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「栗田さん、おはよう。」
金曜日の1時限目が『ボランティア論』の授業の日だ。
あの後から、佐藤君と理人君には挨拶するぐらいの付き合いはしている。
「おはよ。」
理人君の隣の島の机に座って、ちょっと離れたところから、返事する。
今日は佐藤君いないんだな。
「佐藤、寝坊して遅れてる。」
私がキョロキョロと教室を見回したのに気付いたのか、理人君が答えをくれる。寝坊か。
「今日、グループ分けするんでしょ。どんなふうに分けるんだろ。」
この授業は残り3回で。実践編は後期に、と言われてはいるけど、前期でもお試しでボランティアをやってみる、という課題があって、それがテスト代わりの最終レポートとして課されている。ついでに、最終日には、班で発表をする必要がある。できたら、まとめられる人と組みたい。
「さあ、どうなんだろうね。」
理人君は、授業時間の質問の仕方を見る限り、きっとまとめられる人だと思っている。可能なら組みたい。
先生が入ってきた。佐藤君はまだ来ない。
「今日はグループ分けをします。自由にグループは作ってください。3人から5人くらいで1グループです。グループが決まったら、グループで何をするか決めて、自由に解散していいです。次回の講義はお休みで、最後の講義の時に、発表とレポートの提出をお願いします。」
…そんな適当でいいのかなぁ。
私が動き出すより先に、理人君の周りに人が集まる。皆、思ってることは一緒か。
「ごめん。もう、佐藤と栗田さんと三人で組むの決まってるんだ。」
私に向かって、ね、と理人君が話しかけてくる。いつ、決めた? でも、願ったり叶ったりだ。
「…そうだね。」
ブーイングの声が出る。特に女の子の。ああ、愛美がイケメンだって言ってたなぁ。確かに顔は整ってるのかもね。
「もう行くところも決まってて、3人でお願いしてるから、人は増やせないから。」
騒ぎを聞きつけた先生もやってくる。
「騒がない。ほら、グループ決めて。」
先生の言葉に、理人君の周りに集まってた人たちが、撤収していく。
「ちょっと、グループ分けどうなった?」
耳元で聞こえた声にびっくりして見ると、入り口に近い方の席に佐藤君が座っていた。
「理人君曰く、理人君と佐藤君と私の組み合わせらしいよ。」
「あ、良かった。理人いれば何とかなるでしょ。」
やっぱり、佐藤君も同意見か。
佐藤君が私の隣に座っているのに気付いて、理人君が私の隣に座る。やや、女子の視線が厳しい気がする。…やっぱり、佐藤君もイケメン認定なのか?
「さっき、行くとこ決めてるって言ってたけど?」
私の言葉に、佐藤君が身を乗り出して理人君を見る。…近いなぁ。まあ、いいや。
「何するの?」
「電動車いすサッカーの手伝い。」
本当に理人君は何をするか決めてたみたいで、バッグから、インターネットのページを印刷したものを取り出す。
サッカーと聞いて思い描いたものとちょっと違う。ボールが大きい。
「へぇ。面白そう。」
佐藤君は乗り気だ。
「手伝いって、何するの?」
「一日だけの手伝いだからね。コートの準備と片付けぐらいだよ。」
それなら、できそう。
「いつ、行くの?」
私がそう言うと、理人君が声を潜める。
「今から決める。もう、教室出ない? 聞かれると面倒だから。」
あ、さっき嘘ついたからか。
「いいよ。佐藤君、出てよ。」
「はぁ? いいのか、まだ授業中だよ?」
「いいの。さっき先生がそう説明したんだから。」
佐藤君を追い立てている間に、理人君が先生に一言言ってきて、私たちの方に戻ってくる。
「先生にも報告したし、出よう。」
私たちは早々に、教室を辞した。
「どこ、行く? 学食か図書館ぐらいしか思いつかないけど。」
私が言うと、すぐに佐藤君が反応する。
「学食行こうぜ。腹減った。」
遅刻してきた佐藤君は、朝食を取りたいらしい。
「僕はそれでいいよ。」
「じゃあ、学食ね。」
学食へ向かう道を辿る。
「理人君、何であんな嘘言ったの?」
「その方が面倒が少なそうだったから。」
「それ、正解。女と組むと面倒そう。」
…あの。
「私、一応女なんだけど。」
「栗田は良いの。他の女とは違うから。」
…褒められてるのかけなされてるのか、判断着きづらい。
「佐藤。」
佐藤君をしかりつけるような、理人君の声。…けなされてるのか。
「だって、女って感じしないんだもん。」
佐藤君の言葉に、ちょっとほっとする。それならいいや。
「理人君良いよ。私気にしないから。」
「佐藤は言い過ぎだって。」
「栗田が良いって言ってるんだから、良いでしょ。」
「何だか、理人君と佐藤君って、先生と生徒みたい。」
「俺が生徒なんだ。」
拗ねた佐藤君の言葉に、違うな、と思う。
「大人と子供みたい、の間違いだった。」
私が言い直すと、理人君が笑う。
「ごめんね。佐藤、こういう奴で。」
「いいよ。本当に気にしてない。」
学食は教養棟のすぐそばにある。まだ10時にもなってないから、席はガラガラだ。
とりあえず端の席に座る。佐藤君は学食の下の売店で買ったパンとパックのジュースをいそいそと開けて食べ始める。
「あ、そうだ。栗田さん、連絡先交換しとかない?」
理人君に言われて、それもそうだとスマホを取り出す。
理人君と先に交換する。
「霧島、って苗字なんだね。」
「今更かよ。」
私のつぶやきに、佐藤君がすぐに突っ込んでくる。それは無視して、佐藤君に無言でスマホを突き出すと、佐藤君と連絡先を交換する。
電話帳に登録された佐藤君の下の名前を見るけど、それも良くある名前で、特に突っ込むところもない。チラッと佐藤君の顔を見て、スマホに視線を戻す。
「俺はスルーかよ。」
「だって、特徴なくない。佐藤一馬って。」
ちょっと、記憶を刺激された。でも、佐藤なら、いくらでも同じ名前の人はいる。
「栗田は香奈枝だろ。願いを叶えたまえ、ってやつだろ。」
佐藤君の言葉に、ドキッとする。
「それ、小さい頃よくからかわれた。」
「佐藤、小学生でもあるまいし。やめろよ。」
呆れたような理人君の声。
「ほんとに。そんなこと言われたの、小さいころぶりだよ。」
私も、呆れた声が出る。
「俺が精神年齢低いって言いたいんだろ。」
「良く分かったね。」
私と理人君の声がハモる。
「もういいよ。いつ行くの?」
自分の立場が悪いと思ったのか、佐藤君が話題を戻す。
「連絡はすでに取ってて、今週か来週の土曜日って言われてる。」
「…それなら、今週の方がよくない? レポートもあるし、発表のもまとめなきゃでしょ?」
「そうだね。じゃあ、今週って言うか…明日か。明日行くように伝えておくよ。」
理人君がスマホでメールを打ち始める。
「電動車いすサッカーって、ルール違うのかな?」
佐藤君がパンを食べ終わってから、私に聞いてくる。
「さあ。どうだろう? それぐらいは、調べて行った方が良いんじゃない?」
「今から調べる?」
…今から。
「次の授業あるし、個人個人で調べるでいいんじゃない?」
「そう? 皆で調べた方が、分担できるし、楽じゃない?」
「そこまで難しい話じゃないと思うよ?」
「そうだね。個人個人で調べてくるでいいんじゃない?」
理人君がメールを送り終わったようで、私たちの会話に入ってくる。
「それじゃ、それで。待ち合わせとか、どうしたらいい?」
「明日は午後2時からだから。自転車で行けるところなんだけど、20分もあればつくと思うから、1時半くらいに、ここの前とかで、どう?」
理人君の言葉に、私は頷く。
「了解。それじゃ、明日はそれで。」
佐藤君も頷いて、スマホに予定を登録している。
「じゃあ、私、もう行くね。また明日。」
翌日の電動車いすサッカーの手伝いは、興味深いものだった。やっている人たち(子供もいた)が、すごく楽しそうだったのが、印象に残っている。私たちは、いつものボランティアさんたちに言われたとおりに動くぐらいで、それほど役には立ってなかったけど。
翌週は、3人の予定を合わせて集まって、レポートと発表の準備を進める。集まると言っても、集まれたのは2回で、来週のあと2回でまとめ終わらないといけない。
でも、予想通り、理人君が良い動きをしてくれて、私と佐藤君は理人君が作ってきてくれたたたき台に、あーでもない、こーでもないと意見を出していくだけで済んでいる。だから、間違いなく、来週2回もやらなくても終わりそうな気はする。
無事に、授業最終日の発表が終わって。私は、ようやく解放された気分になって図書館に向かった。次の授業は、先週にテストがあって、もう終了している。でも、今日までに提出しないといけないレポートが一つ残っている。あと少しで終わるんだけど。
しかもなぜか、今時、手書き。教授の嫌がらせだとしか思えない。
図書館に入る。もうテスト期間も終わりの日のせいか人はガラガラで。私は、お気に入りの窓際の席を取る。バッグを開けて、レポート用紙と文献を出して、筆記用具がない事に気付く。…あ、発表前に、理人君に筆記用具貸したままだったかも。
理人君、気付いてるかな? スマホを出してみるけど、連絡はない。
理人君授業中かな。確認はしなかったけど、私、終わってからさっさと教室出ちゃったんだよね。レポート早く終わらせて帰りたかったから。
とりあえず、私の筆記用具返してほしい、とメールを打つ。
『ごめん。返すの忘れてた。まださっきの教室に残ってるけど、どこ行ったらいい?』
…まだ教室に残ってるってことは、あの先生とまた議論戦わせてたのかな。理人君は質問も良くするし、先生と議論をしていることもある。今日の発表はすんなり終わって、授業時間は余ってたから、あの後先生と話してたのかも。
えーっと。「取りに行く。」とメールを打つ。
ここの場所に、知ってる人に来てほしくない。知り合いに会わないから、私の特等席なんであって。
『じゃあ、待っとく。』
理人君のメールを見て、講義室に向かう。
もう少しで講義室と言うところで、電話が鳴る。理人君だ。
「もしもし?」
『今、どこ?』
「今、教室の…。」
言いかけたところで、教室の中から佐藤君の声がする。私の名前、呼んだ?
「て、言うかさ、佐藤お前なら選り取り見取りだろうに、何で、栗田さんと組むわけ? もっと可愛い子、いくらでもいただろ。」
名前は知らないが、佐藤君に時折話しかけてる男性だ。…まあ、言われても構わないから、こんな格好してるわけで。
「なんかさ、昔の知り合いに似てるな、と思って。下の名前も同じなんだよね。でも、苗字とか出身地が違うから。」
…前に出身地を聞かれたことがあったけど…それで? と会話を切ってしまったから、佐藤君の出身地は聞いてない…。
教室から、理人君が出てきて、私の姿を見つけて、失敗した、とでも言いたそうな顔をする。きっと、丁度私の話になったから、気を利かせて聞かずに済ませようとしたんだろう。…言われ慣れてるから、気にはしてない。それよりも、佐藤君の話の方が気になる。でも、本人には確認したくない。
「男って馬鹿だから。」
「いい、気にしてない。」
理人君は、私を教室から遠ざけるように、出口に向かう。
「これ、ごめん。借りたの、返し忘れてた。」
「いや。私も貸したの忘れてたから、気にしなくていいよ。」
「そう言えばさ、栗田さん、夏休みって、どうするの? 佐藤とさっき、3人で打ち上げでもやろうかって、話してたんだけど。」
それで、私の名前が出てきたんだ。
「佐藤がさ、夏休みの後半は地元に帰るから、夏休みの前半にやりたいって、言ってたよ。」
「私はずっと地元に帰るから、無理かな。」
「そっか。」
聞くなら、今のタイミングかも。
「地元戻ってから会うのってどう? 佐藤君の実家って、どこなの?」
私が思っているところなら、集まるのは無理だ。
「U県だって聞いてる。ほら、有名なお城のあるところの近くに住んでるって言ってた。」
…たぶん、間違いない。香奈枝と言う名前の、苗字が違ってて、かつ地元が違う人物を知っている、あのあたりに住んでいる“さとうかずま”は、たぶん、あいつだ。
そう思うと、何となく面影があるように思える。それに、あの言葉。
「そっか。私もそこからだと遠いし、夏休み中に集まるのは無理だね?」
丁度、玄関に着く。
「じゃあ、私レポート書かなきゃだから。行くね。」
「栗田さん、後期もこの授業取る?」
手を振って先に歩き出した私を、理人君が呼び止める。
「…どうだろう?」
前期は取って、後期を取らないという選択肢は取れる。逆は許可が出ないらしいけど。理論も聞かずに実践だけは駄目なんだと、先生が力説していた。でも、そもそも取る気はない。前期でも実践します、と最後から4回目の授業で言われた時、失敗したと思ったくらいなのに。
「僕も佐藤も、また取ろうって言ってるし、一緒のグループで、またやろうよ。」
…佐藤君も、ね。
「考えとく。」
「じゃあ、また後期に。」
理人君は、私が授業を取るの前提に、手を振ってくる。
「じゃ、またね。」
会えることがあれば、ね。
私はそう言う意味を込めて、ひらひらと手を振った。