どうして結婚したって信じないのよ
やっと判明したユーナジアの実家の商売。
ようやく決めたよー!
「ただいまー」
ユーナジアは実家の店に入る。
未だかつてない快適な帰省の旅だった。伯爵家の馬車には振動を吸収する魔道具がつけられていて、揺れが少ない。魔道具がどんな理屈か説明しようとした夫を止めた。どうせ聞いても理解できない。ちなみにそれはレイモンドが趣味で作った試作品で、材料費が高く製作も精密すぎて実用化不可らしい。
実益を兼ねた趣味とか、合理的ですごいな旦那様!
「馬車も速いし乗り継ぎ待ち時間がないから三日で帰れるよ」と地図を見ながらレイモンドが言った時は半信半疑だったが、実際にその通りで驚いた。馭者と馬は実家近くの高級宿屋に泊まる手配になっている。家紋入りの立派な馬車はさぞかし目立つだろう。
「おかえりー」
ちょっとふっくらした女性が出迎える。ユーナジアの母マルグレットだ。彼女は娘の姿を見て驚いた。しばらく見ないうちに随分と綺麗になっているからだ。華美でないが衣服も上質な物と一目で分かる。
「おう、ユーナジア、やっと帰ったか」
父のヨルクがぶっきらぼうなのはいつもの事である。娘と認識できる範疇なら容姿の変化は気にしない。
そして、二人は娘の背後にいる男性に気がつく。
「ユーナジア、邪魔だからさっさと家に入りなさい。いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか」
母が愛想よく店舗内に案内しようとする。
「やーね! そんなボケいらないわよ。旦那様を一緒に連れて帰るって手紙に書いてたでしょ!」
「ええっ!?」
「はあ!? あれ、冗談じゃなかったのか!?」
母と父は口をあんぐりさせている。
「初めまして、ユーナジアさんと結婚させていただいた、レイモンド・フェルジェラルドと申します」
レイモンドは人好きする笑顔で頭を下げた。
「おい、ちょっと来い!」
父はユーナジアの腕を掴んで店の奥に連れて行く。
「本当にお前の旦那か!?」
「失礼ね! 本当よ! 魔法騎士団団長フェルジェラルド伯爵の息子で、魔術師団勤務の魔術師よ」
「貴族の魔術師だとー!? この馬鹿娘! そんな大事な事はちゃんと手紙に書かんか!!」
“みんな元気? ベティの結婚式の二日前には帰るから”
用件だけの本文の下に、“追伸:旦那様も一緒だからよろしく♡”なんて綴られていた。
しかし三ヶ月前に届いた近況報告の手紙には、結婚はおろか彼氏ができたとも書いていなかったから、家族はくだらない冗談だと思い込んでいた。
「そんなの夫の自慢惚気みたいで照れるじゃない」
「意味分からん! 平民の実家が貴族の婿をもてなすんだぞ! そこは一番大事だろうが!!」
「あ、大丈夫よ。彼、庶民派だから。研究室のせっまい仮眠室で寝泊まりもしてるし。書類片手にサンドイッチ齧るような人だからね」
「状況が違う!!」
父娘が揉めている間に、レイモンドは既にユーナジアの母を攻略していた。
「まあまあ、ホントにー」
「そうなんですよ。僕が是非にと願って結婚してもらったんです」
「こんな立派な人に見初められたなんて」
「いえいえ、ユーナジアさんは魅力的でモテていましたから。彼女を射止められて幸運でした」
「不出来な娘にまさかこんな良縁が……」
気がつけばレイモンドが話を盛っていた。モテていたとはどちらのユーナジアさんの話でしょう?
母は涙を浮かべて感動しているではないか。
「おい! マルグレット! こっち来い」
父が母を手招きする。流れでレイモンドもついて行った。
「お父上、やっとご挨拶にあがれました」
「いやいや、とんでもない! いえ、ございません!」
慌てふためくヨルクに向かって「敬語はいりません。あなたの義理の息子ですから」とレイモンドは笑顔を崩さない。
出たよ。誰もが陥落する悩殺笑顔が。あれ、計算じゃないんだぜ。天然の人たらしたる所以さ。
ユーナジアは脳内のユーナジアに語っていた。
「わ、わかり、……分かった。まあ入ってくだ、くれ。ユーナジア、居間に案内してあげろ」
「はーい」
娘たちの姿が見えなくなると、ヨルクは興奮気味に妻に指示する。
「急いで“ルックココ”に行って、夕食に最上級のコース料理六人前予約してこい。いいか、祝い事で貴族をもてなすんだとしっかり伝えとけ」
ユーナジアの実家は、古くから主に錫合金の食器や装飾品などを取り扱っている老舗商店である。故郷は錫の産地として有名で、古くから錫製品制作が盛んな地域だ。
元々ユーナジアの家系は錫加工職人であり、家の裏手にグレース工房を構え、父のヨルクは現役親方である。十四歳の弟のセイロウは見習いをしている。
かつては個人がそれぞれ制作して売っていた物を、グレース家のある嫁が一堂に集めて販売する事を思いついたのがグレース商店の始まりだ。
当時は字を読めず計算の不得手な職人も多く、彼らは面倒な交渉を任せられるし、購入者も一人一人職人の元を訪れて一々作品を吟味しなくてもよくなった。店舗には◯◯工房作とスペース毎に表示されているから、気に入った工房に出向いて直接制作依頼もできる。
その嫁は営業も得意で大きな商談もよく纏めた。大量の受注が入ると、各工房に合金配合、工程を指定し同じ物が作れるようにする。それらは職人に安定した収入を与えて生活を守る事にも繋がり、産業として発展した。
落ち着きを取り戻したヨルクが応接間に行くと、ユーナジアが茶の準備をしていた。レイモンドは立ったまま、棚に陳列されている鉱石を眺めている。
「お義父さん、これらは全て錫鉱石ですか」
「ええ」
「この黒の結晶は光沢があって綺麗な四角をしていますね。こっちのいろんな色の結晶は初めて見ました」
「珍しくて取っておいたんで、だ」
どうしてもヨルクは敬語が出そうになり、変な口調になっていた。
近所のパン屋で働いているユーナジアの妹、カーナセスが帰宅し、弟は母に呼ばれたため仕事を終えて戻る。
「カ、カーナ姉ちゃん、すっごいイケメンがいるんだけど、誰?」
「知らないわよ、私も今帰ったところなんだから」
呼ばれた応接間で姉弟は、ユーナジアの隣に座っているレイモンドの存在に戸惑って、コソコソと話す。小声のつもりでもその会話は室内の全員に聞こえた。
「紹介するわ。私の旦那様でレイモンド・フェルジェラルドよ。あ、私ももうフェルジェラルドだから。彼はいずれ母方の伯爵位を継ぐから、多分十何年後かにはユーナジア・アドルノに変わるけどね」
「えーっ!!」
カーナセスとセイロウの驚愕の声が重なった。
「ユーナ姉ちゃんが結婚したって嘘だろ!? 都に出ても男っ気ひとつなかったじゃないか!!」
「そうよ! 手紙に旦那を連れて帰るって書いてるのを誰も信じなかったのに!!」
ユーナジアは「なんでよ」とムッとする。
「就職先で魔術師の友人ができたって言ったでしょ。何を隠そう、その友人こそ、後の旦那様なのである!」
「そんな昔の話されても、向こうでの交友関係なんか覚えてねえよ」
「雑貨屋の娘さんと友達になったって言ってたから、魔術師も女の人だと思っていたわよ」
弟と妹が反論する。
「そうだっけ? 基本的に魔術師って高潔だから、こっちからは声掛けにくいのよー」
結婚するまでは女性魔術師とも「おはようございます」「お疲れ様です」「今日は雨で鬱陶しいですね」くらいの挨拶しかできなかった。彼女たちはシャイなのだ。
「その点レイモンドは最初から、仲良くしようって声かけてくれたのよ」
「食事に観劇に遠出にと、デートに誘って口説いているつもりだったんですが、気が付いてもらえなくて、やっと先日結婚できました」
レイモンドはニコニコとしつつ若干照れている。
「なんなの姉さん、それで気づきませんでしたって、どんな小悪魔気取ってんのよ」
「違えよカーナ姉ちゃん、ユーナ姉ちゃんは無意識に男を何人も袖にしていた天然悪女だぜ」
「あんたら、人を小悪魔だの悪女だの、言い掛かりはいい加減にしてっ」
ユーナジアが吠えると、レイモンドは「恋愛に無頓着なおかげでこちらに恋人がいなかったのか。それはよかった」と呟いた。
「そうだよ、レイモンドさん! 悪女じゃなくて無頓着、無関心な女なんだよ!」
セイロウはしっくりしたと、満足気である。
「何よ、みんなして」
「いじけないの」
不貞腐れるユーナジアの頭を撫でてレイモンドは宥める。
その優しい眼差しに「これが都会の男なのか」と、家族一同がむず痒い思いをするのであった。
「そうそう、これ渡しとくわ」
ユーナジアがスッと父親に差し出したのは結婚証明書だ。そこには証人としてフェルジェラルド伯爵の名前もバッチリ記載されている。
「王都では証明書を転写してくれるのよ。正真正銘、私たちは夫婦だって証だから。疑う知人がいれば見せて黙らせてやって」
「そんな必要あるかい。ベティの結婚式で親戚縁者がレイモンドさんに会うんだから」
そんな父親に「それもそうか」と納得するが、「記念ですから持っていてくださいませんか」とレイモンドに言われて、ヨルクはひとまず応接室のキャビネットの引き出しの中に入れた。
「えっとー、お義兄さんと呼んでもいいのでしょうか」
おずおずとカーナセスが尋ねる。こんな美形は見た事がない。貴族だし“お義兄様”と呼んだほうがいいのかもと気後れする。
「“義兄さん”でいいよ。セイロウくんは“義兄ちゃん”かな。僕は末っ子だから弟と妹ができて嬉しいよ」
ユーナジアを“姉さん、姉ちゃん”呼びしているのにレイモンドは倣ったのだ。レイモンドは本当に如才ない。ユーナジアはその気質に感心する。
カーナはまだしもセイロウまでぽうっとさせるなんてすごい。うちの妹弟はどれだけ美形に弱いのよ。
「夕食は店を予約しています」
ヨルクが案内したのは地元では有名な高級料理店“ルックココ”である。祝い事があれば一家でたまに訪れるが、今回は家族が食べた事のない料理が供され、彼らは料理長の本気を垣間見た。
「マナーは気にしなくていいからね」
ずらりと並ぶカトラリーに途方に暮れている弟にユーナジアが言っても「でも……」と、セイロウはレイモンドをチラリと見る。その視線に気がついたレイモンドは微笑む。
「美味しく食べるのが一番だよ。でも覚えておいて損はない。僕かユーナちゃんを真似たらいいよ」
ユーナちゃん!?
この無神経娘をそんな可愛らしい呼び方しているのか、と家族が内心戸惑うのを他所に、「カトラリーは外側から使うのよ」とユーナジアは得意げに教える。
なんせ<貴族マナー基本編:図解付き>を見ながら特訓した。付け焼き刃でも形にはなっている。
セイロウが「カトラリーって何?」と聞いたのはご愛嬌だ。
上品な晩餐が始まった。
意外にもユーナジアは姿勢正しく優雅に食す。両親が「ガサツなユーナジアが良家の娘に見える」と感激しているなんて全く気が付かなかった。
「おい、このソースが絶品だな」
「ええ、没落した侯爵家の元料理人という噂は本当かもしれませんねえ」
「この爽やかなハーブ何かしら。姉さん分かる?」
「義兄ちゃん、すごく食べ方が綺麗だねえ」
グレース家の血筋か、セイロウはもうレイモンドに馴れ馴れしい。
「小さい時からやってるからね」と、レイモンドはずっと柔らかい表情で応じている。
良かった。
緊張して食べ物の味が分からないなんて繊細な人間は、グレース家にはいないようだ。美味しそうに味わっている。
ユーナジアは安堵した。
会計はヨルクに任せて、レイモンドは口出ししなかった。家長の歓迎だ。有り難く馳走になるのが正しい。
帰宅するとマルグレットは客間にシーツを持ち込む。婿の存在を信じていなかったから、準備していなかったのだ。夕食前に団欒の席を外し、急いで掃除だけはしていた。
「おほほほ。すぐに寝台を整えますね」
「別に私の部屋に一緒でいいよ。片付いてんでしょ」
「ユーナちゃん、それはちょっと」
「レイモンドは狭くても大丈夫でしょ?」
「いや、同室はまずい。思春期の弟さんがいるんだ。色々想像させてしまう」
「はあ?」
「前にも言ったけど、大抵の男はエロいんだよ」
レイモンドは至極真面目な顔で言い放った。