第八百二十一話 とある士官候補生の災難
定刻通りに宮島港を出た定期船は、十分程度の航海で厳島港に到着する筈であった。しかし、一隻の艦がその航海に暗い影を落とす事となる。
「おい、あれは海軍の駆逐艦じゃないか?」
「そうだな。海軍も神使様や皇帝陛下が乗る船を護衛してポイントを稼ぎたいのだろう」
急速に接近しつつある駆逐艦を見たマスコミ達の判断は妥当な物であった。しかし、当の駆逐艦に乗っていた者達の思考回路は妥当な物ではなかった。
「おい、主砲が旋回してないか?」
「仰角も上がった気が・・・冗談だろ、撃ちやがった!」
雷のような砲声が轟き、定期船の近くに二つの水柱が立ち上る。定期船は沈みこそしないものの、余波を受けて船体を大きく揺らす事となった。
「うわあ、何があったんだ!」
「ひっ、うっ、うわぁん!」
突如発生した非常事態に船内は混乱していた。大人も子供も船が沈む恐怖に襲われ、何をするべきかを考える余裕などありはしない。
「な、何を考えているんだ。民間船に発砲なんてしたら、今の海軍は解体されても文句を言えないぞ!」
海軍士官でもある辻谷は冷静だった。混乱の坩堝に陥った船内において、一人だけ冷静に駆逐艦の動向を見続ける。
やがて駆逐艦から犯行声明が発せられた。賊達が海軍に残るつもりが無い事を知り、海軍を破滅させるような真似をした事に納得と怒りを覚えるのだった。
「おい、そのガキを静かにさせろ。音声に入るじゃないか!」
「す、すいません。お父さんが居るからな。大丈夫、大丈夫だ」
恐怖のあまり泣きじゃくる幼子を怒鳴るテレビクルー。父親は必死に娘を宥めるが、泣き止む気配はなく周囲の目が非難の色を濃くする。
「ほら、猫さんも一緒だから安心して。お父さんと猫さんが君を守ってくれるから」
「グスッ・・・えっ、猫さん?わぁ、猫さんだぁ」
辻谷はスキルで小さな子猫を出して幼女を慰めた。効果は絶大で、泣きじゃくっていた幼女は笑顔になっていた。
「すいません、ありがとうございます」
「困った時はお互い様です」
辻谷の活躍により幼女は恐怖の鎖から逃れる事が出来た。しかし、恐怖はまだ幼女を諦めてはいなかった。
「我々は世界平和維持軍である。大義を成す為、諸君に協力を要請する。そこの子供、一緒に来てもらおうか」
「な、何を!この子を連れて行くなら私も!」
「ダメだ、大人はスキルを使われるかもしれんからな」
賊の判断は正しい。人質に取った人間が強力なスキルを持っていて状況をひっくり返す恐れは十分にあるのだ。
「待って下さい、その子の代わりに俺が行きます!」
「ダメだ、お前はスキル持ちの可能性がある」
「確かに俺はスキル持ちです。しかし、その子が抱いているような存在を召喚するだけのスキルですよ」
辻谷はステータス画面を表示して他のスキルが無い事を証明した。だが賊達は納得しない。
「それに、俺は陸軍士官学校の生徒です。俺を人質にすれば陸軍を牽制する事も出来ます」
「怪しいな・・・貴様、何か企んでいるな?」
「ここで幼子を見捨てたら、教室で滝本中尉に合わす顔がな・・・」
途中まで呟いたセリフを慌てて止める辻谷。しかし、その声はしっかりと賊の耳に届いていた。
「面白い。貴様、神使様と面識があるのか。よし、人質はお前にするとしよう」
不用意に神使様との関係を口走った辻谷を、賊は迂闊な士官候補生だと判断した。しかし、それが彼の狙いなのであった。




