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結婚したら忙しくなるのは当然だわ

「グレースさん、フェルジェラルド様と結婚したって本当?」


 女性魔術師たち三人が事務所を出たユーナジアを待ち伏せていた。


 一昨日、酒場で婚姻届を書いてそのまま提出し、間違いなくユーナジアはレイモンド・フェルジェラルドと結婚した。仕事が休みだった昨日は、新居探しに費やした。今日は所長に二人で結婚報告をしたのだが、それがあっという間に広がったのは想定内である。


「ええ、はい」


 レイモンドはモテるから、こんなふうに絡まれるんじゃないかとユーナジアは思っていた。どんな言い掛かりをつけられるやら。


「おめでとうございます」

 三人は笑顔でそれぞれ祝福の言葉をくれる。

「有り難うございます……」

 大人だからユーナジアも一応礼は述べた。顔は引き攣っていたが。

 

 子爵令嬢のルーフロップが何かを決意した顔で、ずいっと前に出てきた。


「それで仕事は辞められるのかしら?」


「いえ、続けますけど」


 すると三人はいきなり「良かったー!」とユーナジアを囲んだ。


「貴族夫人になるから辞めるんじゃないかって、ウチの部長が言ってて!」

「職場結婚だから居づらいんじゃないかと心配で!」

「グレースさんが居ないと事務所、怖いんですよー」


 あれ? 思ってたんと違う……。


「事務所の男性って、みんな『忙しいんだから来るな』みたいに睨むし」

「所長はいっつも怒ってるしー」

「前みたいに『お前らの書類は後回しでいいだろ』なんて言われたら!」


「そんなに酷かったんですか!?」


 女性魔術師が事務員に遠慮していたとは聞いていたけど、男性魔術師にはへつらうくせに! その鬱憤を女性魔術師で晴らすなんて! 女性魔術師さんたちは大人しい人が多いから舐めてるんだな。


 怒りっぽい所長はお貴族様意識が強いから偉そうではある。ちなみに伯爵家の三男でレイモンドと同じだが、性格は気さくなレイモンドとは大違いだ。

 

 しかし性差だけで仕事の優先順位を変えるとは、先輩たちは何やってたんだ!

 総務主任が事務員採用にユーナジアを推してくれたのは正解だったと言えよう。


 ユーナジアは男性魔術師相手にも堂々と意見を言うし、事務所内の威圧やら男性職員の嫌味にも動じないからだ。やっぱり図太いのである。


「ユーナちゃん、もう帰れる?」


 レイモンドがひょこっと現れて声を掛ける。


「あっ、ご結婚おめでとうございます!」

「フェルジェラルドさん! おめでとうございます!」

「とうとう口説き落とせたんですね!」


 彼女たちはレイモンドの登場に沸き立っていた。


 ユーナジアにとっては急な結婚でも、魔術師たちの間では「やっとか」みたいな感じなのが予想外である。それだけレイモンドの行動はあからさまだったようだ。



 昨日の新居探しで、職場に近いところの集合住宅の二階の一室を借りた。

 即入居可能な物件を探し、三カ所目で訪れた部屋をユーナジアが気に入ったとみるや、レイモンドは契約を即決した。


 正確な家賃も尋ねないうちからだから焦る。レイモンドは高給取りだし、ユーナジアもそれなりの給料を貰っているから心配はしてないけれど、諸々の条件は吟味した方が良い。


 ユーナジアの庶民的な感覚では、一般の集合住宅より段違いにグレードが高い。部屋も寝室の他に二室もある。居間だけでユーナジアの今の住居より広い。

『明後日は休んで引っ越し手続きするよ』とレイモンドが言い、なんとも慌ただしい展開に、ユーナジアは面倒くさそうな顔をした。


『別に同居を急がなくてもいいんじゃない?』

 

 ユーナジアがそう言っても『夫婦が別居しているなんておかしい』とレイモンドは主張する。

 しかし交際期間もなく、貴族なら当然の婚約もすっ飛ばしての結婚だ。


『この状態で別居なんて言う?』

 

 ユーナジアは『夜のあれやこれやを急いでんの?』と勘繰って揶揄ってしまった。


『僕は今の仕事案件が大詰めになる前に、早く生活を整えたいんだよ』


 そうだった。今、レイモンドたちのチームは安価な家庭用の照明魔道具を開発していたのだった。もうあらかた目処が立っているらしい。これは国民の生活水準を上げたい国の肝煎り政策の一環である。


『ユーナちゃんがその気なら、やぶさかじゃないけど』

『レイモンド、性欲なさそうな顔してるのに……』

『そんな訳ないよ。すぐにでも押し倒したいに決まってるじゃない』


 聞きたくなかった! こんな日中の往来で! 涼しげな顔で堂々と言わないでほしかった! 爽やかレイちゃんのイメージが!


 そんな昨日の出来事を思い出してユーナジアは遠い目をしていた。




「グレースさん? いえ、ユーナジアさん?」

 子爵令嬢魔術師さんが訝しがっている。もうグレースではない事に気がついて呼び名を訂正していた。ユーナジアは、はっと現実に戻り彼女の顔を見直す。

「これ……よかったら差し上げます」

 彼女がレイモンドの視線の死角でそっと渡してくれたのは、<貴族マナー基本編:図解付き>という本だった。


「私が昔、講師からいただいた物だけど初心者向けで分かりやすいから。伯爵家にお邪魔する前に少しでも覚えていた方がいいかなと思って……」


「有り難うございます。助かります。ルーフロップさん」


 心遣いが嬉しくて心から礼を言うと、「本当に基本だけですからね」と彼女ははにかんだ。いい人だ。これからは魔術師の女の人たちとも仲良くなりたいとユーナジアは思った。



 翌朝、ユーナジアが朝食後洗い物をしていると、ドアノッカーが叩かれた。


「はーい!」

「おはよう、ユーナちゃん」


レイモンドだ。急いで部屋の鍵を開けると、レイモンドに続いて屈強そうな男性四人とメイドの格好をした女性三人が、当たり前のような顔で入って来た。

「何事なの!?」と驚くユーナジアは無視される。


「引越し手伝うよ。雇った運び屋の人たちと、実家のメイドを三人ほど借りた」


「えーっ、これから支度するのー!?」

「ユーナちゃん、一人じゃ絶対すぐに越してこないじゃない」


 あ、なんか行動を読まれている。ゆーっくり無理ない計画を考え中だったのに。


「僕は今日から新居に住むから。嫌だよ、一人きりなんて」


「早っ! 行動早っ!」

「僕は仕事が早いと評価されているからね」

「それは認める! 字は汚いけど仕事は出来るもんね!」

「ユーナちゃん、それ、悪意はないんだよね?」

「字も今は一応誰でも読めるから大丈夫!」


「奥様、細々とした物の梱包はお任せください」

 メイドたちはにっこりと笑い、持ち込んだ長入れやトランクを開ける。


「奥方! 化粧台は持って行きますか!?」

「え、はい。気に入っているので」

「この整理棚はどうしますか!?」

「それ、中古だし、いらないです」


 奥様と呼ばれ、仕事人たちの勢いに飲まれて、ユーナジアは問われるままに指示を出して、一緒に片付けていた。

 運び屋さんやメイドさんたちが部屋を動き回る中、レイモンドは書棚の本を一冊手に取って、窓辺に背を凭れて優雅に読んでいる。いかにも人を使い慣れている。結構なご身分で。いや、実際結構なご身分なのだが。


 仕事の出来る魔術師が選んだ人たちも仕事が出来るもんなんだな、とユーナジアは手際に感心する。

 大物、小物ともに次々と運び出されて消えてゆき、彼らが去った後は、がらんとした殺風景な部屋になった。


「まるで夜逃げ並みの速さね」


 ユーナジアは感心しつつ呆れる。


「強引で気を悪くした?」


 珍しくレイモンドが眉尻を下げてユーナジアのご機嫌伺いをする。


「楽だし助かったけど、昨日一言くらい言ってよ」


「ごめん。やっと同居できると思うと。舞い上がっていて伝え忘れた」

「舞い上がってるの? 全然そんなふうに見えないっ」

「ずっと好きだったって伝えたよね」

「聞いたけど!」

「だったら当然だよね」


 当然、なのか?

 今までレイモンドの距離感は適切だったし、色めいた匂わせもなかった。なんなら夫婦となった今さえハグもない。新婚さんの甘ーい空気は皆無。舞い上がってるなら、それらしい顔をしてもらいたい。


「ユーナちゃん、難しい顔しないでいつもみたいに単純に考えよう」

 レイモンドは普段通りに愛想いい笑顔で言い放つ。

「馬鹿にされてんですかねえ」

「まさか。大らかなのはユーナちゃんの長所じゃない」

「ものは言いようね!」


 “レイモンド・フェルジェラルドがユーナジア・グレースに惚れている”と、三年前から魔術師団本部内では噂されていた。おかげでユーナジアは他の男に言い寄られなかった。

 二人でよく飲食していたし、一緒に観劇や買い物している姿が街でも目撃される事が多い。だから界隈で自分が“魔術師の恋人”と認識されていたなんてユーナジアの知る由もない。彼女が男に声を掛けられる事が滅多になかったのは、レイモンドの地道な囲い込みと牽制が功を奏していたのだ。


「さあ、じゃあ新居に行こうか」


 にっこりと笑うとレイモンドは、すっとユーナジアの顎を持ち上げ、軽く唇を重ねた。


「ははっ、顔が真っ赤だ。僕の奥さんは可愛いよね」


「なっなっ……! いきなりで驚いただけだから!」


「慣れてね。今後はあれやこれやもあるんだし」

「いやー! レイモンドがエロ親父みたい!」

「うん、大抵の男はエロいから」

 ニコニコとレイモンドはユーナジアの発言を軽くいなす。


 部屋を借りていた大家さんに鍵を返すのに同行したレイモンドが、準備していた菓子を手渡した。

「これ、フェルジェラルド伯爵家の料理人が作ったレモンパイです。召し上がってください。今までユーナジアがお世話になりました」

「まあまあ! わざわざご丁寧に有り難うございます。急な引越しで驚いたけど、ユーナジアちゃん、幸せにね」

「大家さん、本当にお世話になりました」

 

 田舎から出てきたユーナジアを気にかけて可愛がってくれた大家さんだ。ユーナジアも有名店の菓子折りを渡そうとは思っていたが、まさかレイモンドが準備していたとは驚いた。さすが庶民派。付き合い方を知っている。

 しかも伯爵家の料理人の菓子なんてレアだよ! 関わりがないと口にできない。


「レイモンドんちの料理人さんのパイってどれも絶品だよね! お礼を準備してくれて有り難う!」


「急で準備ができないのは分かっていたから。それより“僕んち”っておかしいからね。君もフェルジェラルドなんだから」


「そうでした。でもまだ実感がわかないよ」

“ユーナジア・フェルジェラルド”と、たくさんの書類に名前を書いているが、まだレイモンドの妻という自覚が足りないのは仕方がないというもの。

 

 ……つ、妻って……きゃあああ! 恥ずかしい!!


「奥さん、早く馬車に乗って。新居でまた一仕事あるよ」

 身悶えているユーナジアの心境を知ってか知らずか、レイモンドは彼女を奥さん呼びした。


 新居では大きな家具はレイモンドが準備していたし、ささやかなユーナジアの持ち込み物は、仕事人のメイドさんたちによってテキパキと片付けられていった。


「わああ、……やっぱりベッドは茶色系で纏めたのね! レイモンドの部屋も落ち着いた色だったよね!」

 寝室を覗いて、ユーナジアは大人が三人ゆったりくつろげる大きさのベッドに目を奪われた。初めて見る大きさでふかふかしている寝具に、思わず飛び込みそうになって自重する。人妻がやる事ではない。だから無難に色に言及した。


「寝室には柔らかい色がいいでしょ。優しい緑なんかもいいけど」

「じゃあ観葉植物を置こうよ。憧れだったのよねー」

「ユーナちゃんの好きなように変えていいよ。僕は別に住むところに拘りはないから」




 翌日は二人仲良く出勤である。


 一階の事務所にユーナジアを送った後、レイモンドは三階の所属研究室に向かう。魔道具開発室がいくつかある中で、レイモンドは家庭用向きの一般商品や娯楽用を開発する部署にいる。レイモンドの魔力は大掛かりな物や軍事用にこそ発揮されるからと、現所長に最上階の機密研究室への異動を求められたが断った。

『娯楽品が求められるのは、国が豊かな証拠だからやり甲斐がある』がレイモンドの持論である。


「グレース、おっと失礼、フェルジェラルド夫人。いずれレイモンド氏は母方の実家の爵位の一つ、アドルノ伯爵家を継がれますよね。貴族となられたのに、あなたはまだ仕事をされるのですか? 夫君が甲斐性なしだと公言しているようなものではありませんか」

 いつも『平民が、女が偉そうに』と絡む先輩が嫌味の方向性を変えてきた。

 

 レイモンドのどこが甲斐性なしじゃい。あんたの数倍給料もらってると知ってるだろうに。

 それにどうしてアドルノ伯爵家を継ぐのを知ってんのよ。まだまだ先だと言ってたわよ。あんた、実はレイモンドの隠れファンじゃないの?


 ユーナジアは紅一点として就職したもの、ずけずけと意見を言うので事務所で可愛がられるはずもなかった。

『小娘が生意気な』と煙たがられているのは承知している。しかしその程度で挫けるようならとっくに退職している。


「仕事をされている貴族夫人を侮辱しているのですか?」

「おまえとは違う。ブティックやカフェの経営とかだろう」


 ……おまえ呼びに戻りやがった。腹立つ。


「魔術師さんたちの力になれるのは嬉しいですよね。先輩もそうでしょ」


 いいじゃない、職場結婚。これからも旦那様(レイモンド)のサポートができるもの。


 なんだかんだとユーナジアは自覚ないまま、とっくにレイモンドに絆されていた。


「有能な女性魔術師さんたちを蔑ろにするような職場に、戻したくないですからね」


 見下す先輩をユーナジアは嫌味を込めて睨む。

 ユーナジア・グレースはユーナジア・フェルジェラルドになっても変わらない。




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[良い点] このお話のノリと勢い好きだったので、追加のお話嬉しいです!
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