第六百五十九話
「俺だって、俺だってこんな場所でこんな事を言うべきではないと分かっている。それくらいの分別はあるさ」
「貴方、言ってる事とやってる事が矛盾しているって自覚あるの?」
女性の容赦ないツッコミに、俺達を含めた野次馬一同が共感の思いを込めて頷く。その分別があるなら言うなと誰もが思うよな。
「彼女は普通の時じゃ会う事が出来ないんだ。だから、この会場で見かけて熱いパトスを抑えられなかった。だが、君と婚約したまま告白するのは不誠実だろう?だから婚約の解消を言い出したんだ」
「他の女性に告白する前に婚約の解消を、というのは正しいわ。だけどね、家と家が結んだ婚約を私の独断で解消できないって分かるわよね?」
女性の主張は正論であり、どう見ても男性の旗色は悪い。頭がお花畑でない限り、男性に味方しようとする人は居ないだろう。
「まあ、私も想い人が平民の方ですし分かる部分もあります」
おっと、ここで突然のカミングアウト。なんと、女性の方も好いた人への思いを封じたまま婚約していたようだ。
「そ、そうか。ならば婚約解消に同意してくれるな!」
「言いましたでしょう、家と家の契約だと。私個人は賛成ですが、両家の家長による承認が必要ですわ。私、貴方と違って華族としての義務を心得ていますの」
女性の言い分は正しく、付け入る隙がない。窮地に陥った男性は目を泳がせ助けを求めている。しかし、彼に救いの手を差し伸べようという奇特な人物はここには居なかった。
「婚約破棄は確定として、その後が大変ね」
「あの手のお話が成立するのはネット小説の中だけよね」
冷静に現状を分析するアーシャと舞。両家の両親・・・特に男性の両親はストレスが勢いよく溜まる事になるだろうな。
「あっ、あれはっ!」
突破口を探していた男性が、やじ馬をかき分けて俺達に向かい歩き出した。ニックと舞がアーシャを庇う立ち位置に移動し、俺はその前に出て双剣を抜く。
言い忘れていたが、今日の俺の装備は軍装に双剣だ。防御という点では大盾の方が良いのだが、大盾は目立ちすぎる。
「不審男性、警護対象に尚も接近」
「滝本中尉、貴官の判断で攻撃を!」
警視庁の護衛による通信量が増える。国賓に対する攻撃的な行動を取ったとして武力鎮圧もやむ無しと判断されたようだ。
「止まれ、それ以上ロシア帝国皇帝陛下と皇女殿下に接近する事は許さぬ!」
実は、ニックとアーシャの立場は可怪しな事になっている。他国の皇族で国賓なのだが、帰化申請中の難民でもあるのだ。
帝国の法に他国の皇帝陛下や皇女殿下が帰化申請した場合の身分を保障する条項は存在しない。そんな状態を想定していなかったからだ。なので、二人が帝国民となった場合の身分は定まっていないのだ。強いて言うなら平民という事になる。
法を整備し華族とするのが妥当かもしれないが、世界で二家しかない皇帝家の片割れだ。帝国華族と同等というのもマズイ。かと言って、天皇家と同列にするのも反対する者が多い。その為法の改正が進まず先送りとなっていた。
先程男性が言っていた「平民だが普通は会えない」存在。アーシャはそれに見事に適合していたのだった。




