いとこの結婚式に参加してきたわ
ベティの結婚式当日は、雨が降らなければいいなという微妙な空模様だった。
「雨は嫌だな。せっかくのガーデンパーティなのに」
ユーナジアが空を仰ぐ。
「俺の古傷が疼かないから、大丈夫だろう」
ヨルクは左腕を摩りながら空を見上げて言った。昔、錫の溶解中に負った火傷跡があり雨が降ると痛むのだ。雨が降る前には痒さを伴った痛みを感じるらしい。
「父ちゃん、渋い! かっこいい!」
セイロウの琴線に触れる父親の台詞に関しては多くを語るまい。
「あんた、ほんと馬鹿だねえ。大怪我だったのよ」
マルグレットは息子の軽率な言葉に溜息を吐いた。
ベティの結婚式は彼女の実家のある二つ向こうの街で行われる。グレース家は駅馬車で行く予定だったが、フェルジェラルド伯爵家の馬車でゆったりと移動していた。そのつもりでレイモンドは実家から二頭立て六人乗り馬車を借りていたのだ。
ユーナジアと実家の家族を屋形に乗せ、レイモンドは馭者の隣に座る。
「すまないね、駆り出して」
レイモンドは馭者を労う。彼はレイモンドが幼少の時からフェルジェラルド家に仕えている。
『もう老年ですし長距離を不安に思われるかもしれませんが、引退前の大仕事にさせてください』
今回、馬車借用を伯爵に願い出たレイモンドに、馭者を自ら名乗り出てくれた。
そんな馭者と移動中話しているうちに目的地に着いた。この地方でも大きく歴史が古い神殿である。
神殿の隣には領主が建てた迎賓館がある。そこでベティの結婚パーティが予定されている。貴族が使わない時は、こうして平民にも使えるようにしているのだ。裕福層は金を出すから館の維持費の足しにもなるし、平民に開放すると領民の好感度は上がるし、一石二鳥でなかなか遣り手の領主である。
神殿に二人で婚姻届を出して立会人の神官に宣誓する。招待客や通行人たちに見届けてもらい、祝言葉や拍手で祝福されながら神殿を出るのが、一般的な結婚式だ。
花で飾られた婚礼用の馬車から、新郎が新婦をエスコートしながら降りてくる。花婿が花嫁の家まで迎えに行くのが慣習である。
白い花冠をした純白のドレスの花嫁は、ユーナジアと同じ亜麻色の髪に濃褐色の瞳をしていた。顔立ちも似ている。
レイモンドはベティを見て、何かとユーナジアに張り合っている理由が分かった気がした。これだけ似ていれば、親戚内で比較もされただろう。面白くなかったに違いない。
まっすぐ前を見て宣誓台へと進むベティがレイモンドの目の前を過ぎる。花嫁姿とは斯くも美しい。似ている容姿がユーナジアと重なった。
本来ならユーナジアもこんな式を迎えたかったのではないか。家族に見守られ皆に祝福されて結婚するのが、女性の夢だろう。そこに思い至らなかった自分の身勝手さに気がつき、レイモンドは落ち込んだ。
「ごめんね、ユーナちゃん」
「どうしたの? 何が?」
「たった二人だけで結婚宣誓をしたから。王都で結婚式をやり直そうか」
「えー? どうして? 披露パーティがあるからいいじゃない」
「こんなふうにみんなに祝福されるべきだったんだよ」
「王都ではあんな宣誓結婚だけも珍しくないでしょ。ハレの日ってのは田舎ほど派手なのよ」
「駆け落ちじゃないんだから、手順を踏む事もできたと思ってね」
「何? レイちゃん、後悔してんの?」
「いや」とレイモンドは否定した。
「後悔していない自分にがっかりだよ。でもユーナちゃんを蔑ろにしたような負い目はある」
「あまり公言はできないわよね」
更にユーナジアは「立会人の記憶には残る宣誓だったと思うから愉快だわ」とくすくす笑った。
……愉快でいいのか。一応、神聖な儀式なのに。
あの夜、二人で神殿を訪れ婚姻届を提出した。立ち会った神官はにこやかにそれを受け取ってくれた。
『二人はこれからの人生を共に生きる事を神に誓いますか?』
立会人は定型文句を厳かに告げる。
『誓います』
レイモンドはヘラヘラしているユーナジアを腕にくっつけたまま、真顔で返答した。
『わー、ほんとに結婚するんだー』
『……ユーナちゃん、誓って』
レイモンドが小声で促す。
するとユーナジアは『了解であります』と、レイモンドに渡された魔法の花を握り締めたままの右手を、ピシッと挙げた。
『結婚しまあす!』
神殿に彼女の大声が響く。神官は困惑していたが、結局それを宣誓と見做してくれた。
「あれはあれで思い出になるでしょ。魔法の花でプロポーズなんて魔術師ならではだし」
「そうなのかな」
「そうよ! だって私たち、後悔してないじゃない!!」
「確かに」
レイモンドは納得して穏やかに笑った。
いつの間にか新郎新婦の宣誓が終わっていた。踵を返し新夫婦は神殿を出て、これから隣の迎賓館に向かう。緊張が解けたのかベティはほっとした表情をしていた。参列者たちも彼らのあとに続く。
迎賓館の広い庭に設置された二十以上ある丸テーブルの上には、既に豪華な料理が並べられており、この地方では間違いなく最高級の部類である。
グレース家が案内されたテーブルには五脚の椅子が準備されていたが、レイモンドが加わったので急遽お願いしてひとつ持って来てもらう。
「すげえ美味そう」
目を輝かせてすぐにでも料理に手を伸ばしそうなセイロウを、カーナセスが「乾杯が終わってからよ」と釘を刺す。
新郎の父が「二人の門出を祝して」と音頭をとって乾杯したあとは自由だ。
新婦、新郎はそれぞれの友人たちに囲まれている。忙しそうだから挨拶はあとにしようと、グレース家は早速食事を始めた。結婚を祝いに来たのやら、美味しい料理を堪能しに来たのやら。
「ベティとユーナジアが片付いたから、次はカーナセスの番か」
ヨルクは親戚の子供の顔を思い浮かべる。
「男の親戚は数に入ってないのが不公平よねえ」
カーナセスはヨルクが気に入らないのか、鴨のテリーヌをフォークでブスっと刺すと苦言を呈した。
「女は十八までに結婚しろって言って、男は特に言われないのは酷い」
「カーナ姉ちゃん、考えてみろよ。男の十八なんか嫁を養えるほど稼げないんだから仕方ないぜ」
「私はこれからもパン屋で働くわよ。夫婦で稼げばいいのよ」
カーナセスの婚約者のアルフォスは十八歳だ。嫁が同世代だと、どうしたって男は早婚になる。
「僕も十八歳で働き始めたけど、確かにそうだよねえ」
レイモンドも男側だからそう言うけれど、給与計算担当も経験しているユーナジアは知っている。開発部魔術師の初任給は高い。一年後には、メイドを雇って妻と子供一人くらいは余裕で養えるほど上がる。
とにかく魔道具を製作できるほどの技術、魔力持ち魔術師の数が圧倒的に少なくて、開発者を逃さないよう厚遇されているのだ。だがそんなのは特別だ。一般人は嫁をもらうため頑張っていく年齢である。
「ユーナ、来てくれたのね」
ひと段落ついたのか、ベティがやって来た。後ろには他の親類女性たちがついてきている。
「おめでとう」とユーナジアも祝福する。レイモンドは頭を下げるにとどめた。
「ユーナ、久し振りー」
親戚の同世代女子が挨拶をしてくる。
「みんな元気そうねー。久し振り!」
両親と妹弟は、それぞれ親戚、知人のところに行っている。こんな場でないと、このようになかなか会えない人もいるのだ。
「ご招待有り難う。素敵な披露パーティね」
ユーナジアは素直に褒めた。招待客も多く、すごく費用をかけ、こだわりが多いのはよく分かったからだ。
ベティは一瞬レイモンドを誰だろう?と訝しげに見たが、すぐに視線をユーナジアに戻す。そして胸を張って年配男性たちと話している自分の夫を指し示した。
「彼、いい男でしょ。実家は海運業を営んでいるの」
なるほどね。羽振りが良いのか。確かに優しそうな青年に見える。
ここで悔しがって欲しいんでしょうね、あんたの性格なら、とユーナジアは心の中でベティに悪態をついた。
「良かったわ。やっとベティも良縁に恵まれて」
「なんでユーナが偉そうなのよ……」
「ねえ、そちらの方はどなた? おじさんの取引先の人?」
ベティの後ろにいたユーナジアより年下で二児の子持ちのいとこが、全員が気になっている事を尋ねた。裕福な平民の他所行きの格好をさせてもレイモンドの品位は隠せない。場違いな彼の立ち位置の見当がつかないらしい。
「ちょっと! どうして取引先って発想になるのよ! グレース家の身内に決まってるでしょ!」
ユーナジアが怒っても、余計にみんな理解できないようで戸惑っている。
「私の隣に座ってんだから、私の旦那様に決まってるでしょうが!!」
一瞬の沈黙の後に、全員が一斉に喋りまくる。
ええー!!? 嘘でしょ!? いつの間に!? ほんとなの!?
「うるさいなー、ほんとだよ」
同時にあれこれ話しかけられてユーナジアは閉口した。ベティは硬直している。
そこでスッとレイモンドが立ち上がり「初めまして」と笑いかけると、王都でも淑女がきゃあきゃあ言うのに、田舎の女なんてひとたまりもない。姦しさが瞬殺されるのだから、レイモンドの笑顔は攻撃力が高すぎる。
「ユーナちゃんの夫のレイモンド・フェルジェラルドと申します。王都で魔術師をやっています。ベティさん、本日はおめでとうございます」
そう言うとレイモンドは指を鳴らした。
空からベティに七色に輝く花が降る。それから空を見上げて再度指を鳴らせば、曇り空に二重の虹が掛かった。
指を鳴らすのはただの体裁だ。素人に分かりやすい“魔法をかけますよ”の合図である。
「さすがレイちゃん! 門出に相応しい魔法ね!」
ユーナジアが称賛すると、親戚の女子達も「すごいすごい」と興奮して、ベティに降り注ぐ花を受け止める。
「あっ、ユーナの髪飾り、七色に輝くガラス細工で綺麗だと思ってたけど、もしかしてそれも魔法の花!?」
お洒落なまたいとこが気がついた。
「そうよ。旦那に薔薇に似せて作ってもらったの! 数時間したら消えるけどね」
「じゃあこの花も消えるの?」
ユーナジアより二歳上のいとこは残念そうに手の中の花を見つめた。
「その儚さが切なくて愛しいのよ!」
ユーナジアは力説した。
……ユーナちゃん、そんな情緒があるんだ……。
レイモンドは嫁の新たな一面を知るのであった。
「う、うそ……ユーナが結婚していたなんて」
ベティは震え声だ。
「僕がどうしても彼女と結婚したくて、親に反対されたら平民になってでも一緒になるつもりでした」
「伯爵家の皆さんに迎え入れられて幸運だったわ」
何気にレイモンドが貴族を匂わせる発言をしたのを、ユーナジアは逃さなかった。しれっと“伯爵家”だと告げる。
騒ぎを聞きつけた者、グレース家から聞いた者、魔法に気がついた者など。レイモンドの正体が知れると徐々に人が彼の周りに集まってきた。新郎の父親なんか「この機会に是非お近づきに!」と商魂丸出しである。
「ベティ、花嫁がそんな形相しちゃダメだよ」
「田舎から逃げた負け犬のくせに、都会で結婚ですって? しかも私の夫より格上とかふざけないでよ!」
ユーナジアに諭されると、悔しげな顔をしていたベティは地団駄を踏んだ。
あー、この子、癇癪持ちなところがあるからなー。てか新郎に失礼すぎるでしょう。レイちゃんが別格なだけよ。
「田舎を出るのが負け犬なわけないじゃん。故郷を捨てたんじゃないんだから」
「肌も髪も前より断然綺麗じゃない! お金かけてんでしょ! あっちで好き勝手に遊んで過ごしているくせに、あんな極上の男を捕まえるなんて狡いわ!」
「レイちゃんの生活レベルに合わせたら自然とこうなっただけよ。私、魔術師団の事務やってて共働きだし、ひがな遊んで暮らしているわけじゃないからね」
ユーナジアに反論されたベティはそれからも機嫌が直らなかった。
新郎は「気分が悪いのかい?」って花嫁を心配してくれる、優しい旦那様だ。当たり散らさない分別がベティに残っていて良かった。
「行き遅れのじゃじゃ馬がいて大変だなと笑っていた奴らが、手の平返して玉の輿だの言いやがって! ざまあみろだ!」
「ほんと、あんな娘がいて気の毒になんて言ってた奥さんが、素敵な婿様ね〜なんて猫撫で声で擦り寄ってきて! やっぱり嫌いだわ、あの人!」
豪華な披露パーティから帰宅後、両親が二人でレイモンド土産の高級ワインを開けて飲み始めた。
「あれ、やけ酒じゃないよね……」
「んー、愚痴酒なような祝い酒のような。母ちゃんがグビグビ飲むの珍しいや」
「姉さんの事で風当たりが強かったからね。思うところがあるのよ」
「ユーナちゃん、随分ご両親に心労かけてたんだね」
「……はい、そうみたい。でも今回、一矢以上報いてやったわよね!」
ユーナジアは両親の反撃になったと喜んだのだった。