第八百三十一話 とある陸軍病院にて
「うっ、こ、ここは・・・」
とある陸軍病院の一室で昏睡状態に陥っていた一人の患者が目を覚ました。彼は室内を見回し自身の記憶に無い部屋である事を確認した。
「俺は・・・クジラを召喚して・・・船は、定期船は無事なのか?」
見知らぬ部屋で目覚めた際の鉄板を言う絶好の機会であったが、転生者ではない彼がそのセリフを知る由もない。
現状を確認する為スマホを探そうとするが、衣服は着替えさせられ見える範囲に自分の持ち物は見当たらない。
室内を探そうにも呼吸器など複数の機器が繋がっていてベッドから降りれそうもない。自力での探索を諦めた辻谷は枕の脇にあったナースコールの釦を押した。
「呼吸と脈拍、脳波も問題なし。痛みや吐き気はあるかね?」
「いえ、自覚出来る異常はありません」
程なくして現れた医師と看護師による診察が終わり、繋がっていた各種機器は取り外された。
「すいません、事件は・・・定期船は無事ですか?」
「軍の発表によると、人質となっていた民間船では負傷者が出たそうだ。詳しい話は直接聞いた方が良いだろう」
最も気になっていた定期船の安否を聞いた辻谷だったが、医師や看護師から詳しい話は聞けなかった。二人は機器の取り外しが終わるとすぐに退室してしまう。
「目覚めたばかりで悪いが、少々話を聞かせてくれるかな?」
医師と入れ替わりで入室してきたのは、陸軍の制服を纏った二人の尉官だった。彼等はベッド脇に椅子を置くと腰を下ろす。
「まず、君が気にしている事から答えておこう。駆逐艦はなかぜの人質となっていた定期船は、はなかぜ横転の余波を受けて負傷者を出した。甲板から落ちた者も居たそうだが、全員救助出来た事は乗船名簿により確認された」
「負傷者も殆どが軽傷者で、命に関わる者や後遺症が残る者はいないらしい」
「そうですか・・・あの親子が怪我をしていなければ良いですけど」
飽くまでも民間人を心配する辻谷に尉官二人の表情が緩む。しかしすぐに引き締めると質問を投げかけた。
「君は駆逐艦はなかぜに人質として乗艦させられた後、クジラを召喚してはなかぜを転覆させた。相違ないな?」
「ええ、クジラは自分のスキルで召喚しました。自分にはあれしか解決策が浮かばなかったので」
これは状況からほぼ間違いないだろうと推測されていた事だが、これで確定したと言って良い。二人の尉官は満足そうに頷く。
「君の勇気ある行動により、臣民への被害を最小限に抑えて事件が解決された。後に正式な報償があると思うが、軍の一員として言わせてくれ。ありがとう」
「中尉殿、自分は陸軍士官候補生として行うべき行動を取ったのみです」
「それはそうかもしれない。だが、下手をすれば自分も押し潰されるような策を実行出来る者がどれ程居るか」
「しかも、海軍から陸軍に送られた間諜という目立ってはならない立場でな」
「はっ?えっ、な、何故それを・・」
中尉の副官らしい少尉の発言に頭が真っ白になる辻谷。本来ならば否定せねばならないのだが、意表を突かれ肯定するような言動をとってしまうのだった。




