15
家にたどり着くまでの道では、ほとんど会話はなかったけど、理人君の手から伝わってくる暖かさで、私の心は落ち着いていた。私の家に辿り着くころには、私の涙も止まった。
部屋に入って、テーブルに向かい合って座る。
「僕が東京に行く話に、どうして、こだわってるの?」
慣れた手つきで、エアコンを操作すると、理人君が私を見る。
「だって、4月に行っちゃうんでしょ?」
「4月? 3月だけど?」
…そうだ。引っ越しは3月にしちゃうんだ。
「3月のいつ行くの?」
「…だから、どうしてそれにこだわってるのかが、良く分からないんだけど。」
「だって、東京の大学院に行くんでしょう?」
理人君がはっとする。
「…それ、もしかして、佐藤に言われた?」
「どうして、私に言ってくれなかったの?」
私の目から、また涙があふれてくる。今日はもう涙腺が壊れてしまったみたいだ。
「ちょっと、栗田さん泣かないで。」
「だって!」
「聞いて?」
理人君の言葉に、私は理人君の顔を見つめる。
「大学院はこのまま進むから。」
「このまま進む?」
…言われたことがすぐには理解できなくて、何度かその言葉を繰り返す。
「ここの院に進むってこと?」
「そう。理解してくれた?」
口に出しては見たものの、理解できているかと言われると、頭が追い付いていない気がする。
「どういうこと? 東京って何?」
「東京は、姉さんの引っ越しを手伝いがてら、家族で旅行に行くだけ。」
「旅行?」
「そう。栗田さん、佐藤に騙されたんだと思うよ。佐藤は僕がこのまま院に進むことも、東京に旅行に行くことも知ってたから。」
…どうして、そんな嘘を?
私の表情を見て、理人君が続ける。
「佐藤なりのお節介なんだと思うよ。僕が気付かなかった栗田さんの僕への気持ちを、佐藤の方が先に気付いたって言うのが、何だか気に入らないけどね。」
確かに、ああでも言われなければ、私は気持ちに蓋をしてしまっていたのかもしれない。
「栗田さんは、いつ僕のこと好きになってくれたの?」
「分からない。」
私は、理人君に見られてることが恥ずかしくなって、視線を逸らした。暖かくなってきた部屋の空気を感じて、着ていたコートを脱ぐ。…適当に着たから、今日のインナーとの組み合わせが微妙だ。最近は服装には気を付けてたのに。
「えーっと、栗田さん。それって、答えになってないんだけど。」
「だって、いつの間にか好きになってた。私、恋愛って、ドキドキとか激しくとか、そう言うものなんだと思ってた。でも、理人君への想いって、そう言うんじゃなくて、一緒にいてほっとするとか、穏やかになれるとか、そんな感じで、好きになってるって、気付いてなかった。」
理人君は、嬉しそうな顔をする。
「気付いたのって、いつ?」
「…理人君が、罪滅ぼしさせてって、辛そうな顔した時。」
私は自分が唇をかんでることに気付いて、かむのをやめた。理人君を責めたいわけではない。きっと、私の癖は、理人君も佐藤君から聞いて知ってるはず。
「ごめん。栗田さん。」
「理人君は謝らなくていい。私の好きって感情は、相手に伝わりにくいから、そんなついさっき気付いた感情に理人が気付かなくって当然だって、佐藤君も言ってた。」
「でも、そう言いながら辛そうな顔してる。ごめん。佐藤は気付いたのに、僕は気付かなくて栗田さんを傷つけた。」
私は自分が唇をかんでないか、わざわざ唇まで触ってしまった。かんでない。
「どうして理人君は、私が辛いって分かるの?」
「…どうしてって、表情見てれば、分かるよ?」
「表情だけで?」
…すごい。
「ずっと、見てたから。付き合いが、これだけ長くなればわかるようにもなるよ。…僕を好きだってことは分からなかったけど。佐藤は何で気付いたの?」
「理人君の名前出すと、私が辛い時にやる癖が出てたって。それで、気付いたみたい。」
理人君が、何かを思い出そうとしている。
「もしかして、唇かむのって辛い時なの?」
「知らなかったの?」
佐藤君から聞いてたんじゃないんだ。
「辛そうなときには、唇かんでた気はするけど、目の動きとか表情の方が読みやすかったから、そこまでは注視してなかった。」
…見てるところって、人それぞれなんだな。
「でも、理人君が東京に進学するんじゃなくて、良かった。就職の第一希望変えなきゃいけないかと悩んでた。」
「もう、第一希望は決めてるの?」
「うん。女性がバリバリ働けそうな会社なんだ。それに、上原さんがカッコよくって。」
「…上原さんって、男?」
あ、“かっこいい”って表現は、普通、そうか。
「女性なんだけど、バリバリ仕事してる感じと、それでも2児の母、って言うのが、すごいな、って感じの人なの。ここは両立がしやすい職場ですよって言ってて、そんなにバリバリ働いてるように見える人がそう言うって、結婚して子供が出来てからも働きやすいんだろうな、と思って。」
“女性”と言う言葉を出した途端、理人君がほっとした顔をした。
「そこに、決まるといいね。」
「うん。」
「それで、東京の話は、納得してもらえた?」
「うん。」
私の返事に、理人君が嬉しそうな顔をする。
「私、何にも言ってないけど?」
「いや。両想いになって嬉しいなと思って。」
「あ、母さんが栗田さんも東京行かないかなって言ってた。」
「どうして?」
「ロダン、一緒に見たいって。」
…クリスマスの日、その話で汐里さんと盛り上がったんだったっけ。ロダンの背中で。
「…家族旅行でしょ? それに、3月は、実家に帰ることにしてるから、今回はやめとく。」
「良かった。僕らもあの美術館に何時間拘束されるかと冷や冷やしてるところだったから。」
私の返事に、理人君がほっとする。
「何で分からないかなぁ。」
「と言うか、美術鑑賞なんて趣味、元々なかったでしょ?」
確かに、最初に霧島家にお邪魔した時には、汐里さんの話に圧倒されてたくらいだった。
「留学中に、目覚めた。だって、あっちの美術館、毎日行っても飽きなくらい広いし、色んな展示があるし。でも、汐里さんに影響を受けたのは確かだね。」
「…その話は、母さんとしてあげて。」
「わかった。」
その後、沈黙が落ちる。
えーっと、何か話すこと、あったっけ?
「理人君、ところで、他に話すことって、あった?」
「特には? ああ、4月になったら、また近くに部屋借りるから。遊びに来て。」
ああ、近くに部屋借りるとか言ってたっけ。
「引っ越し、手伝おうか?」
「…そうだね。そうしてくれると助かるかも。そんなに荷物はない予定だけど。一人暮らしは初めてだから、ちょっと、戸惑うね。」
「ああ、ずっと実家なんだね。」
話している最中、理人君は、ずっとにこやかに私を見ている。
「見られてるの、恥ずかしいんだけど。」
「だって、遠慮なく見れるようになったから、嬉しくて。」
…理人君、こんなこと言う人だった?
「理人君、キャラ変わった?」
「え? いつもと違う?」
「…何て言うか、素直に感情出てるって言うか、ストレートって言うか…。」
「駄目?」
「…駄目じゃないけど…いつもと違うから、戸惑う。」
「気にしないで。」
…できたらいいけど…。
「あ、理人君、ゲームに興味ないって聞いたんだけど…。」
ふと、佐藤君と交わした会話を思い出す。
「…佐藤か。…栗田さんとするゲームは、楽しいよ?」
「でも、本当は興味ないんでしょ? 無理しなくていいよ?」
「でも、折角栗田さんと、最後の方まで進めたんだから、クリアはしたいと思う。」
意外に、頑張るなぁ。
「理人君、本当に大丈夫?」
「栗田さんと一緒になら、最後までクリアしたい。栗田さんは、嫌?」
「ううん。折角ここまで一緒にやってきたんだから、理人君と最後までしたいと思うよ。」
「…それなら、よろしくお願いします。」
「じゃあ、今日、やっていく? たぶん、今日2時間くらいで、クリアできるはずだけど。」
「いいの?」
ああ、夜になるのに、ってことかな?
「いいよ。私たち、付き合うんでしょ? でも、理人君の帰りは、バスとか大丈夫?」
「…帰りは何とでもなるから、大丈夫。」
まあ、実家だしね。
「夜ご飯、どうしようか?」
「僕、何か作るけど? その間に、進めておいてくれると、助かる。…ダンジョンとかには興味が持てない。」
…ダンジョン“も”、なんだろうけどね。私はつい笑ってしまう。やっぱり、理人君は負けず嫌いなんじゃないかな。
「じゃあ、途中まで進めておく。そしたら、もう少し時間短縮できると思うし。」
「お願いします。」
「こちらこそお願いします。」
時々、お昼ご飯を手伝ってもらうことがあったから、理人君もうちのキッチンの勝手は分かってる。
さて、理人君のために、サクサク進めておこうかな。
「やった! 理人君、とりあえず倒したよ!」
ラスボスの戦いに一区切りがついて、私が興奮して理人君を見ると、理人君も嬉しそうに、私を見ている。
「理人君も、嬉しいんでしょ!」
ほら、やっぱりこのゲームは、ゲームが嫌いな人でも、好きになれるゲームなんだよ。このゲームってすごい!
「違う。かわいいなと思って。」
隣に並んで座っていた理人君との距離がさらに縮まって、私の目の前に、理人君の顔がある。
「好きだよ、香奈枝。」
私が話す前に、私の唇はふさがれる。私はそのまま、床に押し倒される。
唇が離れて、理人君が見たことのない色っぽい視線で、私を見ている。
「理人君…。」
私は、言わなきゃいけないことがあるのに、それ以上、言葉が出てこない。
「好きだよ。」
理人君が、私の顔をなでる。
「…好き。」
私の口から言葉が洩れる。理人君が、メガネを外してテーブルに置くのが見えた。メガネを外した理人君の顔は、初めて見る。
「香奈枝、大切にするから…。」
私は理人君の視線に負けて、ただ、頷く。
私の体は、簡単に持ち上げられると、ベッドに移動した。私はただ、理人君のくれる熱を、受け止めるだけで、精いっぱいだった。




