14
「俺、栗田のこと好きだった。」
「…何で、過去形なの?」
“だった”って。
佐藤君の表情が、切なさを消す。
「あのさ、何で栗田、俺んとこ来たわけ?」
何でって…。
「理人君に、罪滅ぼしさせてって懇願されたから。」
私の言葉に、佐藤君がため息をつく。
「理人に頼まれたから、来たんだな?」
「…そう言うわけじゃないよ。」
私は佐藤君から目をそらす。
「俺が理人の名前を出すたびに、唇をかむのは、何で?」
…唇をかむ?
「そんなこと、してない。」
「してる。気付いてないかもしれないけど、栗田は辛いことがあると唇をかむ癖がある。ここのベンチに座って気付いた癖って、その癖だよ。本を読んでるときに、辛い場面でも読んでるのか、唇かんでた。」
…そんなの、知らない。
「そんなの、癖なんだから、辛いと思ってないときだって、してるかも知れないでしょ?」
佐藤君は首を横に振る。
「小学生の時、無視するようになってから唇をかんでた印象があるから。その時からの癖なんだと思う。1年の後期くらいに、栗田は俺が話しかけると唇をかむ癖を見せてた。あの時には、栗田は俺がいじめてた奴だって気付いてたんだろ?」
…確かに。私は頷く。
「それで、2年になる前くらいには、俺が話しかけても、唇をかむことがなくなってきてた。」
…それは、佐藤君に会うことが辛くはなくなっていた…むしろ、会いたいと思うようになってた時期だ。
「だから、栗田は俺と会ってても辛くなくなったんだな、ってほっとしてた。」
私は続いた佐藤君の言葉に、また頷く。
「だから、3年の時、俺と郡が付き合うといいと思うか、って聞いたときに、唇も噛まずに“お似合いだ”って言われて、望みがないなって思った。」
あの時は、完全に気持ちを手放したから、辛いとか思わなかった。感じたのは、虚無感だけだ。
「そうだね。あの時に私が感じてたのは、辛いって気持ちじゃなくて、虚しいって気持ちだったから。佐藤君が私の癖で私の感情を読んでるのは当たってるんだと思うよ。それで、私が辛い時には、唇をかんでるって言ってるんだね。」
「そうだよ。だから、さっき俺が理人の名前を出すたびに、唇をかむのが気になった。」
私にそんな癖があったんだな。
「それは、理人君の気持ちは私にないんだなって実感できて、辛いからでしょ。」
こんなにお膳立てされて、私と佐藤君がくっついてほしいと思われてるのに、今の私には、そのお膳立てが役に立てられそうにもない。
「やっぱりな。栗田、理人のこと好きなんだな。」
「今は、この話関係ないでしょ。」
どうして、佐藤君に理人君を好きなんだって、教えることになるんだろう。完全に、理人君の思惑通りには動いてないよね。
「あのさ、俺が知る限り、理人を下の名前で呼んでる女って栗田だけだぜ。」
え?
「確か最初に、皆下の名前で呼ぶから、って言ってなかったっけ?」
「あの時に理人を下の名前で呼んでたの、大学では俺ぐらいだった。だから、理人も栗田のこと好きなんだなって、すぐわかったんだけど。」
…いや、まさか。
「それは、佐藤君の勘違いじゃないの?」
「勘違いなわけない。俺、理人に確認したから。それで、恨みっこなしなって話になった。」
…恨みっこなしって…。
「いや…理人君、そんなそぶり全く見せなかったよ?」
むしろ、佐藤君とのことを応援してくれてたことしか、思い出せない。
「理人と、ゲームやってるんだろ?」
佐藤君知ってるんだ。
「理人君、佐藤君にはそのこと言ってたの?」
佐藤君が首を横に振る。
「俺は今日知った。聞いた時、理人に出し抜かれたって思ったね。」
出し抜くって…理人君に一番似合いそうにない言葉なんだけど。
「理人君にそんなつもりはないでしょ? ゲームできないのが悔しくて、負けず嫌いだからやってたんだと思うんだけど。」
佐藤君は呆れたような顔をする。
「理人、俺がオンラインゲームに誘った時、何て言ったと思う? そんなのに時間費やすんだったら、数学解いてる方が断然有意義だ、って言ったんだぜ。」
…それは…。
「オンラインゲームには興味持てそうにないって、言ってた気がするよ?」
「俺に言ったのは、ゲーム全般。」
…そうなると…。
「でも、その後に、思い直したんじゃないの?」
「思い直す暇なんてないと思うけど。同じ日だぜ。栗田がゲームしてるのを見て、手のひら返したように興味持って、下の名前で呼ぶように言って。全部知ってる俺からすれば、理人が栗田のこと好きだって、すぐわかるでしょ。」
…でも…。
「理人君、ゲーム貸した後しばらくは何も言ってこなかったよ。」
本当に私と関わるつもりでいたら、もっと早く動き出したんじゃないかと思うんだけど。
「理人とゲーム一緒にし始めたのって、いつから?」
いつからだっけ…。もう長すぎて、最初がいつかもすぐには思い出せない。
「1年の後期の…11月過ぎたあたりからかな。」
「そのあたりから、栗田が俺と話してて、唇かむ回数が減った気がする。だから、理人はゲームをだしにして、栗田と過ごす時間を増やしたかったんだよ。」
「そうかな?」
あの時の会話の流れが、そう言うことだったなんてにわかに信じがたい。
「本当にゲーム出来ないのが、悔しそうだったよ?」
「その時期に、俺また理人をゲームに誘ったけど、全く興味も持たなかったぜ。」
…もう、私に否定する材料はない。でも。
「私のこと好きなら、どうして佐藤君のこと応援したりするの?」
「それは、理人がお人よしだからだろ。自分の恋がうまく行くことより、好きな相手の恋がうまく行くことを願ってるんだろ。」
何それ。
「私の好きな相手なんて、全然気づいてないし。」
今、私が好きなのは、理人君だ。
「栗田、好きだって気持ちが分かりにくいんだよ。俺だってわかんなかったし。理人責められるところでもないと思うぜ。」
「だって、理人君私が佐藤君好きだったって気付いてたよ。」
私の言葉に、佐藤君が苦笑する。…つい言ってしまった。
「それは、長い期間の観察のたまものなんじゃないの? 栗田が理人好きだって気付いたの、いつなわけ?」
「…ついさっき。」
理人君に、佐藤君に会いに行くように説得されて、ようやく気付いた。
「そんなの、理人もわかるわけないだろ。」
呆れた表情の佐藤君から視線をそらす。
「それで何? 理人好きだって気付いたけど、理人に他の男の所に行けって言われたから来ちゃったわけ?」
「…そうだよ。だって、自分の恋が叶わなくっても、好きな人のお願いくらい、聞いてあげたいじゃない。」
「あほだな。栗田、もう理人のとこ行けよ。」
「だから、理人君が私のこと好きだって言うの、信じられないって。」
「ああもう。信じなくてもいいから、気持ち伝えとけよ。理人、卒業したら東京行くぜ。」
嘘。
「そんなの聞いてない。」
「院に行くのは聞いてるんだろ?」
「うん。それは知ってる。」
「どこに行くか聞いたか?」
…そんなの、こっちだとばかり思ってたけど…。
私が首を横に振ると、佐藤君が私の頭をポンポンと叩く。
「言っとけ。後悔したくないだろ。とりあえず電話掛けて、今いる場所聞けよ。」
私は頷いて、理人君に電話を掛ける。9コール鳴らしても、出ない。あと1コール鳴らして、駄目ならまた掛け直そう。
『もしもし? 栗田さん、どうしたの?』
もう出ないんじゃないかと諦めてるところに突然理人君の声がして、私は何を言えばいいのか分からなくなった。
「理人君、東京行くの?」
『…行くけど、何で?』
“何で?” その返事に、涙があふれ出す。
“何で?”の言葉に、私には関係ないでしょ、と言う響きを感じた。
私が留学するときに、すべてを捨てていこうと思った時みたいに、理人君も私のことを諦めるために、私とのことを捨てていこうと思ってる? だから、どこに行くか教えてくれなかった? それとも、私に伝える必要性を感じなかっただけ?
『栗田さん?』
名前を呼ばれても、嗚咽しか出ない。
「ちょっと、栗田。泣くなよ。ちょっと、替われよ。」
佐藤君が私の手からスマホを奪う。
「理人、栗田、泣いてて話せない。」
そこまで言うと、佐藤君が黙り込む。理人君、何か言ってる?
「気になるなら来いよ。図書館の脇のベンチ。」
それだけ言って、佐藤君が電話を切る。
「たぶん、すぐ来るだろ。」
私はそれが信じられなくて、首を横に振る。
「来るって。栗田のこと一番に考えてるようなやつだぜ。泣いてる栗田をほっといたりしないって。」
本当に、来てくれるだろうか。
「理人は、本当に栗田のことが好きなんだって。」
本当にそうだったらいいのに。
でも、理人君、東京に行ってしまうんだ…。勿論それはきっと理人君の夢のためで、私には止めようのない事だけど…。
私が東京で就職すればいい? でも、私はこの辺りの会社で、そこまでは大きくはないけど、英語を使えて、その会社で働いてみたいと思える会社に出会っていて、第一志望はそこにするつもりでいる。結婚して子供がいる人もたくさん働いてる会社で、そうなった時にも働いてる自分を想像できたから。そこをやめて、東京で他の会社を探す? 好きな人が東京に行くからって、私は自分のやりたいと思えることをそれで変える? もちろん東京だったら、色んな会社があって、私が行きたいと思える会社だってあるんだろうと思う。…でも…。でも…。
頭の中でグルグルと堂々巡りみたいになる。考えているうちに涙は止まって、それを見て佐藤君がほっとした顔をする。
「栗田が泣くとか、思わなかった。」
「思わなかったじゃない。佐藤、何、栗田さんに言ったんだよ。」
佐藤君の言葉に答えたのは怒った理人君の声で。理人君の声を聞いたとたんに、私はまた涙があふれてきた。
「俺のせいじゃないって。栗田さん理人に質問したら、急に泣き出したんだって。」
「栗田さん、どうしたの?」
理人君が、私の顔を覗き込んでくる。息が切れてる。急いできてくれたんだ。佐藤君の言ってることは、本当?
でも、私はまた、理人君が東京に行ってしまうことを思い出して、涙にむせてしゃべれなくなった。
「じゃ、俺行くわ。」
隣に座っていた佐藤が立ち上がった気配を感じる。
「ちょっと佐藤、説明して。」
「栗田に聞いて。」
私の頭の上で行われたやり取りが終わると、佐藤君が離れていく。
「ちょっと佐藤!」
理人君は佐藤君を追いかけようとしたけど、私がいるからか、追いかけなかった。
ため息とともに、理人君が隣に座る。
「栗田さん、泣き止んでよ。どうして、こんなことになってるのか、僕わからないんだけど。」
途方に暮れた声だ。
「佐藤と話してたはずでしょ? なのに、どうして僕の所に、あんなわけのわからない電話くれるわけ?」
全く理解できないとでもいうように、理人君は言う。…私が理人君を好きだからとは、全く思わないんだ。また、涙があふれる。
「栗田さん、僕がしゃべると泣くね。僕、黙ってた方が良い?」
私は、首を横に振る。
「でも、僕が何言っても泣くばっかりでしょ。佐藤は佐藤で、栗田さん置いていくし。わけわかんないよ。佐藤と栗田さんは想いを伝えあったはずでしょ?」
私はまた首を横に振る。
「どうして?」
そんなことあるわけない、と言いたそうな理人君の声。私は理人君の服を掴んで精いっぱいの気持ちで理人君を見る。
「…そんな顔して見られても、困る。」
やっぱり、佐藤君の言ったことは勘違いだ。私の気持ちなんて、理人君は必要としてない。止まりかけてた涙がまた出てくる。
「泣かないでよ。栗田さんの気持ちを勘違いしちゃうから、困るって言ったの。」
私は、こくりと頷く。
「そんなわけ、ない。」
理人君の瞳が揺れる。
「…す…き…。」
しゃくりあげながら、何とか言葉を紡ぐ。
「栗田さん…それ、本当?」
私はもう一度頷く。
「…で…も…、東京…。」
「東京の話は、今、どうでも良くない?」
理人君は、本当にどうでもよさそうに言う。
私は首を何度も横に振る。どうでもいい話じゃない。4月からの話だ。4月からの私たちには関係のある、話だ。
「えーっと、どうして、僕が東京に行く話にこだわるのかとか聞きたいんだけど、まだ栗田さんは落ち着かないし、ここ寒いし、もう日もかげってきたし、栗田さんちに行かない?」
そうだった。ここ、外だった。すっかり、私の頭から、この場所のことが抜け落ちてた。
私が頷くと、理人君が立ちあがるのを助けてくれた。
「行こう?」
理人君は私と手をつないで、先に立って歩き出す。でも、歩調はゆっくりだ。
急に理人君が立ち止まって振り返る。
「栗田さんが、東京って言い出すから、言い損ねてた。僕も、栗田さんのこと、好きだよ。」
私は頷いて、つないでいた手を、強く握った。
明日は祝日なのでお休みします。




