第六百四十一話
地上への帰還は俺単独で行った。冬馬軍曹は俺に任せきりになる事に申し訳なさそうだったが、何も言わずに受け入れた。
なにせ、軍曹本人は武器が無いので戦力半減以下な状態。井上兵長と久川兵長は立ち直りつつはあるものの、万全な状態とは到底言えないからだ。
地上までの道程は何度も通った道であり、支障なく戻っていく。途中十階層で一泊し、翌日の午前中に一階層に到着という所まで戻ってきた。
「はあぁ、幸せです」
俺はとろけるような声を出すアーシャの頭を撫でてサラサラな銀髪を手で梳く。すると抱きつくように回された腕の力が僅かに強くなった。
「玉藻お姉さんに膝枕してもらいつつ尻尾をモフる。これ以上の贅沢はありません」
「モフモフの良さは同感じゃが、妾の膝枕がそんなに良いかのぅ」
今、正座した俺の膝の上にはアーシャの頭が乗っている。以前約束した膝枕を行っているのだ。本来ならば昨日する予定だったが、例の件で出来なかったので今日の履行となった。
「尻尾は自分でモフれても、自分の膝で膝枕は無理ですものね」
「じゃな。こればかりは不可能じゃよ」
アーシャは無意識に、俺に母親の役割を求めているのではなかろうか。甘えられる母親は他界し、皇女という立場から他人に甘えられなかったのでないかと思う。
「玉藻お姉さん、今日は一緒に寝たいです」
「そ、それは流石にマズイじゃろう。年頃の男女がじゃなあ・・・」
突拍子もないおねだりに狼狽えながらも説得を試みる。しかしアーシャの反論に遮られてしまった。
「玉藻お姉さんも女の子だから問題無いです。それに、お父様も了承済ですよ」
「既に根回しされておる?!高い政治手腕を無駄遣いするでない!」
親の了解を取ろうとするアーシャも大概だが、それを認めるニックもどうかしている。男女が同衾なんて、何も無かったと主張しても世間はそう見てくれないぞ!
「・・・ダメ、ですか?」
青い瞳を潤ませてじっと俺を見上げるアーシャ。これでもダメだと突っぱねるほど俺の心は強くなかった。
「・・・今晩だけじゃぞ」
母親に甘える子供としては一緒に眠りたいという思いは自然だ。ニックも母親の温もりを与えられなかった負い目があるのだろう。
「アーシャよ、暑くないかえ?」
「大丈夫、全然暑くないです」
浴衣に着替えた俺にしがみついたアーシャは上機嫌で答える。そのまま意識が薄らいでいき眠ろうとした時だった。
「私は決して玉藻お姉さんから・・・優お兄さんから離れません」
小さい声で、しかし強い意思が込められた言葉だった。俺は完全に思い違いをしていた。今回の件で三人が離れていくかもしれない。俺がそれに不安を抱いていると危惧して来てくれたのだった。
「ありがとう、アーシャ。俺には皆が居る。だから大丈夫だよ」
何があっても信じて支えてくれる人達がいる。それに応える為にも俺は進み続けなくてはいけないな。
 




