酔った勢いで結婚したけど後悔はない
「あーもう! 本当に里帰りなんかしたくないのよ!」
裏通りの安酒場で度数の高い酒を呷りながら、ユーナジアは拳をダン!とテーブルに打ちつけた。喧騒の中、ユーナジアの声は周囲の興味を引くほどでもない。
「たまには顔見せないとだよ」
ニコニコと彼女の相手をしているのは、彼女の友人である魔術師のレイモンドである。孤高を気取る魔術師が多い中で、人懐っこく愛嬌のある青年だ。
「親戚の集まりに強制参加で一年前に帰ったわよ。年配者には“都に出た生意気な女”と蔑まれるし、いとこたちは“都会に行っても垢抜けない”なんて馬鹿にするし、いい事ないのよっ」
「家族に会うだけでいいじゃないか」
「王都生まれのレイモンドには分からないのよ、うちの田舎のしがらみが! どこからか帰郷を知って難癖つけに親戚縁者がやってくる面倒臭さ!」
ユーナジアは特にやりたい事があって都会に出てきたわけではない。煌びやかで楽しそう、なんて単純な理由だ。
職を探している時に、たまたま魔術師団本部の“特殊技能の要らない一般事務職”募集を見つけて採用試験を受けたら雇われた。
倍率は高かったのに、自分がよく受かったなと思い後日上司に聞けば、
『計算も正確だし人あたりもいい。魔術師は基本プライドが高いから、我々を凡人と見下したりするんだよ。それに耐えられそうな図太さが良かった』
それって褒めていますか?案件である。
『女性事務員を希望したのは女性魔術師たちなんだ。男性職員を威圧的に感じるらしい』
なんと女性というだけで軽んじられるとは! 男性優位の職場で事務処理ひとつ頼むのも躊躇しているって。そんな環境に新しい風を吹かせるべく雇われた初めての女性職員。福利厚生もバッチリ! そんなわけでユーナジアは随分好条件な職場を得た。
「みんなして田舎に帰ってこいってしつこいのよっ! レイモンド、飲んでるー?」
「ちゃんと付き合ってるよ」
レイモンドは手元のグラスを持ち上げてユーナジアに示した。
それから給仕の女性に「チキンのオリーブオイル焼き、付け合わせはマッシュポテトで。それとチーズ盛り合わせお願いします」と注文する。
「チキン好きー、マッシュポテトもー」
「知ってる」
もう三年の付き合いになる。ユーナジアの好みは把握済みだ。
初対面の印象は悪かったとレイモンドは思っている。
『フェルジェラルドさんはいらっしゃいますか?』
レイモンドのいる第一研究室に新しい事務員のユーナジア・グレースがやって来た。レイモンドは職員が若い女なのは嫌だなと思う。魔術師はエリート職種でもあるので、婚活まがいかと疑ってしまうのだ。
『僕です』と警戒しながら返事した。すると彼女はレイモンドに近づくと、キッと睨んで紙を押し付けてきた。
『なんですか、この提出書類は!』
見ればレイモンドが申請した経費請求書と、新規魔道具作成に関する必要品購入申請と進捗の報告書である。
『ちゃんと指定の用紙使っていますよ』
『もっと丁寧に書いてくれないと読めません!』
『そんな事言われても』
『悪筆なのは仕方ありません! でも文字は伝えるために存在しているんですよ! 誰が見ても読めるように書き直しをお願いします!』
今までは担当者が頑張って解読して慣れていったそうだ。下手に苦情を言うと魔術師が臍を曲げて、今後の仕事に影響するかもしれないからだ。そんなふうに思われていたと初めて知り、レイモンドはショックだった。
『それと書類を何でも総務の提出カゴに入れないでください! 魔道具関係は所定のケースに入れてください! 分かってますか? 管理が緩いと外部に持ち出される危険があるんですよ?』
久しぶりに人に怒られた。今までの杜撰な行動を咎められて納得したので謝り、素直に書き直しをした。
それから言葉を交わすようになり、時々食事を共にするようになって今に至る。飲み仲間とも云う。
レイモンドが年下のユーナジアに名前を呼び捨てでいいと言えば、彼女は遠慮なく従った。レイモンドが貴族と知っても態度を変えなかったあたり、確かに上司が感じた通り図太い人間である。
「レイモンドはいいわよねー。自由そうで」
「そうだね。後妻の子だし。亡くなった先妻の子の優秀な兄姉たちがいるから、好きにさせてもらってるよ」
外から見ればフェルジェラルド家は複雑そうだ。だがレイモンドの母は大人しい女性だし、兄姉も歳の離れた弟を可愛がっていて円満だ。
フェルジェラルド家は代々魔力が高く、素質ある者は王立魔法騎士団に入り、要人の護衛や国の防衛にあたる。父は現魔法騎士団長だし、兄たちも当然のように父と同じ道を歩んでいる。
高魔力の血筋を受け継いだレイモンドは、王立魔術師団の魔道具開発研究室に就職した変わり種だ。攻撃魔法はそこそこで剣技や体術が人並みな彼は、早々に自分は魔法騎士に向いてないと諦める。
レイモンドが選んだ道を家族が反対しなかったのは、彼が研究者気質であると知っていたからだ。
「フェルジェラルド伯爵家令息が、こんな庶民の酒場で平民の女と飲んでるなんて、誰も気が付かないよねえ」
「何? 嫌味? 絡んでんの?」
「事実を言っただけですう」
外はパリッと中は柔らかいチキンを頬張りながら、ユーナジアは酒をまた頼んだ。若い女性のユーナジアは目立つ。
可愛らしい外見の彼女はレイモンドが側にいなければ、すぐに声を掛けられるだろう。
「酔っ払ってるね。お酒はそれくらいにしなよ」
「えー? レイモンド先生、厳しー。明日はお休みだからもっと飲もうよー」
ユーナジアを家まで送り届けないといけない。飲みすぎて自分の足がふらつくようでは、いざという時彼女を守れないではないか。そんなレイモンドの胸中も知らず、ユーナジアは楽しげに飲食している。
「でもね、レイちゃん、今回はねー、いとこのベティの結婚式だから帰んなきゃなんないのよ」
「おめでたい理由じゃない」
「いとこ、またいとこの年齢が近い中で、最後に売れ残ったのは私だって、馬鹿にするために呼ばれてんのよ」
ご機嫌に酔うと“レイちゃん“呼びになるユーナジアも、今は笑いながら愚痴るという器用な状態だ。
「まだ二十歳なのにねえ」
「うちの田舎じゃ子供の一人や二人は産んでいても普通なの。都会じゃ独身の方が多いのにね!」
「まあ、土地柄があるからね」
「放っておいたら一生独身だろって。家を継ぐ弟の邪魔になるって。どうして実家で弟に面倒見られる前提なのよー。今度帰ったらこの機会に見合いしろって脅されてんの。ひどくない?」
「え?」
「私が片付かないと妹も恋人と結婚できないんだって! 姉が結婚していないと外聞が悪すぎるんだってさ」
「…………」
「レイちゃん、聞いてるー? 妹が抜け駆けしてもいいのに、めんどくさいよねえ」
「ユーナちゃん、解決策があるけど聞く?」
「うん、聞く聞くー」
「僕と結婚すればいいよ」
ユーナジアはきょとんとして意味を考えた。そして理解すると、酔いでぼんやりしていた瞳を見開いてレイモンドを見た。
「レイちゃん、天才か!!」
手を叩いて「名案が出た!」と大爆笑する。
「僕は家柄も仕事も問題ないよね」
「うんうん、ついでにイケメンで性格もいいよ。どうして二十三歳で婚約者もいないのか疑問だったの!」
「僕だって交際迫られたり、見合いの話はあるんだよ?」
「そうなんだ。知らなかった。レイちゃん自分の話あんまりしないから」
「君にはそんな話したくなかった。まだ早いかなと悠長に構えていたんだけど、そんな事なかったんだな」
ユーナジアには意味の分からない事を呟くと、レイモンドは一人頷く。
「僕はフェルジェラルド伯爵家の三男だけど、結婚は自由にしていい。相手は平民でもいいって親は言ってくれている。奥さんに貴族としての完璧なマナーなんて求めない」
「いきなり何が始まったんですか。レイモンド先生」
「黙って聞く! 今、プレゼン中なんだから。浪費癖もないし、それなりに貯金もある。奥さんが仕事をしたいならしてもいい。家事はメイドを雇えばいい。口煩くもないし束縛もしないタイプだよ。かなりの優良物件でしょ」
「うんうん、すぐ買わなくちゃって気になる!」
「一名様限りの早い者勝ちだよ」
「先生! でも庶民には高嶺の花です。田舎者の行き遅れには手が届きません!」
ピシッと右手を上げてユーナジアは発言する。
「ユーナちゃんち、地元では有名な老舗商家だよね。堅実な経営をするって評判で信用がある。ご家族も問題なし。親戚に文句言われないように調べたんだ。実家より親戚が煩いのは僕んちも同じだよ。勝手にごめんね」
「ん? 調べられても別に疚しい事はないけど。なんでそんな事を?」
首を傾げて不思議そうなユーナジアからレイモンドは目を逸らす。疚しいのはレイモンドの方だ。なんせ現時点ではただの友人なのだ。しかし酔っているユーナジアは深くは考えてはいなかった。
「だからー、僕と結婚するのに憂いはないって言ってんの!」
「ほんと? あとでゴタゴタしない?」
「しないさせない。どさくさ紛れで悪いんだけど、僕は本気で言ってるからね」
「マジで!? 玉の輿! ベティより勝ち組じゃん!」
ケタケタ笑うユーナジアをよそにレイモンドは神経を集中し、右手の中で何かを形作る。
「はい、これ」
レイモンドがユーナジアに差し出したのは虹色に光る透明の薔薇っぽい花だった。魔力で作った造花だ。
「プロポーズに格好がつかないや。何も用意してないから、今はこれでごめん。数時間で消えてしまうけど」
「ううん、すごく綺麗。レイちゃんのこんな優しい魔法、大好きなんだー」
ユーナジアは嬉しそうに受け取った。
「レイちゃんとなら楽しい生活ができそうー」
「結婚してくれる?」
「うん、するするー」
「じゃあこれにサインして」
「何? 婚姻届ってどこから出したのよー。レイちゃんのサインがもうしてあるし、証人の欄がフェルジェラルド伯爵になってないー?」
「以前から準備はしてたんだ。僕の部屋にあったのを今移動させた」
少々の魔力持ちでは空間移動など出来ない。高位魔法の無駄遣いである。
「はへー、準備万端だねー」
感心しながらユーナジアはサインした。それを見届けると、レイモンドは婚姻届を丸めて懐に入れた。それからユーナジアを立ち上がらせ、「さ、行くよ」と支払いを済ませて店を出る。
「ユーナちゃん、このまま神殿に提出するよ」
「そうだね。レイちゃんの気が変わらないうちに行こう!」
「それはこっちのセリフなんだけど」
ユーナジアはレイモンドの腕に絡みついて、よろよろと歩きながら終始楽しそうに笑っていた。
翌日、ユーナジアが目を覚ましたのは、知らない部屋だった。シンプルだが質の良い家具で統一されている。
知らない部屋だが部屋の主はよく知っている。昨日「気分が悪い、吐きそう」と言ったユーナジアを介抱のため、家に連れて来てくれたのだ。
ぼうっと昨晩の行動を思い返していると、この寝室のドアが開いてレイモンドが入ってきた。
「気分はどう?」
「……悪くないです」
「吐いてスッキリしたでしょ。お風呂入る?」
「着替えが無いから、帰って入ります……」
「なんで敬語?」
「なんとなく反省の意を込めて。迷惑かけてごめんなさい」
「夫婦だもん。面倒見て当然さ」
確かに婚姻届を出して受理された! 書類上は間違っていない!
昨夜は酒場を出てその足で神殿に向かった。冠婚葬祭の届けはいつでも受け付けてくれるのだ。婚姻届は二人揃って神殿で拇印を押して宣誓しないと、神官が見届け人のサインをくれない。
テンション高く「結婚しまあす!」と宣言した自分を、神父が困惑した目で見ていたのは忘れない。「彼女は浮かれてるんですよ」とのレイモンドの言葉に納得していたけど。神父が「ああ、伯爵家の……」と届けを確認して声を漏らしたから、大方、平民が貴族とやっと結婚できるからだな、とでも思ったのだろう。
酔いが覚めた今、諸々を反省する。ユーナジアは酔った勢いで結婚してしまった。
「まあ、二日以内なら婚姻届の破棄もできるから……」
無理矢理などの事情ありの人とか、自分みたいに酔っ払いのノリで、みたいなお馬鹿な人間のために猶予期間があるので、今からでも無効にするのは可能だ。
「何言ってんの。僕と結婚はそんなに嫌なわけ?」
レイモンドが片眉を上げて不機嫌に言い放つ。
「私は異存ないよ。気が合うし、レイモンド以上のハイスペなんて望めないもの。問題はあなたの方よ。平民の田舎者を娶ってあなたになんのメリットがあるのよ」
「メリット? 好きな女性と結婚したんだ。これ以上のメリットがあるかい?」
「えっ!? レイモンド、私の事好きだったの? いつから!?」
「出会ってすぐ」
「結構昔ですやん……」
「好きじゃなきゃ食事に誘ったり高級菓子あげたりして、距離詰めないよ」
言われてみれば心当たりはある。なんだかんだとレイモンドは事務所に来ていた。
「魔法で虹を作ったり、君の周りに雪や花びらを舞わせたり、気がある女にじゃないとしないよ」
綺麗だって褒めたから、調子に乗って見せてくれるんだと思っていた。すみません。
「結婚式はユーナちゃんちの都合のいい日に合わせるって、父さんには伝書魔法飛ばしといたから」
「相談じゃなくて一方的!? 平民のグレース家が生意気に思われちゃう!」
「一家総出で僕の恋の成就を喜んでくれているから、あとは割と無問題」
恋の成就……? はて? その認識は正しいのだろうか。ユーナジアは首を傾げて思案する。よく考えなくても恋人期間はないし、レイモンドに確かに好意はあるけど、恋心ではない気がするのだが。
「難しく考えない。一緒に暮らして夜のあれやこれやが加わるだけだよ」
「そこが一番の問題点じゃない!?」
「ベティさんの結婚式には僕も出席するよ。夫だからね」
レイモンドはユーナジアの言葉を無視して、にこりと告げる。
はっ、そうだった! そもそもの発端の見合いを回避できた事をユーナジアは思い出す。おまけに今後田舎で“行き遅れ”と罵られない。ベティより早く結婚したから彼女の見下しもない。なんなら“魔術師で男前の貴族を捕まえた”と悔しがるだろう。
紛うことなき人生の勝者!!
「よろしくお願いね! 早めに帰ってまず両親に結婚報告しなきゃ。あ、それよりレイモンドのご家族にご挨拶が先だわ!」
「分かった。結婚披露式は兄さんたちと同様にウチの別邸で行うのは決まってるから、それは了承してね。早速今日から新居を探そう」
酔った勢いで結婚してしまったけどきっと間違いじゃない。打算込みでも実際にレイモンドとの生活が楽しみだと気がついたもの。ユーナジアは、いきなり既婚者になった昨日の自分を褒めてやった。