第七百十一話
関中佐は赦しを得た事に納得がいっていないようだ。頑固だが、だからこそ信用出来る面もある。
「しかし玉藻様、神々はお怒りではないのですか?魂は神々の領分だと存じます。そこに手を付ける所業は赦されると思いません」
「それも確認しておる。神々の下した判断は・・・静観じゃ」
普段表情を読ませない中佐が驚愕の色を顕にした。まさか現段階でお咎め無しの裁定が下るとは思っていなかったのだろう。
「ダンジョン攻略の為にスキルを強化する。その行為は前例があるのじゃよ」
「何ですと!既にそれを行った者が居るのですか!」
予想外の情報に驚いているが、そんなに驚くような情報ではない。何故ならば、その成果となる者が目の前に存在するのだから。
「驚く事はなかろうて。お主の目の前におる妾は魂にスキルを刻み込まれてここにおるのじゃぞ。強化ではなく造られた物という違いはあれど、考え方は同じじゃよ」
林原さんとの違いは、魂に刻まれたスキルを強化するか任意のスキルを刻むかの違いだ。魂を弄るという点では違いはない。
「し、しかし、神々の御業を真似ようとした訳で・・・」
「畏れ多い、かのぅ。じゃがな、それは人が神々と同じ解決策を模索したという事じゃ。偶々妾の出現で攻略が進んでおるが、もし妾が居なければその研究がダンジョン攻略を進めておったかもしれぬ」
俺が来なかった世界線だったら。その研究が更に進められて、スキルを強化する手段が確立されていたかもしれない。そうなったら、人数が少ない神々の使徒より先にダンジョンを攻略していた可能性もあるのだ。
「そうかもしれません。でも、払った犠牲が大きすぎます。安定した三人の影では三桁の犠牲者が居るのです!」
「多くの者が亡くなった事は悼むべき事じゃ。しかしのぅ、五稜郭の戦いではどれだけの犠牲が出たか知っておるか?会津の戦いでは?鳥羽伏見の戦いでは?」
明治維新による一連の戦いでは数千人が犠牲になったとされている。最後の戦いである五稜郭では、八百人程が戦死したそうだ。
「犠牲者が一桁上の戦役において、神々は処罰を下さなんだ。それより少ない犠牲者に対して処罰をすれば筋が通らぬじゃろう」
「玉藻様、戦と犯罪を同様に見るのは如何なものかと・・・」
「明治維新は徳川と西国大名による国家運営権の奪い合いじゃ。そこに神々の意思は反映されておらぬ。然るに、ダンジョン攻略は神々の望みじゃ」
中佐は納得していない様子だが、それが神々の審判である。日曜日の夜、寝不足になってまで迷い家のお社を経由して宇迦之御魂神様を通してお伺いしたのだから従ってほしい。
「ただ、罰するべきという神もおったそうじゃ。それでも罰せずという判断なのじゃ。関中佐、神々の意向に従うならばこれからも職務を全うせい」
「はっ、この関、身命を賭しまして任務に邁進致します」
神使の立場を使ったゴリ押しはしたくなかったけど、関中佐を失うよりは余程良い。関中佐、もう少しいい加減でも良いんだよ?




