかし、それを実行してしまう程海軍は後がない状況に陥っていた。
「我々も通常ならば助ける義理はないと断る所なのだがな。最悪海軍が分解しかねないのだよ」
「我らとて海軍が不要とは思っておらん。アジアと中東の海を守る大任を放棄する訳にはいかんからな」
陸軍としては海軍の権勢が弱くなってほしい。しかし自壊されるのは避けたいのだ。その為不本意ながらも海軍を守る行動を取らざるを得なくなっていた。
「君は帝都に戻り、臣民が納得しそうな筋書きを演じてもらわねばならない。しかし悪いようにしない事だけは確約する」
「海軍の人間である自分へのお気遣い、ありがとうございます」
「君が取った行動は敬意を払われて然るべき行動だったという事さ。さて、海軍からの報告で君の本名は判明している。だが、出来れば君の口から聞きたい」
辻谷と呼ばれていた少年はベッドから降りると、直立し肘を曲げた海軍式の敬礼を行った。中尉と少尉も立ち上がり、こちらは肘を伸ばした陸軍式の敬礼を行う。
「本官は海軍鳳機関所属、石川尚市大尉であります。現時点をもって本官は独断にて陸軍情報部に協力させていただきます!」
「石川大尉殿、我ら陸軍情報部への協力表明に感謝致します。回収出来た大尉殿の私物や衣服はロッカーに入っております。我々は廊下にて待機致しますので、着替えが終わり次第お声がけをお願い致します」
士官学校の生徒だと言われてもなんら違和感が無い少年が自分達より上の階級だと知り驚く二人。しかし歴戦の情報部員だけあって、それを表情に出す事だけは堪える事が出来た。
海軍では石川大尉を潜入させるにあたり、彼の情報を削除していた。とは言え完全に抹消した訳では無いので深く探せば確認出来たのだが、時間を惜しんだ海軍は階級の確認をせずに陸軍に報告したのだった。
「民間船を救った英雄である大尉殿をこんな場所から連れ出すのは不本意ですが、病院の玄関や裏口はマスコミが固めていますので」
「まさか自分が神使様のようにマスコミに追われるようになるとは・・・」
二人が石川大尉を誘導したのは、病院から密かに抜け出す為の抜け道であった。病院とはいえ陸軍の施設なので、非常時に備えて秘密の脱出路が作られていた。
「第五師団の支援を受けて岡山に移動、そこから空路で帝都に移動する手筈になっています。高所は平気ですかな?」
「飛行機という奴ですか。海軍では採用されていないので分かりませんね」
マスコミの裏をかき脱出に成功した三人は、予定通り岡山から飛行機にて帝都に戻る事に成功した。しかしネットでは辻谷の偽装工作が海軍の依頼で行われた事が暴露されていたのであった。
石川氏は海軍の諜報機関「鳳」の幹部であり、陸軍の諜報機関「南」にも所属していたそうです。




