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「栗田さん。良かった、会えて。」

「理人君…久しぶり。」


 あれから、もうと言うか、まだと言うか、2週間経った。理人君に会ったのは、あれから初めてだ。

 私はいつものようにぼんやりしながら、家に帰ってきた。私の気力は前期のテストだけに向けられていて、他のことには全く気力がむけられない。ご飯は一応食べている。

 ぼんやり家に帰ってきたら、エントランスの前に理人君が立っていて、びっくりした。連絡あったっけ? そもそも、私が連絡すると言ってから、連絡は断ったままだったはずだ。


「ご飯は食べてね、って言ったのに。」


 理人君が私を見て、ため息をつく。


「一応、食べてるんだけど。」

「明らかに痩せてるし。」

「何か、食べてもおいしくなくて。」


 せめてもの言い訳だ。


「美味しいご飯、食べさせてあげるから、行こう。」


 理人君は、私の腕を取る。


「いいよ。」

「いいよじゃないよ。自分で言ってたでしょ。テスト期間に入るから、自暴自棄になってる暇なんてないって。そんなんじゃ、前期のテスト自滅するよ。」


 …そう、私がやりたいことのためには、自滅するわけにはいかない。私は大人しく、理人君に着いていくことにした。私が抵抗しないのを見て、理人君は私の腕を離す。


「理人君って、案外おせっかいなんだね。」

「何とでも言ってくれていいよ。」


 理人君が力なく笑う。


「それで、美味しいご飯って、どこに行くの? 私お金降ろさなきゃ。」


 おごってもらうわけにはいかないし。


「お金はいらない。うちの家に行くだけだから。」

「はい?」


 理人君ちって…。


「実家でしょ?」

「友達がご飯まともに食べてないんじゃないかって心配してたら、父がうちに連れてきなさいって。」


 …友達。もう顔を合わせても、挨拶すらしなくなった愛美のことを思う。クラスの皆は、喧嘩してるのかなくらいしか思ってないと思うけど。愛美は、佐藤君にした話をクラスメイトにはしてないみたいだった。それは周りの態度が一切変わらないからで。周りにどう思われたっていいとは思ってるけど。…でも、やっぱり私が痩せていってるのには気付くらしくて、心配してくれる人もいる。


「でも理人君。会ってもないのに、良く私が食べてないかもってわかったね。」

「栗田さんって、食べ物に執着してないと言うか、口にはいれば何でもいいって感じがしてたから、気力ない時に何を省略するかって考えたら、食べることかな、と思って。」

「他の家事も、滞ってるよ。」


 ちょっと反論したい気分になる。


「…それは命には直結しないでしょ。食べることは生命維持の基本だから。」


 先生みたい。


「理人君、先生みたいだね。先生とか向いてるんじゃない?」

「先生と言えば先生は目指してるかも。大学に残って研究続けたいな、とは思ってる。」


 へぇ、そうなんだ。理人君の夢の話とか、初めて聞いたかも。佐藤君の話は、愛実が根掘り葉掘りきいてたから、沢山聞いてたけど。


「栗田さんは、何か目指してるものあるの?」

「前にも言ったかもしれないけど、特にないよ。ただ、英語を使うような仕事をしたいと思ってる。」


 今はまだ、漠然とした夢だ。


「そっか。まだ2年だしね。」

「ところで、理人君の家って、歩いて行けるところなの?」


 さっきから、ずっと裏の通りを歩いている。この道を一人で帰る自信はない。


「裏道通れば、歩いて15分くらいかな。」


 近いとも遠いとも言いづらい距離だ。


「私、この道帰る自信ないけど。」

「大丈夫。暗いのに一人で帰すことはしません。」


 …理人君だなぁ、と思う。一度行った飲みの時も、佐藤君が愛美を送ることになって、残った私と理人君で送る送らないで押し問答になったんだった。


「ありがとう。」


 今回は流石に素直に受け取る。


「でも、思ってたより元気で安心した。」


 理人君は本当にほっとしたように言う。


「一応、持ち直しては来てるんだよ。テスト期間に入っちゃったから、気力はそっちにほとんど持っていかれてるけど。」

「郡さんとは?」


 …きっと、気になってたんだよね。心配してくれてたのに、連絡もしないで悪かったな。

 私は曖昧に笑ってごまかす。これ以上、言葉を重ねて、佐藤君にもその話が伝わって誤解を招くだけのことは避けたい。


「佐藤から話聞いたけど、栗田さんが性格悪いみたいになってて、意味が分からなくて。」

「私が、佐藤君に対して、あんな態度だったのが悪かったみたいだよ。誤解させるには十分なことしたんじゃないかな。」


 私のあの態度で、離れていく人はたくさんいる。私もそれは分かっていたんだけど。まさか佐藤君のことを好きになるとは思わなかったし、自分の気持ちに気付いた後も、それまでのこととか、愛美のこととか、自分の中の葛藤とか色々あって、態度は変えられてなかった。

 だから、愛美が何か小細工をしなかったとしても、ああいう風になる日が、いつかは来たのかもしれないな、と思う。結局、自分の態度が招いたことだ。


「それに、私が愛美の悪口言ったから、私のこと人としてどうなのって、思っちゃったみたいだし。」

「何て言ったの?」

「ごめん。今更だけど、私もちょっと焦ってて、愛美のことひどく言ったかな、とは反省してるから、言いたくはない。」


 今でも、私は愛美を許せているかと言われれば、許せはしていないし、愛美のことを嘘つきだとは思っている。だけど、ここで私が言ったことに理人君が影響されたりして、愛美のこと悪く言ったとしたら、理人君と佐藤君の仲も不味くなりそうな気もする。まあ、それよりなにより、私の言ったことが佐藤君に伝わって、これ以上嫌われたくはないと言う気持ちの方が強い。理人君は言わないでいてくれるかもしれないと思えるけど、どんなことで伝わるかなんて、誰にも分らないことだ。

 今回のことで、人の悪口は言わないに限る、と言うことだけは学んだ。


「そんなことで、あんなに佐藤に態度が変わるとは思えないんだけど。」


 理人君はまだ腑に落ちてないみたいだ。


「まあ、佐藤君も思うところが色々あるんじゃないかな。」


 それだけ、愛美の小細工は巧妙だったんだろうと思う。そんなことに頭を使うより、もっと他のことに頭使った方が建設的だとは思うけどね。…今回は、それでも、ライバルを完全に蹴落とせたから、愛美的には建設的なのかな。


「でも…。」

「理人君には応援してもらって、こんな結果しか出せなくて、ごめんね。私が人間的に至らないから招いた結果であって、凹んでるのも、自分のせいだから、そんなに心配してくれなくていいよ。」

「心配するなって言われても、明らかに痩せもすれば、心配はするよ。」


 理人君の言葉に、私は涙が出そうになる。


「クラスにもね、理人君みたいに心配してくれる人がいるんだ。愛美とはもう仲直りできないかもしれないけど、今度出来た友達は、大切にしたいなと思う。」

「そうだね。自分が大変な時に助けてくれるのが、本当の友達だと思うよ。」


 私はあふれ出した涙をぬぐって、呼吸を整える。


「ありがとう。理人君には感謝してます。ご飯まで食べさせてくれるしね。」

「まあ、作るのは僕じゃないし、父だけど。」

「お父さん、料理好きなの?」


 うちの両親も共働きだったから、料理は手が空いたほうがしてたけど、父はあまり料理は好きじゃないらしい。子どもがいるから、作らないといけないと、頑張ってくれていたみたいだ。私も作りはするけど、好きではない。


「好きって言うか、母のごはんよりおいしいことは確か。」


 …それって、ひどい言い方のような気はする。


「お母さん、料理苦手なの?」

「まあ、そうだろうね。僕は父に似たみたいで料理はそれなりにできるけど。今じゃ、僕か父が夜ご飯作ってることが多いね。あ、うち、ここだから。」


 結構立派なマンションだ。建ってからはだいぶ経つんだろうけど、手入れはきちんとされてる感じがする。


「お姉さんもいるって言ってたけど、お姉さんも苦手なの?」

「いや、姉の方が父の料理の腕は継いでるんじゃないかな。でも、今専門学校に行ってて、勉強漬けの毎日だから、最近は料理はほとんどしてないね。」


 マンションのエントランスで、理人君が解除キーを押す。


「うち、8階だから。」


 エレベーターに乗り込む。

 勢いにつられて着いてきたけど、初対面の人に会うのは、苦手だ。…だれでもそうなのかもしれないけど。緊張する。


「栗田さん、緊張しなくても、うちの家族、攻撃するような人たちじゃないから。…ただ、ちょっとうるさいかもしれない。今日連れてくる友達が女の子だとは言ってないから、勘違いするかもしれないから。それは、先に謝っとく。ごめん。」


 理人君に言われた言葉に、笑いが漏れる。


「それは、勘違いするかもね。私も否定しとくから。」


 理人君は苦笑する。

 8階について、理人君について廊下を歩く。


「ごめんね。色々と気を遣ってもらって。」

「僕がしたいと思ってやってるだけだから。自分では思ってなかったけど、お節介なのかもね。」


 理人君って意外と、根に持つタイプなのかもなぁ。


「ごめん。感謝してるから、さっき言ったことは、許して。」


 理人君が笑って、玄関の鍵を開ける。


「じゃあ、どうぞ。」

「お邪魔します。」


 私が部屋の中に向かって、声をかけると、男性が一人、びっくりした顔をして、玄関を覗く。


「理人、女の子を連れてくるとは言ってなかったよね?」


 玄関に向かって歩いてくると、顔が良く分かった。理人君のお父さんだと思うけど、思っていたよりも、年上だ。私の両親よりも、一回り上かな? しゃべり方が柔らかい。理人君のしゃべり方は、お父さんに似たのかな。


「言わないといけなかった?」

「…いや、いいけど。いらっしゃい。」

「初めまして。理人君と同じ大学の経済学部に通っている栗田香奈枝と言います。理人君には良くお世話になってます。」


 私がお辞儀をすると、理人君のお父さんも居住まいを正す。


「理人の父の弘人と言います。お父さんって呼んでくれていいよ。」


 なぜか、にっこりとした笑顔付きだ。


「…父さん、冗談は、母さんの前だけにして。」


 なぜか、理人君が怒る。…お父さん、変なこと言った?


「じゃあ、何て呼んでもらえばいいの? 弘人さん? 先生?」

「先生?」

「理人、栗田さんには何にも言ってないの?」

「言う必要なくない?」


 何だか、理人君の話し方がいつもと違って子供っぽい。ちょっと笑ってしまう。


「栗田さん、何笑ってるの?」


 理人君が、自分が笑われてるのに気づいたらしく、声が拗ねている。


「いや、理人君が子供っぽいところ、初めて見たな、と思って。」

「理人はまだまだ子供なんだよ。だから、色々あると思うけど、許してあげてね。」


 …何をだろう?


「そんなことより、栗田さん、とりあえず、上がって。」


 理人君の言葉に、私は慌てて靴を脱ぐ。理人君も後ろに控えてるから。


「そんなに追い立てなくてもいいでしょう。」

「いえ。大丈夫ですから。」


 上に上がると、お父さんが、私を先導して、ダイニングに向かう。


「ああ、僕はね。教育学部で数学の先生してるんだよ。」

「あ、それで、先生なんですね?」


 …教育学部の、霧島先生…。霧島弘人…。どこかで名前を見たような気がする。私が知ってるとすれば、教養の授業かな。…ん?

 椅子に座るよう促されて、席に着く。


「もしかして、教養の授業で、数学の基礎の授業を担当してますか?」


 私が立ったままのお父さんに声をかけると、嬉しそうな顔をして私を見る。


「してるよ。あれ、栗田さん、僕の授業受けたことあるの?」

「ないんですけど…教養の授業を選んでいるときに…名前を見たことがあった気がして。」

「そうなんだ。受けてくれればよかったのに。」


 …2年に上がる前、理人君がゲームしに来た時に、この授業どう思う、って聞いたら、去年受けたけど、眠くなるからやめた方が良いよ、って言われたんだよね…。苗字が同じだし、どちらかと言えば珍しい名字だから、親戚か何か? って聞いたら、知らないって、しらっと答えてたのに。お父さんだったんじゃない。


「理人君は、先生の授業は受けたことあるんですか?」


 一応、確認してみる。


「ないよね。理人は僕の話は家だけで十分だって言うんだよ。親孝行だと思って、授業受けてくれてもいいのに。そもそも、教育学部じゃなくて理学部の数学科に行くなんて、思わなかった。」


 …同じ学部に来てほしかったんだなぁ。


「それでも、同じ数学の道に進んでるじゃないですか。お父さんの背中を見て育ってるってことだと思いますよ。」

「栗田さん…いいこと言ってくれるね。それに、お父さんって呼んでくれて、嬉しい。」

「違うし。」


 理人君が、私の隣の席へ腰かけると、お父さんの言葉を否定する。


「何が違うの?」


 お父さんが、理人君の顔を見る。


「栗田さんは、本当に友達だから。勘違いして、勝手にさっきから色々言ってるけど。」

「勘違い?」


 私が理人君を見ると、理人君が頷く。


「最初に、“お父さんって呼んで”って言ったのは、僕の彼女だから、いずれはそうなるでしょう、っていう意味なんでしょ?」


 …え?


「そうだよ?」


 お父さん…なんだかそれを聞くと、そう呼びづらいなぁ。先生って、呼ぼうかな。


「“色々許してあげてね”って言うのは、僕が子どもっぽくて痴話喧嘩することがあっても、ってことでしょ?」

「そうだけど?」


 …先生…勘違いもいいところです。


「あの、ご期待に添えなくて申し訳ないんですけど、私と理人君は付き合ってるわけではなくて、本当に友達です。」


 先生は目を見開く。


「理人、どうしてこんないい子なのに、きちんと口説いておかないんです?」


 理人君が大きなため息をついた。


「栗田さん、ごめん。これ、あと2回、このやり取り続くから。」

「えーっと、お母さんと、お姉さんも、ってこと?」

「たぶん、言い方は違っても、内容は変わらないと思うから。」


 途方に暮れた理人君の顔に、笑いが漏れる。


「楽しい、ご家族だね。」

「…まあ、そうとも言うね。」


 諦めたような声で、理人君は答えてくれた。

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