第六百九十四話 とある警視長の自宅にて
「おおっ、儂を見て笑ったぞ」
「この子はお義父様の事が大好きみたいですね」
手を伸ばしてキャッキャとはしゃぐ赤子に、それを見てだらしなく目尻を下げる初老の男性。極普通の、暖かい家庭の風景がそこにあった。
「しかしタイミング良かったな。父さん、来週は仕事なんだろ?」
「ああ、県内の施設にVIPが来訪する事になってな。万が一に備えて県警本部に詰めておかねばならん」
赤子から視線を逸らす事なく息子の問いに答えたのは、埼玉県警本部長を務める警視長だった。この日は息子夫婦が孫の顔見せに訪れていたのだった。
しかし、そんな幸福な時間に水を差すかのようにスマホの着信音が鳴り響いた。突然の騒音に驚いた赤子が泣き出してしまう。
「ちっ、誰がかけてきたんだ?気の利かない奴め」
泣き出した赤子を息子の嫁が抱いてあやす。警視長は着信音を響かせるスマホの画面を見た。そこには県警本部と表示されている。
「儂だ。今日は余程の事が無ければかけてくるなと言っておいた筈だが?」
あからさまに不機嫌そうな声で着信に出る警視長。しかし、通話先の相手は怯む事は無かった。
『申し訳ありません。しかし、緊急事態が発生しました。新宿駅付近にて発生した事件はご存じでしょうか?』
「いや、知らん。だが、帝都での事件ならば警視庁の管轄だ。我々埼玉県警と何の関係があるのだ?」
通常、帝都での事件が埼玉県警に影響を及ぼす事は無い。同一犯人グループによるテロや詐欺事件、強盗事件ならばその限りではないが、現状そんな大規模犯罪の報告は受けていなかった。
『来週予定されていますアナスタシア皇女殿下の来訪警備が変更を余儀なくされています』
「ちょっと待て、新宿で起きた事件と皇女殿下ご来訪の何処に接点があるのだ?事件を起こした連中が来週も事件を起こすと声明を出したのか?」
訳ワカメ状態の警視長は立て続けに質問を投げかける。それに対して部下は簡潔な答えを返した。
『皇女殿下と共に玉藻様も同行されます。皇女殿下に加えて神使様も来訪される以上、現在の警備予定している警備では不足と判断しました』
「なんだって?神使様も来られるというのか!それは陸軍を通じての通達か?」
神の意を受けてダンジョン攻略の為に顕現した神の使徒。そんな存在も同行するとなれば、部下の言う通り警備を見直す必要がある。
『いいえ、陸軍からはまだ何も連絡はありません』
「では宮内省か?」
『違います。皇女殿下の直衛だった筈の滝本中尉・・・彼が神使様でした』
「えっ・・・はあっ?おい、寝言は寝てから言えよ?」
護衛対象を護衛する者が護衛対象よりも護衛が必要な護衛対象だったと言われて、警視長は思考停止に追い込まれた。
『今、テレビでもネットでもその話題で持ちきりです。滝本中尉が玉藻様に変身する瞬間の動画も多数出回っています。信じ難いと思われますが、紛れもない事実です』
「ほ、本当なのか・・・わかった、急いで県警本部に向かう」
テレビをつけると、部下が言う通りどのチャンネルも神使様の正体が陸軍の滝本中尉であった事を報じていた。
「来てくれたのにすまんな、県警本部に行かねばならん」
孫との時間を奪われた警視長は、筋が違うと知りながらも小さな幸せを奪った神使様を少し恨むのだった。




