第六百三十九話
迷い家から出ると、亀は冬馬軍曹を襲った場所で佇んでいた。半目になっているが眠っている訳では無いようだ。
「軍曹の剣を探してやりたかったが、あれでは無理じゃのう」
冬馬軍曹は亀の攻撃を避けた時に剣を手放してしまっていた。恐らくあの亀の下にあると思われるが、アレを倒して探すには時間がかかり過ぎる。
倒すこと自体は難しくない。空歩を使い上空から神炎を打ち込んで焼滅させれば良い。亀からの攻撃が岩塊だけならば躱し続ける事も容易い。
しかし、燃やし尽くすまで結構な時間を必要とするだろう。いかに神の炎とて、使い手が半神ではその威力を十全に発揮出来ない。
俺は奴が気付く距離ギリギリで撮影を開始した。前回奴が気付いた距離を参考に位置取りをしているが、気付かれないという確証はない。
空歩で上空から撮影出来れば楽なのだが、冬馬軍曹が撮影した映像が上空からではマズイ。なので面倒でも地上を歩いて撮影した。
外観は十分に撮影出来たので、最後に奴の正面から少し踏み込む。俺に気付いた亀が岩塊を浮かせる。それが射出された瞬間、スマホを盛大に揺らしながら横に跳び岩塊を回避した。
更に横に跳んで後ろを見ると、冬馬軍曹の時のように亀本体が追撃の体当たりをかましているのが見えた。あれが亀の基本戦術らしい。
ここでの撮影は終わったのでスマホの録画を解除し空歩で上空に逃れる。そのまま三十三階層に戻る渦へと移動した。
三十三階層の撮影は楽だった。クラゲにスマホを向けながら放たれる魔法を躱す。ただその単純作業を繰り返すだけだった。
全ての属性魔法を収録するまで粘ったので少々時間がかかったが、目に見えない風魔法以外は躱すのも楽だ。その風魔法も触手をこちらに向けるので、躱すのはそう難しくない。
トラブルもなく撮影を終え、三十二階層に戻ると三十一階層への渦まて移動し迷い家に戻った。忘れぬうちにスマホを軍曹に返しておく。
「玉藻様、井上と久川は相当悩んでいるようです」
「軍人としての資質を問われておるからの、無理もあるまい。それより、お主は大丈夫かえ?」
「私は何が何だか分からないうちに迷い家に居ましたから。だから心配は・・・あれ?えっ?」
俺と会話しているうちに、自分が死ぬ寸前だったと自覚したのだろう。軍曹は震える自分の体を両腕で抱くが震えは止まらない。
「無理せず吐き出すが良い。死を突きつけられれば誰でも恐怖を抱くものじゃ」
「た、玉藻様・・・」
「妾は一度死にこの世界に転生したのじゃぞ?死んだ経験ならば妾が先輩じゃて」
そっと抱きしめると、軍曹は俺の胸に顔を埋めて静かに泣き出した。俺は何も言わずに彼女を見守る。
「すいません玉藻様、醜態をお見せしてしまいました」
「溜め込めばいつかそれが爆発するじゃろう。じゃからこれが正解じゃて気にするでない」
泣き止んだ軍曹が顔を真っ赤にして謝罪した。便乗して尻尾や耳をモフらないあたり、相当テンパっていたようだ。これで立ち直ってくれれば良いのだけどな。




