第五百三十七話 とある陸軍士官候補生の行動
時間は連休初日にまで遡る。士官学校の寮では連休を利用して帰省する学生が多かった。学生達は朝早くから故郷に戻る為動き出していた。
優のクラスメートである辻谷もその例に漏れず着替えが入った鞄を持って寮を出た。国鉄の市ヶ谷駅から総武線に乗り上野駅を目指す。
東海道線直通となりかなり少なくなったとはいえ、未だに上野始発の列車はあった。辻谷はそれに乗れば座れると予想したようだ。
山手線に乗り換え上野駅に到着した辻谷は上野始発の東北線が出るホームに向かった。朝早くとは思えない人が列車の扉が開くのを待っていたが、座る事は出来そうだった。
それでも人が少ない先頭車両まで歩いた辻谷は、無事座席に座る事に成功した。後は二時間近く座っているだけだ。
途中トラブルもなく、列車は定刻通りに宇都宮駅に到着した。長時間座り体が固まっていた辻谷はホームに降りると両手を上げて大きく伸びをした。
改札に上がる階段を上がっていると、マナーモードにしていたスマホが震えた。画面を見ると+8から始まる怪しい番号からの着信だった。
「こちらは総務省です。お客様の個人情報が流出した恐れがあります。ガイダンスに従い・・・」
辻谷は流れてきた自動音声を最後まで聞かずに通話をきりスマホをしまう。改札口を出ると目的の人物が待っていた。
「よう、大きくなったな。陸軍の士官学校に入ったって?大したものだ。皆会うのを楽しみに待ってるぞ」
「何とか入れましたよ。まあ、ぼちぼちやってます」
辻谷は迎えに来ていた親戚と共に車に乗り込む。車は繁華街とは逆、工業団地の方に向かっていた。やがて細い路地に入り路駐されている黒いセダンの後ろに止まる。
「ありがとうございました。後は頼みます」
「ああ、上司には言われた通りにするよう何度も言われた。指示された通りにするよ」
辻谷を迎えに来たのは親戚などではなかった。彼は海軍と取り引きがある会社の社員で、韜晦に協力させられていたのだ。
乗ってきた車が走り去り見えなくなると、辻谷は止まっていたセダンの後部座席に乗り込む。
「全く、高速鉄道も特急も使わずに鈍行で宇都宮まで来る羽目になるとはな」
「文句を言うな。尾行の有無を確認するには良い手段なんだよ」
駅でかかってきた不審な着信は、海軍からの合図であった。尾行者が居なければ総務省からの、尾行者が居た場合は財務省からの通知を装った詐欺電話が来る手筈だった。
「で、観察対象はどうだ?」
「連休中も何らかの軍務につくらしい。内容まではわからん」
「下手に探って怪しまれても困るからな」
車は国道四号線を南下する。二時間かけて東京から宇都宮まで来た辻谷は、また東京に逆戻りするようだ。
「それと、上から神使の情報を得られないかとせっつかれた。専門で探ってる奴らは収穫無しらしい」
「連絡は情報部の関中佐しかとれないって奴か。同じ情報部だし接点くらいは有るかもしれんが、期待されてもなぁ・・・」
国道を走る車の中で、海軍所属の情報員による情報交換は続く。彼らには自分達が担当している新米中尉が当の神使であるとは想像すらも出来なかったのだった。




