第六百二十九話
「ほれほれ、そんな動きでは当たらぬぞ?」
勢いよく振り下ろされた腕を避け、無防備に伸びる熊の腕を開いた扇で浅く切る。切ろうと思えば腕の切断まで出来るのだが、牽制が目的なので深手は負わせない。
「私を無視とは悲しいな。玉藻様だけじゃないんだぞ」
熊を挟んで反対から冬馬軍曹が斬りつける。傷は浅いが、こちらも陽動なので構わない。無理して反撃を食らう方がマズイのだ。
「撃てます!」
井上兵長が叫ぶ声を聞き、俺と冬馬軍曹は鉄カブトから少し距離を取る。鉄カブトは左右に分かれた俺達のどちらに追撃しようかと一瞬迷い動きを止めた。
そこに井上兵長が放った魔力弾が着弾する。左右に気を取られていた鉄カブトに躱す事は出来ず、魔力弾は熊の腹に命中。熊はたたらを踏んで背中から倒れた。
「トドメは貰います!」
そこに待機していた久川兵長が走り寄り、戦鎚の強烈な一撃を熊の左胸に振り下ろす。魔力弾は辛うじて耐えた鉄カブトも、これには耐えられなかった。
「魔力弾で倒せると思ったが、流石に一撃では無理か」
「最大まで溜めたらいけるかもしれません。次は試してみます」
武器が変わったとはいえ、既に倒し方を確立してあるモンスターに苦戦する冬馬パーティーではない。危なげなく倒しきる事が出来た。
「玉藻様、いきなりレアドロップが出ましたよ」
冬馬軍曹と井上兵長が話していると、久川兵長が肉の塊を持ってきた。まさか一匹目からレアドロップが出るとはね。
「これを持って戦うのは面倒じゃな。迷い家に置いて来てくれぬか?」
俺は迷い家を開き肉を置いてきて貰うよう頼んだ。一旦迷い家に戻った久川兵長はすぐに出てきたので進軍を再開する。
前回ここまで到達してから間が空いていた為か、熊の数が多い。このフロアに出現出来る最大数まで増えていると思われる。
「レアドロップって、こんなに出やすい物でしたっけ?」
「欲しいと願っていると出ず、必要ない時にボロボロ出る。ありがちじゃな」
結局、俺達がこの階層を抜けるまでに三個の熊肉が確保された。一つが結構大きいから、全員の胃袋を満たしても余るだろう。
尚、その日の夕食は昆布出汁を使った熊鍋だった。ダンジョン産なせいか、熊肉は思ったよりも臭みがなくて美味しかった。
「玉藻ちゃん、ちょっとお願いがあるのだけど・・・」
食後、真剣な顔の母さんに相談事を持ち込まれた。母さんは食事中から何か不満があったようで、表情が少し優れなかったがその件だろうか。
「砂浜の一部を借りたいのだけど・・・」
「それは構わぬが、何をする気なのじゃ?」
母さん曰く、今回は市販品の昆布出汁を使用したが熊肉に負けていたと言うのだ。なので迷い家の昆布で出汁を取りたいが、乾燥させる工程が必要らしい。
「十分に美味しかったがのぅ・・・」
「更に美味しくなると分かっているならば、それをやらずにはいられないのが料理人よ」
母さん、貴女は料理人ではなく医療事務従事者なのではありませんか?




